74・獣と鬼の宴
「害獣狩りとは、また大きく出ましたね」
「偉そうなことを言ってくれるぜ。暗がりをうろつく腐りかけの死人ごときがよ」
「くくっ、何をほざくかと思えば……夜の血族の頂点たるスィラシーシア様の高貴さを理解できないとは、やはり畜生は畜生ですね……」
「なにぃ!?」
カッとなって襲いかかろうとする熊頭の大男──ベルセルクを、灰色のローブと赤いマントの女性──メデューサが手で制止した。
「まあ待ちなさい」
「チッなんだよ、何かやりたい目論みでもあるのか?」
メデューサは内心で舌打ちした。
あなた、馬鹿なの?
敵が眼前にいるのにこちらの企みを喋ってどうするのよ。そんなこともわからないの?
「いいえ、特にないわ」
「あぁ? なんだそりゃ。意味なく止めたのかよ。いや……お前がそんなタマのわけないよな。なんか名案でもあんだろ?」
もう黙れ。
メデューサからしてみれば、もはや二対二ではなく一対三の心境であった。
なにせ、つつかれたくない急所を率先して味方がつついてくるのだから。悪気がないのがまた余計に彼女を腹立たせていた。
図体だけは人一倍だが思慮の無さなら常人の一割あるかも疑わしいこの馬鹿に口を開かせれば開かせるほど、こちらが不利になる。
強引に話を切り替えよう。
「そんなことより、あちらから来たのは好都合よ。今度こそ、取り返しがつかないくらい固めてあげましょうか」
固める、が何を意味するか、何を喩えているのか……それをこの場の全員が理解していた。
「品のない蛇が、また汚ならしい呪いを飛ばす気ですか。嫌なものですわね、全く」
「それは、もうやめて欲しいという泣き言かしら?」
「そんな意地悪なことは言いませんよ。それしか取り柄がないのでしょう? なら存分にお使いなさいな」
蛇の神官も吸血鬼の姫も、まずは相手の冷静さを奪う舌戦から始めたようである。
今のところ五分と五分。
スィラシーシアも、実はそこまで気の長いほうではない。
しかも、お付きのナーゼリサを毒牙にかけられそうになっている。間一髪で自分が盾になったから良かったものの、危うく彼女を石像にされるところであった。
顔にこそ出していないが不愉快極まりないと思っている。
ナーゼリサもまた高位の吸血鬼であるから容易く石化の侵食を許しはしないだろうが、それでも危険な状態になるのは避けられなかったに違いない。それはスィラシーシアにとっては許しがたい蛮行である。
最低でもズタズタに引き裂いてやらねば気が済まない。
我が配下に唾を飛ばした下衆には、それなりの報いを与えなければならないのだ。リュルドガルの名と権威にかけて。
メデューサもまた苛立っていた。
そばにいる熊頭のお守りをせねばならないことに負担を覚えていた矢先のこれである。
常に先手先手を打ちたい性分の彼女に、この流れは好ましいものではなかった。後手に回るのは弱気の証拠。それが彼女のモットーだった。
しかしこうなった以上仕方がない。
あの雰囲気や物腰なら活発に攻めてはこないだろう。あんな堂々と来訪したのがその証拠だ。不意をつくこともできただろうに、見栄を優先したか。
ならば、ここから出し抜くのもそう難しくはあるまい。
安宿の入口が焼け落ちた直後、近辺に潜伏している信者どもに使い魔を送っている。直にこちらに殺到するはずだ。
戦力としては期待していない。
信者どもの身体能力の向上は、元々の肉体に少し上乗せされた程度だ。それなりに練気を使える者には勝てないくらいの実力だが、肉壁になればそれでよい。
それに、人数が減れば減るだけベルセルクの力が増強される。奴のスキルによって。そうなれば形勢はこちらに一気に傾くだろう。
その時が楽しみだ。
多勢に無勢となり、高慢そうな青銅色の顔が絶望に染まるのをこの目で見届けてくれる。
「嬉しそうですね」
「ん? 私に言ってるの?」
「ええ、そちらの男性は歯がゆそうにしてますからね。あなたしかいませんよ」
応援が駆けつけてきて有利になるのが待ち遠しいと、そうメデューサは顔に出していたのだ。
吸血鬼の王女にそれを指摘され、蛇の神官がつい苦笑した。
「ふっ、そうですか。私も未熟ですね。平静を保つ訓練でもすべきでしょうか」
「これから死にゆく身で、それは悩むだけ無駄ではなくって?」
「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」
「あらあら、そんな奥ゆかしいことなど言わず、遠慮なく受け取ってよろしくてよ?」
「いえいえ、そちらで抱え込んだまま沈んでくださいな。私達にはこれからも栄光の日々が待っていますので。死に至るのはあなた方だけで結構よ」
「やけに饒舌ね」
急に核心を突くかのような発言。
それまで楽しげに語らっていたメデューサが、ぐっと言葉をつまらせた。
「敵同士とはいえ、王族との会話などそうそうできませんからね。貴重な一時を楽しもうかと」
「あら、そうですか。わたくしはてっきり、仲間待ちの時間稼ぎかと読んでましたが、邪推だったみたいですわね」
今度こそメデューサは顔を歪めた。
この女、わかっていたのか。
……しかし、ではなぜ私との会話に付き合っている。時間が経てば経つほど不利になるのは自明ではないか。
初めて露骨に動揺したその顔を見て、スィラシーシアが、クスクスと細やかに笑う。
「……こちらにも協力者がいるのですよ。まだ若いのですが、なかなかに場数を踏んでいる方々でね。今回、助力をお願いしましたの」
そこまで言ったところで、外が騒がしくなってきた。
叫び声や悲鳴、怒鳴り声、一人二人ではなく、何人もの人物が地を蹴り暴れまわる音。
その『方々』が、メデューサが呼び寄せた者達と交戦を始めたらしい。
誰かというとピオとミオの加速重圧コンビに、『操り人形』のギルハである。
どうせ信者がワラワラ現れるに違いないと読んだスィラシーシアが雇っていたのだ。
双子は『仮面武闘祭』の本戦を見物するか彼女に雇われるかで迷ったようだ。が、元々は出場しようと思っていただけにどうにも血が騒いでいたらしく、それを発散するために、こちらで暴れることを選択したようだ。
どこからどう見ても麗しき美少女であろうと、やはり中身はバトル好きな十代の男子なのである。
ギルハは、単に観戦にさほど興味なく、小遣い稼ぎに雇われただけである。
数で押してくる相手には彼のスキルは恐るべき威力を発揮する。うってつけの人材といえた。
「……姫様、どうやら、外でも始まったようです」
「そうね」
スィラシーシアはコクリと頷いた。
「さあ、これで邪魔は入らないわ。わたくし達はわたくし達で、存分に舞おうではありませんか」
白いマントを翻し、青銅色の美女はこれまでの緩やかな物腰を一変させ、獣の神官どもへと駆け──いや、翔び出したのだった。




