19-3 久吾の過去 その3
「…旅、と行っても、私、旅籠などで休む必要無いですからね。歩きながら、なるべく子供達を助けながら、でしたか…。親を亡くした子供達と数年一緒に暮らして、独り立ち出来るようになった頃に別れる、なんて事を何度かやってました」
戦国の頃の話である。僧兵も多くいた頃であるが、久吾は子供達を連れて旅をしながら、安心して過ごせる寺を見つけて滞在させてもらっていたと言う。
「私、基本的に相手の魂の色を見ながら…、ああ、このことは私の事情を知ったお館様が教えて下さったことでしたが、子供達とお寺でお世話になる時も、とても役に立ちましたよ」
―――日本という国は、不思議と『視える』者が多かった、と久吾は言った。
《0》があれほど求めていた『視える』者…。どうやら久吾の恩師であるお館様は、そのような能力の持主であったようだ。
人間の中にこそ、そういった者がいたのだが、『ノア』の能力を保持する複製でありながら『視える』者、という条件は非常に稀覯だったのだ。
だが久吾自身には、自分がそのような特殊な者であるという自覚は無かった。
「…そのうち、徳川様が世を平定されましてね。一人旅に戻った頃、ある陰陽師の方に十年ほどお世話になったりもしました」
ヤフェテのことだ。
陰陽師達の力は、平安の頃が最盛期であった。
…だが徐々に衰退していき、戦国の世が終わるまでには天文学や気象を読み解く役目を負うようになり、それは明治の頃まで陰陽寮として残されていた。
ヤフェテが長を務めていた寮のみ、幕府の目を掻い潜って力をつけていたのだが、ヤフェテの意識が消えたことで、それも継続されず衰退の一途を辿った。
「…私の、二人目の師匠になりますかね。陰陽術を教授しながら、その際に『霊薬』を作る術も会得しました」
陰陽術を覚えていくうちに、術を参考にしながら霊薬が作成出来るようになったと言う。
「中身の濃い十年でしたが、やはり長く留まる訳にもいかないので、それからまた旅をしていました」
師匠からヤフェテの記憶が消えたことも原因なのだが、ここでその事に触れる必要は無い、と久吾は思った。
そう話していると、倉橋が、
「…日本中を旅、かぁ。狭い国だからな、あっという間に一周しちまったんじゃねぇか?」
「巡るだけなら、そうでしょうね。…でも私、数年その地に滞在して、子供達に読み書きを教えたりしながら、でしたからね。数十年して同じ場所に行くと、すっかり様変わりしてる、なんてことは常でしたよ」
すると今まで大人しく聞いていた石塚が、
「なぁ、戦国時代から旅してたんなら、戦国武将とかに会ったりしてないんですか?」
それを聞いて、裕人や章夫も興味深げにして、
「そ、そうそう! 信長とか、秀吉とか、あと家康とか…」
裕人にそう言われたが、久吾は少し困ったように、
「…いや、すみません。太閤(秀吉)様は遠目に見たことありますけど、下々の者が天下人と関わるとか、危険極まりないですよ。…それに私、お侍さん嫌いだったんですよねぇ」
えぇ…、と皆が残念そうな顔をしているが、身分制度で苦労をする人々を直接見てきた久吾にとって、支配身分の侍達に嫌悪を抱くのは至極当然だった。
ふいに月岡が、久吾に尋ねる。
「聞いてると、ずっと子供に関わっていたみたいですが、何か意味が?」
「ああ、それは多分、お館様のお言葉に寄ったんでしょうね。…子は宝だ、と常々仰っておられました。己を守れる様に忍の技を伝授されていましたが、本来は学問を学ばせたかったようです。それに…」
「?」
「世の中を良くしていけるのは、次の世を担う子供達の有り体なのだ、とも仰ってましたね。ですから私も、お館様のお言葉に沿って…、意思を継いだ、と言うのはおこがましいかも知れませんけどね」
「………」
そう聞いて月岡は、何となく久吾の人となりを改めて知ったような気がした。
久吾は続ける。
「…そのうち、政権が朝廷に返上され、武士の方々の時代が終わったんですけど、結局お役人達って皆さん元は武士ですから、横柄な人多かったですよ。私もその頃から僧侶の姿で旅をするの、やめたんですよね」
美奈やハチと出会ったのもこの頃だ。
そして『富国強兵』の政策を掲げ、日本が世界を相手に戦を仕掛け始めたのも同時期だった。
「そのうち、代々お付き合いのある、とある山寺に留まって霊薬作ったりしてたんですけどね。…何年かいるうちに、みー君…、ミカエル達が私の元に来ることになったんです。私達は住職さんのご厚意で、しばらくそこに滞在していました。…そのふもとの村にいた一人の少女と、ミカエル達は友達になったんです」
みー君達が最初に友達になったという少女。
『小夜ちゃん』は、両親を亡くし、姉と一緒に親戚の叔母の家に居たという。
「…その少女・小夜さんは、叔母の家で随分と辛い目に遭っていたようですが、小夜さんの姉・清夜さんは、小夜さん以上の虐待を受けていました。その家には、足を悪くして働けなくなったという息子がいたのですが…」
久吾は少し間を置き、顔をしかめながら、
「………清夜さんは毎晩、その男の慰み者になっていたそうです」