連れて行かないで!
「逃げる方法……?」
ニナさんが不安そうに訊ねてくる。
部屋に戻った僕は、こころさんとニナさんに事情を説明した。アンナさんが隊長として上に掛け合うこと、うまくいかなかったときのために逃げる方法を探そうという提案。
だが、二人の反応はあまり芳しくないものだった。
「痛いのは確かですけどー……」
「周囲の人に迷惑をかけるし、指名手配もされるだろうし……」
二人は俯いて、テーブルに視線を落としたまま黙り込む。僕自身考え無しで発言していたので、言い返すことができなかった。
隣の千夜さんは、諦めずに提案を続ける。
「逃げ出した後、マスコミあたりに情報をリークするのはいかがでしょう? このような非道な所業が行われているとなれば、世論が私たちの味方をするかと」
しかし、意外にも、真っ先にこころさんが反論した。
「悪魔憑きを倒す人間がいなくなるでしょーが。あたしはもちろんあんたたちも、犠牲を払う覚悟はできていたはずでしょ?」
何度も言える。意外だ。彼女がここまで世界を守ることに真剣だったとは。失礼ながら見直したし、同時に厄介にも思ってしまう。ここまで決意を秘めた瞳を、変えられる気は全くしない。
こころさんは表情一つ変えずに、僕をじっと見つめてくる。
「ノマド騎士団は正義の味方。ここに来た時点であたしたちは仲間でも友達でもない。戦友でしかないんですよ」
「で、でも、僕は仲間のつもりなんだ」
「もう一度よく考えてください。あたしたちがどうしてここに来たのか。どうしたいかではなく、どうすべきかを」
「僕は!」
正面に座っていたこころさんが、すっと立ち上がる。こちらを見ることなく、扉の方へ向かった。
「やっぱり、『そう』なんでしょうね……」
出ていってしまった。
ニナさんを見る。彼女は見られていることに気づき、すぐ視線を落としてしまった。
「私……私も、こころが正しいと思う」
「そんな……! 僕は君たちを大切な友達だと思ってる、世界のために犠牲にはできない!」
「犠牲になる覚悟でここに来た。……でしょ?」
ニナさんはそれ以上何も言わず、こころさんと同じように部屋を出ていった。
隣にいる千夜さんを見る。彼女の気持ちが気になった。問わずとも彼女はそれを理解し、悲しげに笑う。
「悔しいですが……世界を救うのは綺麗事だけではないと散々言われて、それでもなおここに来た、というのは事実ですね」
「千夜さんも、二人に賛成?」
「よく分かりません。ただ、あなたに救われた命ですから。あなたが道を違わない限り、協力する覚悟でいます」
僕は両膝の上で、ぐっと拳を握る。
今はアンナさんからの情報を待つしかないのか、僕にできることはないのか。何かがしたかった。悪魔憑きから世界を守りながら、仲間が酷い目に遭わない方法を探したかった。男だとバレない内に。
だが、犠牲になる覚悟がない僕がおかしいと。そのためにこの騎士団はあるのだということも理解していた。
「ところで、あの」
千夜さんは、真剣な表情で、まっすぐ前を見据えていた。
「この騎士団では、不自然に部屋があくと聞いたんです」
「あ……」
夜野先輩も同じことを言っていた、と思い出す。
「殉職、もしくは自分で死を選んだんだと思います。でも、それって少しおかしいですよね」
「な、何が?」
彼女はこちらに向き直って、自分の胸に手を当てる。
「私が実戦で死亡していたらどうなると思います?」
「……いなくなる、かな」
「はい。二度と家には戻れません。そしたら家族も気づく。一年も経てば面会だってある。だというのに、この騎士団で人が死ぬ事実を隠しきれているのがおかしいんです」
確かに、と言う他なかった。
仮に僕が死ねば、父さんと母さんが騒ぎ立てる。マスコミや警察に行くだろう。何ならここに乗り込んできかねない。しかし騎士団ができて十年、そのような話は聞いたことがない。輝かしい勲章の話を聞くばかりだ。
答えが見つからない。どんなに悩んでも、真相に辿りつけない。そんな風に考え込んでいると。
むに。
千夜さんが、僕の頬をつついた。
「んっ?」
「表情が固いです。いつもの脳天気なお顔が素敵ですよ」
「そ、それ褒めてるの……?」
「ええ、とっても」
からかわれていることはすぐに分かった。しかし楽しそうに笑う千夜さんを見ていると、怒りは全くわいてこない。
「……千夜さん、付き合ってくれる?」
「えっ!?」
「この企みに乗ってくれたら、嬉しいんだけど」
「あ、そ、そういう。そうですね……いいですよ、あなたが悪に染まらない限りはどこまでも付き合います。そしてカタリさんが闇に囚われたら、全力で連れ戻しますから」
この女性はとてもきれいな人だ。彼女の笑みを見るたびにそう思う自分がいた。
見つめ合っているといつも目を背けてしまう千夜さんだが。今は視線を逸らさない。恥ずかしそうにしつつ、少しずつ近づいてくる。そのうち彼女は、僕の両頬を包んで……。
「お邪魔します」
千夜さんはばっと両手を離し、僕と距離をとる。突然の来訪者にとても驚いたらしく、顔を覆って俯いてしまった。
入ってきたのは……夜野先輩だ。相変わらずの無表情で、千夜さんのほうを見やる。
「……大丈夫か?」
「……はい……」
先輩は僕たちの正面に座った。テーブル越しだが、まっすぐ射抜くような瞳に刺されそうだと感じてしまう。
「突然来てすまない。少し話したいことがある。……補給のことで」
考えてみれば当然のことだ。ここで最強と呼ばれている彼女が、補給について知らないわけがない。僕と千夜さんは、静かに話の続きを待つ。
「まずは、話す機会があったにも関わらず、何も言えなかったことを謝る。口止めされていたというのは言い訳にしかならない」
「仕方ないことだと思います。僕たちも手厳しいほどの口止めをされましたし」
「思ったより冷静なんだな」
「さっきまでは大荒れでしたよ。仲間のおかげで落ち着けました」
「そうか……」
先輩の瞳は、何も映していない。僕のほうを向いているが、僕を目に入れていないかのような。ブラックホール。そんな色をしていた。
この人はこんなに虚無感の強い表情をしていただろうか。僕はしっかりと彼女を見られていなかったようだ。
「とにかく本題に入ろう。まず私とカタリで子どもを作る」
「は!?」
「ゲホッ!!」
大声が出た。千夜さんも隣で激しくむせている。
「せ……先輩? い、意味分かってます? というか、補給の話がしたかったのでは?」
「補給の話に間違いない。お前たちもあの補給をやめたいと思っているだろう。だから、提案をしに来た」
「僕には全然意味が分からないし、今後も理解できる気がしません」
正直な気持ちを伝えると、夜野先輩は仕方ないなと言いたげに咳払いをした。
「魔王と女神の話は聞いただろう。最強の悪魔憑きである魔王を殺すと、願いが叶う」
「わ、私も少しは聞きましたが、それどうしてカタリさんとの子どもに繋がるんですか!」
「今この世界に魔王がいないことは、上層部が突き止めた」
「だから、カタリさんは関係ない……っ」
「殺そう」
突飛でもない発言に、僕はひゅっと息を呑んだ。食って掛かっていた千夜さんも、言葉を詰まらせている。
まだ話を把握できていない。だが、恐ろしいことを聞かされる予感がした。
夜野先輩は、まだ分からないのかと言いたげに僕を見ている。
「カタリ……カタル。私達が魔王を生んで、殺すんだ。私は魔王を生む方法を知っている」
「……夜野先輩。僕には、あなたが正気だとは思えない。自分が何を言っているのか、分かっていますか?」
「分かっていないのはお前たちだろう? だから説明している」
思わず、僕たちの間にあるテーブルを叩く。
「殺すために産むってことですか!? 子どもを産むときは幸せにする準備を整える、そんなの平和ボケしてる僕でも理解してますよ!! あなたは正気じゃない、絶対に許されないことを言ってる!!」
その一瞬。
空気が固まった。
彼女は。
虫に怯えていたか弱い女性とは思えないほど、暗く冷たい笑みを浮かべたのだ。黒薔薇が咲き誇るような、流れた血液を浴びるような。くだらないと吐き捨てるように、僕の言葉を一笑に付す。
「正気でいられると思うか?」
彼女はテーブルから身を乗り出し、僕の頬に手を添える。
「よく聞け。補給のことを、よく思い出せ」
「そ、それは……今は思い出したくないです……」
「思い出してもらうぞ。まず、爪の先端を掴まれる。ゆっくりゆっくり引き上げられて、剥げれていく。同時に血が出てきて、指先が濡れる感覚を覚える。床をかきむしった瞬間の激痛で体が痙攣する。空気に当たるだけでもつらいのに、釘の先端が当たって……」
「……っやめてよ!」
叫んで、先輩の手を振りほどく。夜野先輩は相変わらず、不気味に笑っていた。再び僕に触れようと、手を伸ばしてくる。
「私のように壊れる前に、魔王を作ろう。一緒に我が子を殺そう。寄り添って、我が子の首を締めるんだ。それとも補給の毎日を過ごしたいか……?」
「……っ」
毎日。
そうなれば、僕もこの人のように壊れてしまうだろう。どうにかできる方法があるのなら、どんなに非人道的でも仕方ないのではないか。何かを救うためには何かを犠牲にする。そうできている世界なのだ。
僕は……、
「やめてください!」
聞こえてきた声は、千夜さんのものだった。千夜さんは先輩の手をはたき落とし、横から僕のことを抱きしめる。強く強く、戻ってこいと言うかのように。
「正直、どう止めればいいのか分かりません。将来、あなたの言うことを聞いていればと後悔するかもしれない。……でも」
僕を抱きしめる手に、力が入る。
「でも……嫌です、そんなの」
その悲痛な声を聞いて、僕は我に返った。千夜さんの手に、自分の手を重ねる。
「ごめんなさい、夜野先輩。……僕はまだ壊れてないみたいです。そんなのは、最悪です」
「……後悔する前に、私のもとへ来い。待っている」
案外あっさりと身を引いた先輩は、ドアから出ていこうとする。彼女の背中に向かって、僕はひとつ告げた。
「先輩の壊れた心は、そんな方法では癒せないはずです」
先輩が振り返る。その笑みは、先程までとは違う、人間的なものだった。
ああ、彼女はまだ『生きている』。そう確信できた。彼女は壊れているが、幸せに向かって努力している。方法が間違っているだけなのだ。
「これだけは信じてくれ。……お前のためでも、あったんだ」
扉が、閉じられた。
結論から言えば、解決策は思いつかなかった。
こころさんが目を光らせているため、うかつに相談することもできない。だからといって、夜野先輩の申し出を受ける気にもならない。あれ以降実戦はないが、いつ駆り出されるか分からない。即座に動き出さなければいけないのに。
アンナさんが戻ってくれば、少なくともニナさんは説得できるかもしれない。それにアンナさんが解決してくれるかもしれない。今は待つしかないのだろうか。
コツコツと歩いていると、食堂に辿りつく。大勢の人が集まっている。この中にも、補給を経験している人たちがいるのだろうか? 楽しそうに会話をしている先輩たちも、地獄を見たことがあるのだろうか?
ダメだ、と首を横に振る。最近は補給のことしか考えられていない。気分を変えるために、僕は食堂で食事をすることにした。
「野菜炒め十人分で」
席に座って食事をはじめる。もうすぐ食べ終わるというところで、目の前に誰かが座った。
顔を上げる。偉そうに足を組んだ、軍服を着た女性。話す前から横柄な態度が気になってしまい、言葉が出ない。
「……余の顔に何かついているか?」
不敵な笑み。僕は威圧されつつも、首を横に振る。
目の前に座られたところで困ることはない。さっさと食べ終わらせて、この場を去ってしまおう。
最後の皿を重ね立ち上がろうとすると、相手から声をかけてきた。
「夢尾カタリだったな。母のものではない料理は物足りないだろう」
入団式のこともあり、僕の名は知れ渡っている。名を呼ばれた程度で驚く必要はない。きりがない。
しかし、なぜ母の野菜炒めの話を知っているのだろう。母が料理をするのは珍しいことではない。だが最近は、父が料理をする家庭だって多いはずだ。当てずっぽうだろうか。
それに僕は、当然ながら、この女性の名を知らない。
「あなたは?」
「ん?」
「お、お名前を聞いても?」
「ふっ、貴様が余の名を問うか……辺真<あたりまこと>、と名乗っておこう」
外人にしか見えないが、彼女が名乗ったのは日本語名だった。本名を名乗っていないだろうことは、さすがに察することができた。
ただ僕には、彼女の本名を無理やり聞き出すつもりがない。そうですか、とだけ返した。
「だが、ほんによかったな」
彼女はうんうんと頷く。意味がわからず、僕は沈黙した。
「何だ? 分からぬか? アンナという女のことだ。自分の隊から表彰される人間が出たのだぞ。誇らねば逆に失礼だろう」
「あの、一体どういうことで……」
『ヴーッ! ヴーッ!』
……警報音。
周囲がざわつく。ピリピリとした緊張感、恐怖からの焦り。しかし、騒ぐだけで、誰もがそこから離れようとはしなかった。
僕に対する視線が多く、強い。期待されている。体中に貼りつくかのような目線の数々に、僕は思わず一歩下がった。どくんどくんとうるさい心臓をおさえる。
行きたくない。だが、誰かに行かせるわけにもいかない。自分を犠牲にするか誰かを犠牲にするか。その選択を突然突きつけられた。
そんな僕の葛藤を待つことなく。羽の生えた、人型の悪魔憑きが現れる。狙ったかのように僕の前に。
目をぎゅっと瞑り、何とかノマドを呼ぼうと口を開いたとき。
「畢生ッ!!」
怒鳴るように、叫ぶように。
見知った姿が現れた。
アンナさんは悪魔憑きに向かって飛び込んでいく。目にも止まらぬ速さで、何度も悪魔憑きを切りつけた。
敵はよろめきながらも、アンナさんに向かって右手を振り下ろす。
「はぁっ!!」
しかしアンナさんは、その腕を切り落とした。悪魔憑きの叫び声が僕の耳をつんざく。
彼女はテーブルから飛び、敵の上に乗ると、その首に刃を叩き込む。右腕も首もなくした悪魔憑きは、そのまま地面にひれ伏した。
わっと歓声があがる。僕は我に返ってすぐに、慌ててアンナさんに駆け寄った。
「あ、アンナさん! 大丈夫!?」
「……カタリ……」
彼女はこちらを見る。だというのにこちらを見ていないかのような、虚ろな視線。死んだ魚より暗い瞳、そこに光はなかった。
様子がおかしいことはすぐに分かった。僕はここにいる。しかし彼女はずっと視線をさまよわせていた。僕が見えていないのか、僕を探しているのか……どちらにしろ、普通ではない。
「アンナさん? ど、どうしたの……?」
訊ねたが返事はない。
どこから現れたのか、大げさな足音と共に、軍服を着た集団が現れた。大勢でアンナさんを取り囲み、ふらふらとした足取りのアンナさんを連れて行く。
「ま、待って! アンナさんを連れて行かないで!」
立ち止まったアンナさんを、後ろからどんっと雑に押す人がいた。
囚人じゃないんだぞ。僕の仲間にそんな扱いをするな。そう叫ぼうとしたが、それを阻止するかのように、誰かが背後から僕の肩を叩いてきた。
真さんだ。不敵に笑いながら、こちらを見下ろしている。
「ほんによかったな」
「な、何が……?」
「アンナの表彰の話だ。一人であれだけの悪魔憑きを倒したのだから、評価されて当然ではあるのだがな」
慌てて真さんの両肩を掴む。
「どういう意味!?」
「む? 隊長になったアンナが言ったのだ。自分が一人で戦うと」
ひゅっと息が詰まるのが分かった。真さんは小事だと言わんばかりに笑う。
「全員一度に壊すより、一人ずつ壊すほうが無駄が少ない。当然の話だな。今までそうしなかったのは、アンナのように一人で悪魔憑きを倒せる人間が少なかっただけなのだから」
「は……? な、何で……?」
「何故一人で倒せないのかと聞きたいのか? 補給の回数によるのだ。回数を重ねれば、肉体的にも強化され……」
「何でアンナさんがそんなことするの!?」
彼女は無表情で僕を見下ろす。
「貴様が進言したのであろう。仲間の心を救えと」
そして僕の手を振り払い、スタスタとどこかに消えてしまった。
混乱していた。頭がまともに働かなかった。だがそれでも、どうにかしなければならないと強く強く感じていた。
方法も思いつかないまま、僕は駆け出す。何度も足をもつれさせながら、生まれてはじめて本気で走った。