44・さよなら聖女
「うあぁ、そんなぁ、こっちまでぇ! 痛い痛いいだぃいい! あぁぁおどうざまああぁぁ!! ブゥルドォンゥざまぁああぁ!」
とうとう左手までやってしまった聖女ダスティアが苦痛と絶望に泣きわめき、顔中ぐちゃぐちゃの汁まみれにして父親や婚約者を呼んでいます。
汚っ。
あと漏らしてそう。
同情する気は毛頭ありませんがね。身から出た錆です。何回目の錆でしょうねこれ。
あとフールトン様を頼っても無駄じゃないですかね。役に立ちませんよあんな引きこもり。下手したら廃嫡されてるんじゃないですか。
この方が誰に助けを求めようが知ったことじゃないですけどね。
それくらいは好きにやらせてあげましょう。
まだ鉄腕は健在なままですから念入りに叩きのめして始末したいのですが、ここまで哀れで情けない姿をさらされると気の毒な気も……いや、それは無いですが、トドメまでやる気が失せてきてるのは事実です。
どうしたらいいものか。
二度はないぞと、サロメに頼んで、逆らえないような呪いでもかけて手打ちにしたくなってきました。そんな呪いがあればですが。
「このわだくじにぃ、こんなごんなごんなぁああ! ちぐじょおおおーーっ!」
「しつこいなぁ」
まだやる気なんですね。
頑張って痛みを堪え、立ち上がりながら私めがけて鉄腕で殴り付けようとしますが、そのトロい動きでは避けてくれと言わんばかりです。
適当に避けつつこの方の処遇を考えてもいいのだけど、でもしつこくやられてもウザいので、回避したついでに、動きに精彩を欠く彼女の膝でもバシンと叩いて割っておきます。
「えい」
聖女の右膝に魔獣の顔をぶつけました。
「いぎぎぎぃいい!!」
足の踏ん張りが半分になり、つんのめって体の前面で大地を擦りながら転倒する聖女。面白いくらい酷い目にあってくれますね。
これで走ったり跳んだり逃げたりできなくなりました。
自力で治そうにも彼女の力量ではそれも無理なことです。
「なぜ、なんでぇ!? あぁ痛いぃっ! わたっ、わたくしはダスティア、ダスティアなのにぃ! それなのにぃいいいい!!」
「だからじゃないですか?」
どこまでいこうと誰かにすがるしかない、借り物の力で粋がるしかない。だからこうなってるんですよ。
でもわかりませんよね。
言ったところで受け入れもしないと思います。
だってあなたはダスティアですから。
だから、あなたはこんな末路になったのですよ。責を他人に押しつけ、被害者ぶるだけで反省という概念が抜け落ちてるあなたにはお似合いの末路です。
「そうだ、忘れてました」
こんな人のダメダメさなんかどうだって構いません。それよりも。
「まだ続けます? それともやめて命乞いしますか? 後者なら豚さんの真似してもらわないといけませんが」
だって私は豚さんですから、人の言葉はいまいちわからないんですブー。だから豚語でよろしくしまブー。
と付け加えて説明すると、現状を受け入れられなくなり混乱しながら苦しんでいた聖女ダスティアが、恨みがましいしかめっ面で私と目を合わせてきました。
「……こっちも決してるようだな」
「あはは、僕らが一番早かったね~」
「あはは、大したことなかったからね~」
三人が近づいてきました。
こちらに気を取られていましたが、彼らのほうも終わったようです。
「──ひっ」
自分達のノルマをこなしてきたリューヤと双子、それと私の四人に囲まれて、いよいよもって恐怖が憎悪を上回ったようです。
ついに聖女の口からひきつった声が漏れました。
逆転の目も、手下もなくなり、どうしようもありません。
囮として用意した遺跡の中にまだいますが、そちらももう何の音も声もしないので、ケリがついてるのでしょう。どちらが勝ったかなど考えるまでもありません。あの程度の人数で魔神をどうにかできるはずがないのですから。
この方に残されたのはその右腕のみです。
……いや、まだ一人そこにいますね。
私がそちらに顔を向けるとそれでようやく思い出したのか、聖女ダスティアが派手な喪服女に助けを求めました。
「たっ、助けて! 助けなさい! わたくしはっ、わ、わたくしはこんなところで終わるわけには、こんな馬鹿な、こんなこんなこんなぁ! あってはならないのよぉ!!」
支離滅裂な、それでいて高慢さもある懇願を必死にする聖女でしたが、
「お断りします」
「早く助けっ…………え? え、えぇ、えええ……?」
キッパリ撥ね除けられました。
聖女様は困惑なさってますが、私はまあそうなるだろうなと、なんとなくですが、ぼんやりと確信していました。
確信っていうか直感というか……そんな感じです。自分でもよくわかりませんが。
「エターニアに表立って拠点を置けるのは悪くない話ですが、何が何でもそこまで欲しいわけでもないのですよ。あなたを使った神の聖水の実験もそれなりに成果がありましたから、これ以上望むのは欲張りというものです」
「そ、そんな」
「無敵の腕の性能や破壊力も、直に確かめることができましたからね。さらに磨きをかけることで、我らの神に奉納するレベルに到達する日も、そう遠くないことでしょう」
「こ、このっ、聖女であるわたくしを、おのれっ! つ、使い捨てる気ぃっ!?」
「所詮、紛い物の聖女ではありませんか」
「ぐぎぎ……い、いぃ、言うに事欠いて……!」
葬式帰りの赤ケープが、こぼれた水をすくうかのように手の平を上にして、右手を胸の高さまでスッと上げました。
「それは返していただきましょうか」
ブチリ
「ぎゃ……」
ブチィイイイイッ!!
「うぎゃあああああああああ!!!」
絶叫がこの場にいる全員の鼓膜を乱打しました。
内部に収納されている使い物にならない右腕ごと、鉄腕が喪服女のほうへと飛んでいったのです。
聖女ダスティアは、今度は根本から引きちぎられた右腕の痛みに悶絶しながら、大量の血液を噴出していました。この量では今から止血しても駄目でしょうね。
なのでさっきの叫びは事実上の断末魔だったと言えるでしょう。
「は、はひっ、ひぎぃっ……」
もはや死を待つのみといった様子の聖女に対し、誰も手を差し伸べようとはしません。それどころか手を奪い取る者すらいるくらいです。しかも味方が。
「──今回は良いデータが取れました。わざわざ出向いた甲斐があったというものです」
感情の機微を一切感じさせない、それでありながら流暢な言葉。
そのあまりに噛み合わない喋りに、薄気味悪くなってきました。
「勝敗は決しました。幕引きですね。そろそろ私は失礼させてもらいましょう。では、ダスティア様、どうぞごゆっくり」
その足元に光る魔法陣が現れたかと思うと、強い閃光が放たれ──かき消されるように、喪服女がいなくなりました。
魔法陣も消失しています。
「なんだと……」
「嘘っ、まさか転移魔法なの……!?」
間違いありません。
模様こそ、あの鉄腕に彫られていたおかしな文字でしたが、光を放ち発動する一連の流れはサロメが使ったものとほぼ同一です。それを現代の人間が使うなど……信じられません。ヌァカタ神とかいう存在の力を借りているのでしょうか?
はっきりと断言はできませんが、あり得ないこともないですね。
「おーい、終わったわよー」
豪快に腕を振りながら、遺跡のほうからサロメが小走りでやってきます。
振っていないほうの腕は、あの浅黒い少年を脇に抱えていました。力が抜け、なすがままという風情です。
どうやら殺されずに済んだようですね。
これからのやり取り次第ではあの世に行ってもらうかもしれませんけど。
「……あれ、どーしたの? なんか苦い顔してるけど」
顔も衣服も返り血にまみれたサロメが、のんきに聞いてきました。
これだけ血まみれで美貌が揺らがないどころか凄絶な美しさになっているのについては、もう何も言えませんね。魔神パワー恐るべしです。
それはそうと。
「あ、ああ、そうですね。何でもありません。一人逃がしましたが、後は終わりました」
そう。
愚かで身の程知らずな聖女様は、指のほとんど無くなった左手を私のほうに伸ばし、すがるような形で倒れていました。
念のためリューヤが脈だの息だの調べましたが、何も言わず、右手を左右にパタパタしました。
これが、私と聖女ダスティアとの面倒な縁の、終わりです。




