5-9 霊薬の効果
裕人を抱えて月岡達を待っていると、その間に裕人が目を覚ました。久吾は、おや、と言って、
「気が付きましたか」
と声をかけ、「立てますか?」と尋ねた。
裕人は地面に下ろしてもらい、少し混濁した頭を振って、久吾の方を見た。何だろう…、初めて会う人のはずなのに、何だか懐かしいような気がした。
「…あ、えと、…僕………」
「無事で良かったです」
久吾はにこりと笑って答えた。
「おーい、久吾さーん」
倉橋の声がした。石塚に支えられた月岡がやって来た。後ろから風月と、心配そうな顔をした章夫がついて来た。章夫は裕人の姿を見つけ、「裕人!」と走り寄ってくる。が、裕人はビクッと身体を強張らせた。
しかし章夫は構わず、裕人を抱きしめた。
「…良かった、無事で…」
それを見ながら久吾は、「すみません、章夫さん」と声をかけた。
「申し訳ないですが、月岡さんが心配です。一粒分で良いので、お願い出来ますか?」
すると章夫は、ああ、なるほど、と気付いて、久吾の方を向いて、黙礼するようなポーズを取った。
差し出された額のあたりに、久吾は手をかざす。
倉橋以外が何だろうと思っていると、かざした手がポウッと光り、その光が久吾の掌の上でぎゅっと縮められ、小さく輝く真珠のような粒になった。
章夫はフラッと、軽い立ち眩みを起こしていた。
「月岡さん、どうぞ」
久吾は粒を、月岡の口に含ませる。
「…な、何…」
何か言う間もなく、粒は月岡の口の中でフワリと溶け、全身が一瞬、心地よく温かくなった。
そして、肩の痛みが消えた。
「………え?」
見間違いかと思うほど一瞬で、傷も消えた。服の袖だけが、赤く染まって痛々しく千切れている。
「…い、今のは…?」
月岡が聞くと、代わりに倉橋が答える。
「『霊薬』だ。俺も昔、これに命を助けられた。久吾さんの本業は、まぁ薬師ってことになるのかな」
その後を久吾が続ける。
「他言無用でお願いしますよ。それから、この薬は一粒百万円になります」
「ひゃ…、百万!?」
月岡が驚くと、倉橋が、
「おぉい、ぼったくるじゃねーの。俺ん時は、二万じゃなかったか?」
すると久吾が困ったように、
「それ、40年前の話じゃないですか。…欲しいという方達と折り合いを付けていたら、いつの間にか上がっていったんですよ。実際今は、質の高い魂の方も中々おられないんです」
そうか、と倉橋が頷いた。久吾は月岡に向き直って、
「とりあえず、伊川さんに百万、渡してあげて下さい。伊川さんには後で、私の取り分を頂きますので」
そう言うと章夫が、
「い、いやいや! 私は結構ですよ、今回は緊急事態じゃないですか!」
そう断るので、久吾は少しいたずらっぽく笑い、
「…そうですか。まぁ伊川さんがこう仰るので、先程私の家でお話した件、なかったことにして頂ければ、私もお代は結構ですよ」
月岡は呆気にとられ、最初からこうするつもりで自分に霊薬を与えたのだ、と気が付いた。
「…ハハ、分かりましたよ。溝口の件はこれ以上、深入りしません」
月岡は諦めて、両手を上げて降参の意を示した。久吾が、
「どのみち私達はその人のこと、ろくに知りませんから」
と付け加えた。倉橋が章夫に向かって、
「それにしてもあんた、すごいな。久吾さんが頼りにするたぁ、いわゆる『良い魂の持主』なんだな」
すると久吾が、
「ええ、佐久間さん並です」
と言うと、倉橋は、
「そんなにか」
と驚いていた。
佐久間は故人である。倉橋の先輩で、剣の達人であった。物静かで温厚だったが、ひとたび剣を握れば誰も太刀打ち出来ず、しかし良き指導者でもあり、子供達にも慕われていた。
白と淡い梔子色のもやにキラキラした光の粒が舞う、綺麗な魂色を久吾は思い出す。
久吾にとって章夫は、そういう意味でも稀有な存在なのである。章夫はしきりに恐縮していた。
ふいに、章夫は袖を引っ張られた。裕人だ。
「ん? どうした? 裕人」
すると、裕人は俯いたまま、掠れた声で尋ねた。
「………お父さん。…お父さんは、本当のお父さんじゃなかったの?」
「な…!?」
思ってもみなかったことを言われて、章夫は驚いた。
「…僕の本当のお父さんは、溝口って人だって、あの怖い人が…。その人、…お母さんの、ことも…」
母について言われたことを思い出し、裕人は泣き出してしまった。皆がオロオロと裕人を見る。
何とか落ち着かせようと、倉橋が言う。
「何を言われたか知らんが、溝口に子供がいるってのは、あり得ない。ヤツは子供が作れない身体なんだ。診断書もある。君のお父さんは、間違いなく目の前の人だぞ」
「そうなんですか?」
月岡が聞くと、倉橋は、
「ああ、当時煌和会に出向いていた坂口組の幹部が、戻ってから自分の情婦に採取させて調べたんだとさ。女遊びが激しい割に、孕んだのがいないってんで…。結婚後だったのが悔やまれたそうだ」
裕人が父を見る。章夫も大丈夫だと頷いた。
だが裕人は、母について言われたことを思い出し、
「………だけど、お母さんは、その…、溝口って人と…。…僕が、まだ赤ん坊だった時…」
それを聞いて、章夫はギクリとした。
(…っ、そんなことまで…)
今回裕人を攫った犯人が、あの時溝口と一緒にいた手下の佐藤だという事は、車の中で聞かされていたが、子供にそんな話を聞かせた佐藤の行いは、章夫にとって許し難い行為だった。
章夫は、倉橋達に向かって言った。
「…すみません、皆さん。少し裕人と向こうで話をさせて下さい」