最終話 久吾が見ている世界
少し長めですが、最終話なので。
久吾が持ってきたルネの料理を、スタッフと蓼科家の人々が手分けしてテーブルに並べる。
匠海と桃葉を膝の上に、その間に羊を挟んだ久吾が、ふと大弥に、
「貴彦さんの具合はどうですか?」
体調を崩し、大事を取って入院している貴彦の様子を訊くと、大弥はオリヴィアに寄り添いながら、
「心配いりませんよ。だいたい『ひ孫の顔を見るまで死ねない』って言ってましたからね。今回の『お花見』に参加出来なくて、残念がってました」
倉橋よりも少し年上で、天命には従うと言っていた貴彦だ。そうですか、と言った久吾は、次に裕人に、
「裕人さん、『先生』のお仕事はどうですか?」
訊くと裕人は、少しげんなりしながら、
「先週、僕の担任した子供達が卒業したんです。感慨深いんですけど…、次、新一年生を受け持つかも知れなくて…」
裕人は現在、小学校の教員となっていた。
大学へと進学した際は、詩織も同じ大学へと進んだ。
学部は違ったが、互いに会う機会が増え、気付けば学内で公認のカップルとなっていた。
彩葉と会う機会も無くなり、目の前には気心の知れた詩織がいる。互いの親同士も親しい間柄になり、何より詩織は明るく可愛かった。
裕人も程なくして、詩織に情を移していった。
その後裕人は、実習などを経て無事に教員となり、順当に詩織との結婚まで進み、匠海も生まれたが、教員というのは中々に大変であった。
章夫ももちろんだが、石塚の妻・香織にもずいぶんと助られた。ただ、香織は匠海に『ばぁば』ではなく『香織チャン』と呼ぶよう言い聞かせている。
ちなみに、匠海がオートバイを見て「カッコイイ!」と言った時、この祖父母は全力でダメ出しをしていた。
仕事の上では、先日までは話の通じる六年生の担任だったが、次に受け持つのは、今の匠海と変わらないくらいのチビッコ達かも知れない、と頭を抱える裕人だった。
「可愛いんですけどね、一年生…。でも、上手く出来るか心配で…」
裕人がボヤくと、久吾は笑って、
「上手くなくても良いんじゃないんですか? 目の前のことに、一つ一つ真摯に向き合えば、結果は自ずとついてきますよ」
そう聞いて裕人が苦笑すると、ふいに隣にいた詩織が、
「…あ! そーいえば来る途中、不思議なことがあって…」
話によると道すがら、卸したての制服を着た新中学生らしき少女が、両親と共に桜の下で記念写真を撮っていたのだが、ふと裕人と目が合った瞬間、涙をこぼしたのだそうだ。
「…でね、それもビックリしたんだけど、もっとビックリしたのが…」
その少女が、裕人を見て『私、あの人みたいな子供産むかも』と両親に言って、驚かれていたらしい。
久吾は聞きながら、ほほう、と言い、
「そのご家族は、幸せそうでしたか?」
その言葉に裕人と詩織が頷くと、久吾は、それは良かった、と章夫を見ながら言う。
章夫は久吾の顔を見て、ああ、と何かを感じ取ったらしく、懐かしいあの女に想いを馳せていた。
そう話していると、今度は倉橋が、
「そういや久吾さん、今回はどの辺りを回ってたんだ?」
訊かれて久吾が、ああ、と言いながら、
「アルメニアです。私、アララト山行ったことなかったんで…。やはり体感するというのは大事ですね」
久吾はハチの遺言を守り、少しずつ世界中を見て回っている。
千里眼でも視ることは出来るのだが、せっかくなので気になる場所へ行って、しばらく過ごしてみる、ということを繰り返している。
「お前さんの場合、散歩みてぇなもんだもんな」
そう言って羨ましがる倉橋に久吾は、
「まぁ、私の場合は皆さんのように行程を決める必要無いですからね。旅費もかかりませんし」
すました顔で子供達と笑い合いながら言う。すると倉橋の隣で妻の千鶴が、
「良いじゃない、私達が旅行した時も助けてもらってるんだから」
指導員を退職した倉橋は、ここ数年夫婦で年に1〜2回の頻度で海外旅行を楽しんでいる。
ただ、言葉が分からないので、スマホなどを駆使しつつも、本当に困った時は久吾を呼び出していた。
「…やれやれ。せめて、英語だけでも話せるようになって下さいよ」
久吾にそう言われても、今さらだ、と倉橋が文句を言う。久吾は自分のスマホを取り出して、
「それにしてもコレ、つくづく便利ですねぇ。どんなに離れていても、皆さんと意思疎通出来ますし…。使えるようになって本当に良かったです」
支給元はカードと同様K・Iなのだが、自宅には蔵人から渡されたタブレットもある。
蔵人は半信半疑ながら、久吾が本当に使えるのか心底不安だったようだが、まず、壊れないことに驚いていた。
「…もう何でもアリだな。お前さんに出来ないことなんか、何も無いだろ」
倉橋が言うと、久吾は首を振り、
「いいえ、私出来ないこと多いですよ」
その言葉に、皆、え? と戸惑うが、久吾は、
「まず、音楽ですかね。楽器も出来ませんし、歌も歌ったことないです。それに、絵を描いたりも出来ません。…まぁ、いつか挑戦してみても良いかも知れませんが、上手く出来る自信は無いです」
そう聞いて、倉橋が笑い出す。
「…ハ、ハハ! 確かにな! …そうか、お前さんにも苦手があるんだな!」
言いながら久吾の肩を、バンバン、と叩く。
「やめて下さいよ」
久吾は子供達を抱えながら文句を言う。
―――桜の花びらが、綺麗に舞っている。
おようとの様々な思い出も、桜と共にある。
年に一度くらいは久吾を交えて集まりたい、と言い出したのは、大弥だっただろうか。
そんな誰とは無しの提案に、蔵人達はもちろん、倉橋や月岡達、それに章夫達も賛同し、日本から離れることが増えた久吾に、集まるならどの時期が良いか、と訊くと、桜の咲く頃が良い、と言われて始まった『お花見』の宴。
久しぶりに会うキーラとオリヴィアが、人身売買組織『カナロア』の解散について話している。
その向こうでは彩葉と裕人達が、遠距離恋愛になっていた美那子と孝宏の、近々行われる結婚式について話していた。
裕人の親友・蓮と、彩葉の友人・芽衣との間に先日生まれた男の子への贈り物の相談もしている。
そのあと彩葉は、祖母・光栄の三回忌の件を兄・斗真と相談していた。
…皆料理をつまみながら、近況報告に花を咲かせている。
久吾と倉橋も、月岡や石塚を交えて呑みながら近況を語り合う。
千鶴に、ほどほどにしなさいよ、と言われながら。
膝の上の桃葉・匠海と、間に挟まれた羊も、美味しく料理やお菓子をつまんでいたが、
「…うーん、眠くなっちゃったぁ」
桃葉が、うとうとし出した。気付いた彩葉が、こっちにおいで、と言ったが、桃葉は久吾にしがみつき、
「やだぁ、久吾おじさんと一緒がいい!」
ぐずり出した。
おや、と言う久吾に、今度は匠海もすがりつく。
「オレもぉ! ごしゅ…、久吾おじさんと一緒がいい!」
匠海は時々、すぐに『久吾おじさん』と言わない時がある。
実は羊も、今の匠海くらいの時まではそうだった。
もしかして、と思った月岡が、久吾が月岡家に立ち寄った際に訊いたことがあった。
マルグリットのいた工房で、あのぬいぐるみの汚れや綻びを修復してもらい、それを月岡家に届けた久吾は、
『羊さんは羊さんです。それ以外の何者でもありませんよ』
そう言うので、月岡達もそれ以上訊かずにいる。
「………お二人とも、寝ちゃいましたね」
そう言うと、彩葉と詩織が来て、眠ってしまった子供達をそれぞれ抱き上げ、礼を言いながら連れて行った。
すると羊が、久吾の膝を独り占めする。
「エヘヘ、特等席♪」
嬉しそうな羊の頭を、久吾が撫でる。羊は嬉しそうに、
「久吾おじさん、また来年も、お花見しようね!」
久吾は、はい、と返事をした。
◇ ◇ ◇
―――宴も終わり、皆それぞれの家へと帰っていった。
満月の空に、認識阻害の印を結び宙に浮かぶ久吾が、美しい桜の海を下に見る。
桜の先には、様々な人の営み溢れる世界が広がる。
悩みを抱えた者、暗い思いを抱えた者も多い。
平和な日本ですらそうなのだ。世界中には、未だ戦火に見舞われている場所もある。暗い色のもやは、決して少なくない。
しかし久吾は、それらを救済する訳にはいかない。
人間の悩みは、当事者である人間が解決するべき問題だ。誰かを救済すれば、他の者への救済も必要になる。際限がなくなる上、欲を満たせば次の不平不満が姿を現す。キリがない。
静観は、久吾も、女神もまた然りであるのだ。
…それでも。
暗い色の中に、明るく美しい色も視える。
キラキラとした飛沫を纏わせ、ほんのりと淡い白であったり、暖かな赤みを帯びていたり、清々しい青緑を放っていたり、まるで花々のように、色とりどりに輝いている。
天使達ほどの煌めきはなくとも、その輝きは穏やかに、人々を包む。
久吾の目に、それらが映える。
(………ああ)
その輝きの中に、相手を思い支え合う人々の姿が見える。
久吾は、やはり、と思いながら、
(…私は、人間達の…、…この世界は、やはり美しいと思いますよ)
心の中で、そう呟いた。
…よし。あとは予約投稿…、っと。
「―――終わりましたか」
「! …はい、あとはそのうち、あなた方の過去のことを『外伝』で書いて、全部終わりです」
「ええ…、本当に書くんですか?」
「? いけませんか?」
「………まぁいいでしょう。あなたもそろそろ夜更かしを止めないと、身体に良くありませんよ。明日も早いんでしょう?」
「はい、もう寝ます」
「『外伝』も、あまり詳らかにして頂きたくないですねぇ」
「う…、頑張ります」
「(にこり) …では」
……………
「…? まだ起きてたの?」
「ん、もう寝る」
「…何か、晴れやかな顔してるな」
「? そうかな…」
「………おやすみ」
「おやすみなさい」
――― 完 ―――