23-8 水没
「―――ねえ、ななさん」
南極海上で、必死に海水を凍らせている久吾に、ミカエルが問いかけた。
「? どうしました?」
久吾が訊くと、ミカエルは、
「…オリハルコン、置いてきちゃったね」
言われて久吾も、そういえば、と思い出す。
「ですね。でも、既に氷は融解されてしまいました。今更オリハルコンを使う必要は…」
するとミカエルが首を振り、
「ううん、オリハルコンは《2》をやっつけるためだけに使うんじゃないんだ。…何とかならない?」
久吾は、おや、と言いながら、海水を凍らせる手を止め、
「では引き寄せましょう」
そう言ってオリハルコンを物質転送し、ホワイトハウス跡地から引き寄せた。
ミカエルは少し驚いたが、
「わ! ありがと、ななさん!」
礼を言ってオリハルコンを抱き止めた。
久吾は再び海水の凍結に尽力するが、氷を作りながらオリハルコンに張り付くミカエルを見る。
…どうやらミカエルは、宙に浮くオリハルコンと心で対話をしているようだ。
「………」
しばらくの後、ミカエルはオリハルコンから離れ、
「むう…、まだダメかなぁ。もーちょっとな気もするんだけど…」
何か呟いている。不思議に思った久吾は、
「何が、もうちょっとなんですか?」
ミカエルは久吾を見て、少し考えながら、
「…んー、うんとね、…もーちょっとしたら、ななさんにも分かるよ」
少し無理のある笑顔で答える。そう聞いて久吾も、それ以上尋ねず氷の作成に勤しんだ。
…だが、凍らせても凍らせても追いつかない。北極と違い、南極は氷の大陸だったのだ。
氷を砕くにしても、恐らく《9》は長い年月をかけ、仕掛けを施したに違いない。まだ残っている氷もあるが、かなりの量が砕かれ融けてしまっていた。
久吾の能力が増大したとは言え、この地球が数万年かけて作り出した氷の大地を、ほんの数時間でどうこう出来るはずもないのだ。
「…困りましたね。もう既に沈んでいる場所も多くあります。人間達も…」
久吾の言葉に、ミカエルも俯いている。
今の久吾は、美奈から受け継いだ千里眼も、かなり使いこなせるようになっていた。
…しかし、その千里眼で見えたものは、あまり見たくはない光景だった。
◇ ◇ ◇
「お前らだけ助かろうってのか! ふざけやがって!」
「子供がいるのよ! 私達を優先してよ!」
「金ならある! いくらでも出す! 俺達を船に乗せろ!」
「政府は何をやってるのよ! 国民を見殺しにするの!?」
―――飛行場、船乗り場など、水難から逃れようとする人々でごった返していた。
必死なのは誰もが同じであり、理解は出来る。…が、ほとんどの人間は混乱しており、パニックを起こしていた。
No.56の機転で、組織を介して世界中のあらゆる相手に避難を呼びかけた。
信じた者達は準備をし、早いうちに船に乗り込んで避難をした。
…実際に、海水が膨らみ始めると、途端に慌てだして助けを求める。
―――女神の謁見から戻った久吾は、飛空船の中にいた者達の要望を最小限で引き受け、光栄など数人を飛空船に引き入れた。が、裕人が、
「…あ、あの、僕の友達とかもここに呼びたいけど、ダメ、かな?」
すると他の者達も、
「そ、それなら私も! 旧知の友人が何人かいるのだけど…」
「私も…」
そう言い出したところへ、No.56が、
「ダメだ」
一瞬、人間達がざわつくが、No.56は厳しい顔つきで、
「そんなこと言い出したらキリがないぞ。船内の許容人数ってのがある。全ての人間をここに入れるつもりか?」
そう言われ、裕人が、しゅん、となる。すると蔵人が裕人に、
「宝来家の方で船の確保が出来ているらしい。良かったら、そちらで受け入れてもらおう。連絡するといい」
「! …あ、ありがとうございます!」
裕人は聞いて、すぐに蓮に電話を入れていた。彩葉も友人達に連絡をしていた。
他にもライアンが、
「うちのスポンサーのところでも、船を用意出来たそうだ。もし近くの者がいたら、手配するよ」
―――各々が、出来るだけの人間を救おうと動いていた。実際、かなりの人数が短い時間で避難出来たようだ。
…が、それでも水に飲まれてしまった人間が多数いる。
ほとんどの人間が、絶望しながら。
誰かのせいにしながら。
何かを呪いながら。
◇ ◇ ◇
―――《2》とガブリエル達は、上空からその様子を見ている。
《2》の目には、闇色のもやが海水に飲まれていく様子が見えていた。
「………これでいい。これでこの地球は、須らく浄化されていく…」
「……………」
ガブリエル、ラファエル、ウリエルも、人間達が海に飲み込まれていく様子を見ている。
…だが《2》達は、数百隻の船と、いくつかの飛行機が飛び交うのも見る。
「…小賢しい。奴等め、まだあのように足掻くか」
忌々しげに、避難する人間達を見る《2》を、ガブリエルが牽制する。
「ダメよ、殺しちゃ」
言われて、《2》が控える。
―――世界は、じわじわと沈んでいく。