111・錯覚の聖女(見習い)
『軽挙迷妄』
それが、ルミティスの家系に脈々と流れ伝わるスキルの名です。
歴史を感じさせる大袈裟な名称ですね。当初はもっとあっさりとした呼び方してたんじゃないでしょうか。『錯覚』とか『空振り』とかね。
「だいたい理解できた。つまり、方向や距離感を狂わせてしまうスキルってことか」
「そのようです。僕の知る限り」
「リューヤの戦い方に似てますね。あの、捕らえどころの無い、煙みたいな動きの」
「俺もそう思ったよ。中身は似て非なるものだがな」
「あまり突っ込んだところまで聞いたことはないので、まださらに切り札があるかもしれません」
スキルの真価について深く教えてないのは僕もなので、そこはお互い様ですけどね、とオレンティナは付け加えました。
それは当然です。
切り札とは知られてないから切り札たりえるのですから。おいそれと気休く他人にいえるものではありません。言えるなら、それは十中八九嘘っぱちです。
だからこそ、オレンティナもルミティスも、互いにそこまで突っ込んだ話をしなかったのでしょう。暗黙の了解というやつです。
それからルミティスは、さして時間もかけずに大顎二匹を始末してから死にかけの一匹目にトドメを刺すと、
「いかがでしたか!?」
こちらに軽い足取りで駆け寄りながら清々しい笑顔を上気させ、私に聞いてきました。
その瞳には、角兜や漆黒のマントをまとう私の姿しか映っておりません。
彼女はさながら忠犬のごとく、お褒めの言葉をいまかいまかと待っています。尻尾があったらパタパタ左右に振りまくってるでしょうね。
「上出来です」
ちょっと褒めすぎな気もしますが、このくらいならいいですよね。褒めるべきときに褒めないと伸びないと思いますので。
素人師匠の考えですから指南指導として間違ってる可能性も大いにありますが、いかがなものでしょうか。
「んぉふふぅ、そうですか、そうですか! やりましたか私!?」
「は、はい」
「あははやったぁ!」
跳び跳ねて喜ぶルミティス。
顔が隠れていたのが幸いしました。
初っ端の気色悪い濁った笑い声が気持ち悪くて、私の表情はぎこちない微笑みになっていたでしょうから。
でもルミティスには見えていませんので、そんなの気にせず喜んでます。
喜びすぎな気もしますが、でも高慢さが見え隠れする普段とのギャップで可愛げがあっていいですね。
その可愛さをもってしてもオークがむせたようなさっきの笑いは庇いきれませんでしたが。
旅商の方々はというと、そんな彼女の手際と実力に舌を巻いていました。
シルバービートル三匹というのは並の冒険者でも少しは手こずる数と強さです。
それをルミティス一人がレイピア片手に傷を負うことなくやっつけたのですから、驚愕するのもわかります。
これは私の予想ですが、きっと──いや確実に、彼らは我々の実力を不安視していたに違いありません。
自分達の護衛が、よりによって、二十歳をちょっぴり越えた女性を筆頭に、十七歳の少年二人と、十四歳の少女二人。
そんな子供達に守られながら自国と隣国を往復する。
不安になるなというほうが無茶です。いくら豪商ガルダン家の肝いりであり、一見弱そうでも魔法やスキル持ちの手練れがいる業界とはいえ、やはり私達は頼りなく見えたでしょう。自分たちだけで魔物や盗賊を叩きのめすしかないと、そう覚悟していたはずです。
その悲壮な覚悟も今のルミティスの活躍で霧消したでしょうね。
「か弱そうな見た目にそぐわぬ実力者揃いだと、これで安心してくれそうですね」
「あんたは頼り甲斐ありそうだろ」
リューヤが私のほうを見てニヤリと笑いました。
「当然です。暗黒騎士ですからね。リーダーさんにも伝えてあります」
「伝えたのか……まあ、それはいいとして……なんて言ってた?」
「怖がったり不気味がったりするかと思ってたのですがね。静かな表情で生返事するばかりでした」
「それが自然な反応ってやつだよ」
「何故」
「そこで疑問に思う時点でもうアウトなんですよ。クリスちゃんにはわからないでしょうけどねぇ」
イラッ
魔獣バーゲストの頭がついた杖で小突いてやろうかと思いましたが、敵もさるもの。
私のムカつきを感じ取ったのか、リューヤはそそくさと先頭馬車のほうへと逃げ去っていきました。
本来なら追いかけて問い詰めるか叩きたいのですが、今は仕事中です。やるべき事をほっぽり出して私情を優先するべきではありません。私はそういうとこ几帳面なので。
ここは逃がしてやりましょう。
リューヤの性格と口の悪さからして、どうせまた似たような機会はあります。あの野郎に悔い改めさせるのはその時を待てばよいのです。楽しみですね。
「あの、僕のスキルですが……どうします?」
少し怯え混じりの様子で、オレンティナが聞いてきました。
私の苛立ちを感じ取って緊張してるのでしょうか。
「ん~……、どこかで休憩したときにでも、見せてもらいますね」
リューヤとの一件は忘れ、オレンティナの心をほぐすように、明るくほがらかに返答しました。
この子のスキルを知りたいことは知りたいですが、そのためだけに運送の進行を止めるのもね……。
ただでさえ魔物と早めに遭遇しているのですから、さっさと進まないと、これじゃこの先どれだけ襲われて時間を食うかわかったものじゃありません。
二度あることは三度あるとも言います。
余計なことは控えながら行かねば。
コロッセイア内でもうこれなんです。国境を越え、エターニアの領土に入ったときが怖いですね。恐るべき遭遇率を叩き出しそう。
単体や群れならまだいいけどスタンピードは勘弁してほしいものですが……どうなることやら。
「でしたら、昼頃に食事や休みを挟むでしょうから、そのときにでも披露しましょうか」
「そうしてくださいな。この調子だと当初の予定からずっと遅れかねません。まだ出発間もないのにこれですもの」
「承知しました。我が師よ」
オレンティナは一礼すると、自分の定位置である、前から二番目の馬車横へと戻っていきました。
彼女のスキルを知ることが出来るのは、はまだ少しだけおあずけのようです。
──オレンティナがスキルを見せてくれたのは、それから数時間後のことでした。
さっきの予定通り、昼の休憩時。
「大したものでも、派手なものでもありませんので、そう期待なさらないでください」
地味ですよと事前に釘を刺してから、オレンティナが、木を歩きました。
よじ登ったのではありません。
木の幹を歩いたのです。
そんなことをしたら普通は地面へと倒れ込む未来しかありません。
でも彼女は平然とそのまま歩き続け、落下することなく大きな枝をくるりと一周してから、元来た道ならぬ幹を歩いて降りてきました。
「重力や、固さ柔らかさ、安定感や丈夫さ等を無視して、どこでも歩ける。これが僕のスキル、『歩行』です」
いかにもこの子らしい、外連味の欠片もないネーミングでした。




