アンナさんを返して!
向かった先は、補給室。
鉄の扉を何とか開こうと、取っ手を引く。開かない。体重をかけて引く。開かない。しかし中に誰かがいるような。僕は叫びながら、扉を叩く。
「アンナさん! アンナさんいる!?」
返事は、ない。
ざぁっと寒気に襲われた。顔から血の気が引いていく感覚。体中の血が体温を失ったかのように、体が震えた。
アンナさんは一人で命をかけて、一人であの地獄に耐えている。この奥で、死より残酷な苦痛を味わっている。その事実があまりに非情で、僕にはとても抑えられなかった。
「……くそっ!!」
扉を殴りつけ、その場に崩れ落ちる。
そんな僕の肩を、誰かが叩いた。驚きに身を引きながら振り返る。ローセ教官が、今まで見たこともないような無の表情でこちらを見ていた。
僕はすがるように、責めるように、彼女に詰め寄る。
「アンナさんに会わせてください!」
教官の表情は変わらなず、全く温度を感じない。
「……君たちの当面の戦闘不参加を条件に、危険地域に出征してもらってるから」
「そんなこと……勝手に決めないで!」
「決めるのは彼女だよ。今の隊長は彼女だからね」
夢だ、冗談だ、そう思いたい僕がいた。しかし同時に、夢でも冗談でもない、勘違いでもないと理解している。
ローセ教官の胸ぐらを掴み、壁に反響することもいとわず怒鳴る。
「アンナさんを返して!」
「知り合ったばかりの他人がどうなっても、君に害はないだろうに」
「そんなことどうでもいい、理由なんてない! アンナさんは絶対に助ける!!」
「君はさ、自分が何を言っているか分かってるの?」
教官が僕の手首を掴む。びくりともしないほど力が込められ、痛みが広がっていく。
「彼女は今世界を担っている。それを止めることの意味、分かってる?」
僕は、掴まれていないほうの腕で、壁を殴りつける。
「分からない……っ」
怒りをこめて、教官を睨みつけた。
「僕には助けない理由のほうが分からない!!」
沈黙。教官は目を逸らし、はぁ、と呆れたようなため息をつく。
「いいよ」
「……えっ?」
「私は助けないよ? でも助け方は教えてあげる。もちろん、その方法を強要はしないけど」
「本当に!? ありがとうございます! 教えて下さい!」
教官は僕の手を離す。次に、つんと僕の胸元を指さした。
「君が代わりになればいい」
「え」
「簡単な話じゃない。上層部がどう判断するか分からないし、とてつもない努力が必要。君は血のにじむような努力をしてまで、あの地獄に向かっていくと言うの?」
つい先刻の話だ。
悪魔憑きが現れても、僕は戦わなかった。逃げることすら考え、銅像のように固まって、見たくないからと目を閉じた。勇気があるかないか。そう聞かれたら、決してない。
恐怖は、消えていない。
「やります」
「……いいの?」
「怖いし勇気も出ない。絶対にやりたくない。……アンナさんも、同じだと思うから」
一瞬、ローセ教官が泣き出しそうな笑顔を見せた。だが、すぐに僕に背中を向ける。
「そういうことらしいよー?」
誰に対してか分からない語りかけ。不思議に思っていると、廊下の曲がり角から声がした。
「はいはい、聞いてたわよ」
この騎士団では珍しい男性の声。そこから現れたのは勉先生だった。
柔らかい笑みをたたえているが……全て知っていたのかと思うと不気味にも感じる。そんな僕の警戒を知ってか知らずか、勉先生はおどけるように肩をすくめた。
「アンナちゃんの代わりになるには、アンナちゃんより強いと証明する必要があるわね」
「そだね、私もそう思う。でもカタリちゃんは今実戦に行けないから、実戦以外で示さないといけない」
「簡単な話よ。アンナちゃんに勝てればいいの」
話についていけず、黙ってしまう。だが僕の疑問は届いたらしく、勉先生は答えた。
「まずローセちゃんがカタリちゃんの評価を上げる。逆にアタシはアンナちゃんが不安定だと診察結果を出す。その上で、あなたが勝つの。座学は無理だろうから、ノマドをとって戦うのよ」
意気揚々と説明する勉先生の横で、ローセ教官が心配そうに眉尻を下げる。
「でもアンナちゃんも本気で戦ってくる。この前までならまだしも、今の彼女は何十回もの実戦を終えている。神高級悪魔憑き討伐記録まであるんだ。そんな彼女に勝つための訓練は、きっととっても厳しくなるよ」
今まで僕は自信がなかった。だからこそ、何もしない人生を歩んできた。
だが。自信のあるなしに関係なく、やらねばならないときがある。その感覚を得ることができた。意外とすぐに覚悟が決まり、どんっと自分の胸を叩く。
「頑張ります!!」
「……そっか。じゃあ訓練をはじめるから、先に行って準備運動してて!」
「はい!」
温かい笑みを浮かべる二人を置いて、僕は駆け出した。
私は、勉くんのように割り切ることができなかった。
カタリちゃんが犠牲になるか、アンナちゃんが犠牲になるか。どちらにせよ、教え子を地獄につき落とすことに変わりはないのだから。
そんな私とは裏腹に、勉くんは平気そうに笑っている。
「ローセちゃんは優しいわね? 成績の改ざんなんて、バレたら死ぬわよ?」
「勉くんもね。診察結果の改ざんも大概だと思うけど?」
彼はくるりとこちらに背を向ける。
「限界が近いのは事実よ。それに」
「それに?」
「アタシたちにはもう……犠牲になる順番を、少し変えることしかできない。あれだけ強く望むなら、思い通りにしてあげましょう」
私たちはか弱い大人だ。
去っていく勉くんの背中を見送りながら、自分の非力さに絶望し、壁を殴りつける。今の私は、小さい頃に「なりたくない」と祈った姿そのものだ。
「何かを変えられるときが来たら……」
誰にも聞こえない声量で。
「身を捧げてでも……やってみせるから……!」
小さな小さな、決意をした。
その日から僕は、自分のすべてを訓練にぶつけた。
シャトルランはつらいから離脱、なんてもう言えない。他の団員が休憩している間も走り続けたし、訓練時間以外も体力つくりに励んだ。
自分のノマドの特徴も理解し、徹底的に戦いのテクニックを学ぶ。座学も戦いには必要だが僕はもう手遅れだからと、座学を免除してもらい、夢中で力をつけ続けた。付け焼き刃でアンナさんに勝つために、どの時間も犠牲にした。
僕はアンナさんよりはやく、同期の誰よりもはやく実戦を経験した。
だがそんなこと、手を抜く理由にも、自信を持つ理由にも、満足する理由にもならない。圧倒的な力の差を見せつけなければいけないのだ。
「カタリさん!」
水を持って駆け寄ってくる人影。千夜さんだった。腕立て伏せの形が乱れ、僕はその場に崩れ落ちる。起き上がって、水をもらった。
彼女とはほとんど話す機会がなかった……というより、話すことを避けていた。本当のことを言えば彼女はきっと止める。最悪、自分が代わりに、と言い出しかねない。
だから千夜さんは何も知らず。こうして、心配そうに僕を見つめていた。
「その……ずっと気になっていたんですが……何でいきなり、そんなに……」
「え、えっと」
嘘は下手だ。その自覚がある。目を合わせていると見抜かれてしまう気がして、訓練場の床のラインに視線を落とす。
「あ、アンナさんが連れて行かれちゃったのは知ってるでしょ? 僕が次の敵に勝てば解放してくれるんだってさ……!」
「私はお力になれますか?」
彼女はまっすぐな瞳で僕を見つめる。
どう返すべきか悩んでいると、背後からローセ教官がやってきた。
「私が話をつけたときに、『カタリちゃんが!』って言っちゃったからなぁ。千夜ちゃんにできることはないかも」
「そう……ですか」
「傍で支えてあげるのはどう? 水渡したりマッサージしたり、タイム測ったりさ」
どこか釈然としない、と言いたげではあったが、千夜さんはこくりとうなずく。その健気な姿を見て、絶対に巻き込んではいけないと、改めて心に決めた。
体力、腕力、素早さ、体術、器用さ、武器の扱い方。強さの何もかもを手に入れたい。
自分は聖人にはなれない、常に黒いもやが心のなかに遭った。苦しむために努力するのか、そこまでして他人を助ける必要があるのか。いつか絶対後悔するぞ、と。
だがそのたびに、自分を奮い立てせた。助けてくれた人を見捨てるようなクズにはなりたくない。この件に関しては、何一つとして譲れない。
僕は絶対、隊長になる。今度こそ本物のリーダーになりたいんだ。