絶対に仲良くなれない!
しぶしぶ訓練場に向かう。
そこは体育館によく似ていた。バスケットボールのゴールや床のラインがある。しかし舞台やスピーカーがないところから、本当に運動用の空間なのだろう。
足を踏み入れた途端、大勢の新団員の視線がこちらに向けられた。僕を見てざわざわと騒ぎ出す一同に、思わず一歩引いてしまう。
おろおろしていると、教官のような制服を着た女の人が、パンパンと手を叩いた。
「こらこらダメだよ! こんなことで動揺してたらこれから戦っていけないからねー! まああの戦いに驚くのは分かるけど!」
彼女は僕のもとに駆け寄ってくる。
「私はローセ! ここで教官をやらせてもらってるよ! 君がカタリちゃんだね?」
「はい……」
「ちょうどよかった! 今から私が手本を見せるところだから、てきとーに座って見てて!」
遅れたことにお咎めはなく、ひとまず安心する。
他の人とは少し離れた端に座り、真顔になったローセ教官を見つめる。彼女はある程度僕たちから離れると、空中に手をかざした。
「来い、ディアナ」
指が鳴る。
するとその手に、大剣が現れた。ローセ教官はそれを片手でぐるぐると回し、一振した後、肩に置いた。慣れた手つきは、強そうなんてものではない。ある種の美しさ、芸術性さえ感じた。
彼女は再び笑みを浮かべる。
「敵の近くではノマドが出せるよ。騎士団にもアレの死体があって、だからこそ訓練できるんだけど……入団式のときに暴れたやつは、死にきれてなかったんだろうね」
あのときの化け物の姿を思い出し、ゾッとした。ぎゅっと膝を抱く。ローセ教官はそんな僕の様子には目もくれず、説明を続けた。
「さっきのカタリちゃんみたいな例もあるけど、基本ノマドは名前を呼ぶことで発現する」
名前。ということは、とんでもない中二ワードで名前をつけてもいいのだろうか。……黒歴史が蘇るからやめておこう。大人しくローセ教官の話の続きを聞く。
「今後だけど……まず普段は訓練。戦えるようになったら様々な場所に派遣されて仕事をこなす。エネルギーが足りなくなったら補給室で補給。繰り返し。補給は……君たちは寝て待つだけだと思っていいよ」
教官はぱちんと指を鳴らし、武器を虚空に消す。
「じゃ、次。君たちはグループを組む。その組み合わせを発表するよ。まずは噂の夢尾カタリちゃん」
「え? あっ……」
「カタリちゃんのグループは……暮雨千夜さん、夏目こころさん、華麗アンナさん、華麗ニナさん。この5人で組んでもらう。隊長はもちろんカタリちゃんで!」
「え? あっ、えっ!?」
突然のことで、まともに言葉が出ない。
僕は優秀ではない。それに姉さんも、入れ替わってそうそうリーダーをやらなくてはならない……となったら困惑するだろう。
断るべきだと分かっている。分かっているが。
「できるよね?」
恐らく隊長に渡されるブローチが胸につけられる。
心の弱い僕は、首を横に振ることすらできなかった。
と。
迷わず部屋に辿りつけたまではいいものの。
「……」
「……」
「……」
「……」
全員が各々の好きなことをやっていて、会話がはじまらない。それぞれが小さく物音を発する程度で、声をあげようという女性は一人もいなかった。
僕自身コミュニケーションが得意ではなく、誰かが話しはじめてくれればと期待していた。だが、大げさではなく、二十分以上は沈黙の時間を過ごしている。部屋の真ん中にテーブルが鎮座しているが、そこにいるのは未だ僕だけだ。
部屋は決して広くはないが。彼女たちとの心の距離は恐らく広いどころでは済まない。さすがに問題を認知し、勇気を出して口を開く。
「あ、あのー」
全員が、睨むようにこちらを見た。
「……んだよ」
「じ、自己紹介しない?」
「要らないでしょ」
「でも、ローセ教官がしろって」
沈黙ののち、全員が何とか集まった。しかし、本当に面倒だ、勝手にやってろと態度で表しながら。
言い出したのは自分だ。ここはリードしていくべきだと考えて、小さく手を上げた。
「僕……あ、じゃなくて……私から行くね?」
「夢尾カタリ。知っていますよ、うんざりするくらい聞きましたので。私から行きます」
僕の決意をばっさりと切り捨ててから、彼女たちはローテンションのまま名乗っていく。
「暮雨千夜<ボウチヤ>と申します。仲良しごっこはお断りです。以上です」
「あたしは夏目こころ<なつめー>でーす。人間は嫌いなので構わないでくださーい」
「俺は華麗アンナ<かれいー>。二度と俺に話しかけんな!」
「……私、華麗ニナ<かれいー>。一生放っといてほしいんだけど……」
絶対に仲良くなれない! 申し訳ないが、それが最初の感想だった。
彼女たちは同室の仲間だ。これから共に戦っていく。その態度が、これだ。ゲームや漫画なら絆を育んでいくのかもしれないが、残念ながらここは現実。正直を言えば、犬猫のほうが話しやすそうだと感じていた。
苦笑していると、話しかけるなと言ってきたアンナさんから話しかけてきた。
「お前カタリっつったよなァ!? なんてことしやがんだ!」
「え……!? ぼ、私なんかした……?」
「当たり前だろ! 誰よりも強い! 誰よりも立派! 誰よりもかっこいい! 完璧な正義の味方であるこの華麗アンナ様が! テメェみてぇなナヨナヨした女に遅れを取っただと!? んなこと認められっか、この出番泥棒が!! いつかぜってぇボコってやる!!」
理不尽な内容に困惑する。同じ苗字であるニナさんが止めてくれるかと思ったが、その様子はない。テーブルごしでも伝わる敵意に、僕はとことん怯んでしまった。
その隣でこころさんが、心底興味がないと言いたげにしながら、低い声で問いかけてきた。
「この後どーすんですか? タイムスケジュールとかあります?」
「ぼ、あ、私は、聞いてない……」
「あーそうですか、役に立ちませんね」
こころさんはこちらを見ることなく部屋を出ていく。
それに続き、他三人もさっさといなくなってしまった。部屋の中に取り残された僕。静まり返る部屋。いたたまれなくなって、どさっと背中から床に転がる。
「さ、最悪だ……!」
ため息交じりにそうぼやいていると。
「うわぁ!」
隣の部屋から、女性の叫び声が聞こえた。
「きゃああ!」
声が続く。こちらの部屋の中にも響く。間違いなく、問題が解決している様子はなかった。安全さからかけ離れたその声色。僕は咄嗟に起き上がり、廊下に飛び出した。ネームプレートを確認する間もなく、悲鳴の下の部屋に飛び込む。
「どうかしましたか!?」
そう叫びながらあたりを見渡すと、部屋の隅で怯えている女性が視界に入った。
知っている人だった。夜野銀河さん。あのとき共に戦った先輩。騎士団で最も強い、クールで冷たい印象を受ける女性。
……そんな人が。どうして下着姿で、縮こまって怯えているのか。
彼女の視線の先を追う。その先に、カサカサ蠢く黒い物体が。特に女性から嫌われている、好かれることがなさすぎて逆に同情してしまうほど嫌われている、あの虫がいた。
「な、なるほどー……」
僕はゴミ箱の中の紙くずを丸めて、ばしんと虫を叩いた。一発だった。外のゴミ箱に虫を捨て、先輩の部屋に戻り、壁を吹く。その間も、夜野先輩は部屋の隅で震えていた。
念のため手を洗って、挨拶のために先輩の部屋に戻る。彼女はまだ部屋の隅、二段ベッドの影にいた。
「先輩? もうアレいませんよ?」
「そ、そうなんだが。まだ……立てないというか」
僕は彼女のものであろう上着を手に取り、震えるその肩にかける。
このままさようならとは言いづらく、また人道に反しているようにも思えたため、僕は彼女の隣に腰掛けた。安心を与えられるよう、自分なりに満面の笑みを作ってみる。
「夢尾カタル……カタリです! よろしくお願いします!」
「……夜野銀河だ」
「隣の部屋なので、私がいるときはいつでも呼んでください! あれ、でも変ですね。先輩と新入りのぼ……私が隣の部屋なんて」
「あまり珍しいことじゃない。この騎士団寮では、中途半端に部屋があく」
部屋替えが頻繁に行われるのかと予想したが、クラス替えのようなノリでチーム編成が変わるとは考えづらい。団員がリタイアしている可能性、もしくは……。嫌な予想が浮かびそうになり、首を横に振る。騎士団で人が死亡したなんて話は聞いたことがないため、的はずれな予感に違いないと思い直した。
再び笑顔を彼女に向け、ぱんっと両手を叩く。
「そのおかげで先輩と隣の部屋になれたんですね! 嬉しいです!」
「あ、ああ。私も助かった。お前がいなければどうなっていたことか……」
弱々しく肩を抱くその様子から、先程の戦いぶりは一切想像できない。迷ったが、僕は疑問を口にした。
「戦うのは怖くないんですか?」
彼女は驚いたようにこちらを見て、しかしすぐに目をそらす。
「怖いことには怖い。だが、人生は慣れ。怖くても、驚くことがなくなっただけだ」
「そうですか……」
今後の大変な生活を憂いたり、面倒だなとうんざりしたり。いくつかの感情が心に現れる。
しかしそれよりも今は、目の前の女性がかわいそうで仕方なかった。虫一匹でも怖がってしまうか弱い女性が、武器を持って戦わないといけない。その事実が残酷すぎるように思えた。
しかし、すぐに姉と入れ替わりここから出ていく僕が、どうしてあげられることもない。慰めても手を差し伸べてもお門違い。せめて気を楽にしてあげられないかと悩んでいると、先輩がじっとこちらを見ていることに気がついた。
「先輩、どうかしましたか?」
「いや……言えない。今日はありがとう。何も言えなくてすまない」
チームメイトよりはまともに話してくれたと思います! ……と言っても困らせるだけだと判断し、僕は軽く挨拶をしてから部屋を出ていった。
翌朝。訓練開始の日。
もちろん、不安はあった。
だが同時に、「一度は戦った」「初戦闘で勝てた」という奢りもあった。才能があるのかもしれない、楽勝かもしれない。あの入団式は、自信と誇り、そして少しのやる気に繋がっていた。
そして迎えた、初訓練。
「最悪……!!」
誰よりも先に床に突っ伏したのは、僕だった。
周囲のざわつきが恥ずかしく惨めだ。こんなに長いシャトルランがまずおかしい、百を超えただけ褒めてほしい。そう折れた心を慰めようとしたが、アンナさんには鼻で笑われた。こころさんと千夜さんは虫を見る目で見下してきた。
ローセ教官は、
「ま、まあ、実戦向きってことだよね!」
と苦し紛れのフォローで僕をかばう。余計に胸が苦しくなった。
訓練場の端に座って休憩することになった。訓練という割には甘いなと不思議に思ったが、教官いわく『一般的な訓練とは厳しくする箇所が違う』とのこと。お言葉に甘えて、ゆっくりと息を整える。
すると、同室のニナさんが、少し離れたところに座った。ひどく息があがっているところを見るに、彼女もリタイア組なのだろう。一般よりは優れているのだろうが、他の団員たちがどう考えても一般的ではない。
僕が水筒を差し出すと、彼女はそれを手に取り、ぐいっと飲み干した。飲み終えたタイミングでを見計らい、僕は彼女に声をかける。
「運動苦手?」
「……」
無言。
だが、水筒を受け取ったのは事実。毛嫌いされているわけではないはずだと考え、積極的に会話を持ちかけることにした。
「教官に聞いたよ、同い年なんだよね? 双子ってことかな、あまり似てないけど……」
「……バカにしてる?」
言葉を引き出せた。ひどく睨まれているものの、思い切って話を続けることにした。一対一ならほんの少しだけ強気になれる。長所であると主張させてもらう。
僕は否定の意味をこめて、右手を横に振った。
「そんなことないよ」
「私は確かに姉さんに比べたらクズだけど、最初からどんな態度取られたら腹も立つ……」
自分で思っているより深刻な誤解を生んでしまった。また咄嗟に否定しようとしたが、咄嗟に言葉が出ない。彼女の気持ちを、理解できるからこそだ。
優秀な姉。嫌いではない、むしろ好き。だが素直になれない。比べられたり、甘えていると周囲に囁かれたりして、胃が痛む感覚。いっそ一人で生まれてきた赤の他人だったら、と悲しいイフを考えてしまうそのむなしさ。
だが。
「僕は姉さんほど優秀じゃない。でも、こう生まれて後悔はないよ」
「……え?」
「そりゃもちろん、姉さんみたいにはなれないって諦めてるよ。悔しさもあるし焦りもある。でも、姉さんの弟に生まれてきてよかった。誇れない家族より、誇れる家族のほうがいいじゃん!」
「……そ……れは……そうだね……」
彼女は小さくうなずく。
二人の仲がいいかどうか、僕は知らない。しかしニナさんは決してアンナさんが嫌いではないのだ。そう確信できる柔らかな表情。
……だったが、何故か少しずつ曇っていく。
「に、ニナさん? どうしたの?」
彼女は怯えたように顔を真っ青にして、距離を取りながら僕を見る。動きはロボットのようにぎこちなく、震えているようにすら見えた。
「ゆ、夢尾カタリ……」
「え? うん……」
「女だって聞いてる、んだけど……」
頭の中で、つい先刻の自分の言葉がリピートされる。
『姉さんの弟に生まれてきてよかった』
『姉さんの弟に生まれてきて』
『姉さんの弟』
『弟』
……弟は男だ!
「か、カタリ、まさかっ……」
「いや! いやいやいやその、それ言っ……」
言ったら僕の姉さんが無事では済まない、助けて!
「言ったら君の姉さんが無事では済まないと思って……」
「ひっ」
言い間違えたあああああああああああああああああ!!