73・外より来る神
「ずいぶん手酷くやられたものね」
「……くそっ、あの籠手野郎……! 今度会ったらただじゃおかねえ……!!」
獣魔神の使徒、メデューサとベルセルク。
二人がいるこの場所は治療院ではない。
この王都クラウダイスで最も治安がよろしくない(どこの都市にもそういう吹き溜まりはあるのだ)エリア──南西区域の端にある安宿に、二人は移動していた。無論、そのまま治療院に残ってユーロペラ王女に襲撃されるのを恐れてのことである。
「意外な伏兵もいたものね」
「この手で必ずぶちのめしてくれる……!」
人のいない宿のロビーの隅。
椅子から立ち上がり、包帯を剥ぎ取りながら熊頭──ベルセルクが怒りを燃やしている。
重傷だったその傷は早くもほとんど治りつつあった。獣魔神の使徒として与えられたスキルのお陰である。
「まだ時期尚早よ。あの連中とぶつかるのはね。向こうもさほど頭数はいないでしょうけど、こちらもそれは同じ。あの王女どもに使徒をやられているのだから」
「ケッ、獣力を宿すことも出来ない未熟者がやられたところで何だってんだ」
「…………」
その未熟者ですら失うのが惜しいのが現状だというのに。
暴れるしか能がないのかこいつは。
メデューサと名乗るこの女性は、仲間の短絡的思考にいささか辟易していた。
自分と同様に『獣力』を受け入れることのできた存在なのだから、貴重な戦力なのだが、あまりにも知恵が足りない。
大会予選にしてもそうだ。
なぜわざわざヌァカタ神の恩恵を受けた者と一戦交える必要があったのか。
あちらの崇拝する神も我らが崇拝する神も、この世界ではまだまだ干渉が弱い。だからこそ使徒たる我々が信者を増やし、与えられた力で世界の理に影響をもたらすことで、その干渉力の幅を広げる必要があるのだ。
いずれは利害の問題から激突するかもしれないが、少なくとも、今はまだその時ではない。
十分に、我らの神・獣魔神テュポーンの存在が世界に根を張るまでは、あえて関わることはせず、土着の精霊と共にある民や、この世界の神の信者を優先して餌食にすべきなのだ。
「頭に血を昇らせるのはそのくらいになさい。我々がやるべきことはこの大陸に獣魔神の教えを根付かせることよ。まさか、私情を優先する、なんて言わないわよね……?」
メデューサの瞳が危険な輝きを帯び始めた。
彼女とて、そこまで気の長いタチではないのだ。仲間のわがままに付き合うのにも限度がある。
「わーってるよ。だからその目で睨むなっつうの。俺が悪かった。な?」
輝きが収まった。
メデューサとしてもこんな下らぬことで仲間を減らしたくもない。いくらベルセルクでもそれくらいはわかっている。
とりあえず一応は怒りを見せ、とりあえず一応は下手に出た。そんな感じのやり取りだった。
「大会でユーロペラ王女に重傷を負わせ、弱ったところを治療院から拉致して、オリハルコンの在りかを吐かせたかったのだけどね」
「しくじっちまって済まねえな」
「まあいいわ。そこまで上手く事が運ぶとは思ってなかったもの」
「ならどうする? 俺じゃない誰かが、あの王女を倒すの待ちか?」
「もう一人のほうに接触しましょう」
「吸血鬼の姫か」
「ええそうよ。あの王女は私の呪いがかかっているからね。そう簡単に解けるものじゃないわ」
実際には今作の主人公たるクリスティラが炙ってどうにかしたのだが、彼女はそんなことを知るよしもなく、いまだスィラシーシア王女が呪いにさいなまれていると誤解している。
この誤解は流石にメデューサを責めることはできないだろう。まさか吸血鬼の知人に聖女がいるなど誰が想像できようか。
「解呪と引き換えにオリハルコンを要求するのか?」
「それが理想だけど、大人しく引き渡してくれるとは思えないわね。最初は突っぱねてくるんじゃないかしら。でも、呪いが進んで深刻な事態になれば、あちらも折れるんじゃない?」
「次期女王が石になるのは絶対避けたいだろうしな、ハハッ」
「オリハルコンを無事取り戻したら、さっさとこの国を離れて獣人国に行くわよ。あそこまで行けば、そう簡単には手が出せないわ」
元は獣魔神と同じ異世界から来訪してきた金属である、オリハルコン。
然るべき儀式を行い異世界への呼び水として利用すれば、絶大な可能性を秘めた依り代となることは間違いない。
ゆくゆくは、膨大な信者の信心を吸い込んだオリハルコンを核として、この世に顕現なされるかもしれない。そうなればこの大陸──いや、この世界そのものが、偉大なるテュポーン神の手に落ちることとなろう。
実際には今作の主人公たるクリスティラが叩いて破壊したのだが、彼女はそんなことを知るよしもなく、いまだオリハルコンが原形を留めていると誤解している。
この誤解は流石にメデューサを責めることはできないだろう。まさか聖女が同胞のかけた呪いを力技でオリハルコンごと打ち砕いたなどと誰が想像できようか。
「だったら交渉が必要だな。なら、また接触するのか?」
「そうね。この王都にまだいるはずだから、探すのもさして苦労しないと思うわ。どうせ、お高い宿にでも泊まって解呪に苦心してるんじゃないの?」
現に、メデューサは蛇の使い魔を四方八方に派遣して、スィラシーシアとそのお付きたるナーゼリサをあっさり見つけた過去がある。
そこまで手間取らずにまた発見できる、そうメデューサは睨んでいた。
その時。
安宿の入口の扉が瞬時に焼け落ちた。
「「!!」」
前触れなく起きた異様な現象に、二人がすぐさま臨戦態勢となる。
ろくに掃除もされてない汚いロビー。そこに、場違いな二つの影が入り込んできた。
白いマントの影と、黒いローブの影。
「な、何してくれてんだアンタら──」
五十過ぎの、腹の出た男性が受付からドカドカ床を鳴らして二つの影に近づき、
「……あ、あ、あぁ?」
白い影と目線が合うと、数秒もたず意識が遠退き、埃やゴミの散乱する床にへたり込んだ。
吸血鬼の瞳には魔力が備わっている。しかも王族のそれともなれば威力はケタ違いだ。
ただの安宿の親父が耐えられるはずもない。
「外にお行きなさい。しばらく戻ってきては駄目よ? おわかり?」
「は、はひ。わらひまひた」
フラフラと夢遊病者のような足取りで、出入り自由となった入口から、親父は外へと消えた。
「お久し振りですね。二人とも」
白い影が、スカートをつまみ、優雅なカーテシーで挨拶をする。
黒い影は憮然としていた。こんな憎っくき奴らに挨拶など誰がやるかと、態度でそう示していた。
「──まさか、太陽が沈む前にそちらから来るとはね。思いもよらなかったわ。しかも、その腕……」
「これですか?」
青銅色の右腕を二人へと伸ばし、見せつける白い影。
「腕のいい聖女がいましてね。その方に解いてもらいましたのよ?」
白い影──スィラシーシア・ル・リュルドガルは、どこか愉快そうにしていた目を細め、
「治療院からどこに行くかと思えば、このような小汚ない小屋とはね。獣に相応しいといえば、まあ、そうかもしれませんけど」
見せつけていた右手の五指全てから、魔力漂う鋭く太い爪を生やした。
「──さて、害獣狩りといきましょうか」




