1-4 対峙
(まぁ、今後も関わりがありそうな気がしたんで、連絡先を入れておいたんですがね…)
そんなことを思いながら、久吾は章夫の住むアパートの前にやって来た。
すると、赤ん坊を抱いた女性に声をかけられた。
「あなたが名奈久吾さん?」
みゆきが声をかけると、久吾は彼女を見て頷いた。
久吾には相手の魂の状態が見える。
みゆきは灰色。今にも雨が降りそうな曇天色のもやがみゆきを包んでいる。
それよりも。
アパートの影に隠れている者の、淀んだどす黒いヘドロのようなもやの方が、久吾は気になった。
「章夫さんの奥様ですね。電話では話しづらいそうですが、どんな御用ですか?」
そう声をかけると、アパートの影から黒いもやの正体が姿を現した。
「用があるのはオレだよ」
辰哉だ。
「寿命を買い取るって聞いたからさぁ、とりあえずそこのガキの命、十日分ほど金に変えてもらおうと思ってな」
ヘラヘラ笑いながら、辰哉が言う。
が、久吾は断った。
「無理です。十日分も生命力を頂いたら、裕人君死んじゃいますよ」
「…別に死んでもいいんだよ。いいからサッサと金寄越せよ!!」
辰哉が苛つき始めたのか、声を荒げた。
久吾は少し顔をしかめた。恫喝に反応したのではない。辰哉にまとわりつくもやの中に、何人かの人影を見たからだ。
特に辰哉の背中にしがみついている女性の影は、凄まじい怨念に満ちた表情をしている。
「…あなた、ずいぶんと殺してますね」
この言葉に辰哉だけでなく、感情の薄いみゆきもピクリと反応した。薄々感じてはいたのだが、やはり、と思ったのだ。
「…へぇ、分かるんだ。もしかしてオレと同類?」
辰哉の表情が変わった。
「御冗談でしょう。一緒にしないで下さい」
久吾がやれやれという表情をすると、辰哉が久吾の胸ぐらを掴んだ。
「いいからさぁ、ナメたこと言ってねぇでサッサと金出せ」
「…短気な人ですね。ところで後ろで恨み言を吐いてらっしゃる、口元にホクロのある女性は?」
ビクリと辰哉が反応した。
「てめ…、何で加奈を…!」
「とてもあなたを恨んでいるようですが」
辰哉の手が離れた。
「…ハハ、あぁそうだよ、オレのことを気に入ったって言うから結婚してやったのに、ナマイキなこと言いやがるからいつものクセで殴り倒したら、うっかり殺しちまったんだよ! オヤジの娘を殺っちまっちゃあ、さすがにここいらに居られねぇからな! 逃げんだよ! だから早く金寄越せよ!!」
言いながら、辰哉は拳を握って久吾に振りかぶった。
瞬間、久吾が指で円を描く。すると、辰哉が透明な球体の中に閉じ込められた。
「な…!?」
体のバランスを崩した辰哉だが、球体の内側にへばりつく形になり、上手く身動きが取れない。
「やれやれ…、無益な殺生は好まないのですがね。…あなたを生かしておくと、さらに犠牲が増えそうだ」
久吾はそう言うと、パチンと指を弾いた。
瞬間、今度は久吾と辰哉の周りが真っ暗になった。
みゆきから見ると、二人の姿が急に消えて無くなった。
「…?」
キョロキョロと見回すが、見当たらない。
「クソッ、出せ!」
辰哉は訳が分からなかった。ただ、直感でマズい事になったと思った。
もう少し早く気付ければ良かったが、遅かった。
「一応訊きますが、改心して警察に出頭するなり、贖罪の気持ちはありますか?」
「ハ…、今更? 何言ってんだ、早く出してくれよ」
久吾はやれやれと首を振った。
「…仕方ありませんね。せめて一瞬で終わらせてあげましょう」
久吾が手をかざした瞬間、球体の中にボウっと業火が舞い上がった。辰哉の体はあっという間に炭化し、一瞬で燃え尽きた。
「…死体を残すより行方不明扱いの方が良さそうですね」
灰も残らず消し飛んだ辰哉に向かい、久吾は周りにいた霊の分も一緒に手を合わせた。
◇ ◇ ◇
みゆきが消えた二人をキョロキョロと探したほんの数秒後、すぐに久吾が姿を現した。
「…あ、あなただけ? 辰哉は…」
「彼はもういませんよ」
みゆきはキョトンとしたが、ホッとしたように「そう」と言うと、またいつもの無表情に戻った。
だが久吾はみゆきの魂の色が、陽が差したように明るくなったのを見て微笑んだ。
「さて…、もう用事はありませんね?」
「え、ええ…、ごめんなさい」
「お気になさらず。それでは失礼します」
久吾の後ろ姿を見送りながら、みゆきは
(…不思議な人。辰哉がいなくなったって、本当に…?)
と考えていたが、とにかくひとまずは終わったと思い、部屋に帰って休もうと階段を登った。
(…しばらくは警戒した方がいいかな。でもこれで………)
そこまで考えた時、急に足を引っ張られた気がして、みゆきは階段を踏み外した。
「キャ………!」
何かが足を持ち上げたような気がしたが、確認する余裕はなかった。
みゆきは咄嗟に体を丸めた。
体のあちこちが階段にぶつかる。
痛い。痛いが、自分の体を庇うことはしなかった。しっかりと庇っていたのは、裕人だった。
………地面に頭を打ってしまった。
裕人は………、多少ぶつかってしまったかな。泣き出してしまった。でも、元気に泣けたなら、大きなケガではないかな。みゆきはぼんやりそんなことを考えた。
「………ハ、ハハ、…私も………、お母さんらしい、こと、…出来るん、だ………」
傷口からの血が目に入って視界がぼやける。
普段あまり泣かない裕人が腕の中で泣きじゃくっている。
「………やだ、…泣かないで、………ひ、ろ…と………」
近所の人が見つけてくれたのか、周りが騒がしくなり、救急車の音が遠くに聞こえる。
裕人の泣き声も遠くなる。みゆきの意識はどんどん遠のいていき、ついに、何も聞こえなくなった。
久吾さんは、元・旅の僧侶。