15-6 天使達の競演
やりたかったエピソードのうちの一つ。
―――真っ暗な舞台の中。
スポットライトはピアノを照らしていた。
ふわり、と白い燕尾服姿のラファエルが、ピアノの椅子に浮かび上がる。
ポオォー…ン、と、一音だけ鍵盤が鳴らされ、舞台中央上から、青い薄衣を纏ったウリエルが、静かに舞い降りた。
舞台の床に爪先が触れる。
触れた場所から、波紋が広がる。
木板だった床は水面となり、その途端観客は、トプン、と水中に引き込まれた錯覚に見舞われた。
「「!?」」
全員が驚いていると、静かなピアノの旋律と、唄が聴こえた。
『♪―――טיפת מים הופכת לנהר』
(一滴の水が大河になり)
言葉は分からないが、皆の頭の中に意味が伝わってくる。不思議で静かな、心地よいその歌声と音色を聴きながら、観客は沈む感覚に身を任せる。
ウリエルが水中で翻る。
水泡が微かに湧き立ち、そのうちの一つが丸く形を成し、アンモナイトのような大きな巻貝になった…、と思ったら、それは楽器…、ホルンに変わる。
持っているのは青いテディ・シークだ。
プァー…ン、と柔らかな音色が響くと、今度は上昇だ。水泡を巻き上げ、水面へと一気に上がる。
太陽だ。
眩しい太陽から、ミカエルが姿を現す。指揮棒を持っている。
白い燕尾服を靡かせながら、こちらもゆっくりと舞台に舞い降りた。
ミカエルのタクトに合わせ、ウリエルが、くるり、と舞台に翻る。青かった薄衣が、黄金色に変わった。
翻った手足の先から、砂嵐が舞う。観客は一瞬、砂を避けようとするが、先程の水と同様、風は感じても砂は幻影だった。
『♪―――גרגר חול הופך לאדמה』
(一粒の砂が大地になり)
ガブリエルの歌声が響く。舞台、ピアノの反対側に立つ白い薄衣を纏ったガブリエルの隣に、貝殻に鎮座したもつこがいた。竪琴を持っている。
ピアノの音色と唄に合わせ、竪琴が掻き鳴らされる。
風が渦を巻き、舞台中央で静かに消える。
ミカエルの前に、緑の小さな芽が現れた。
ミカエルのタクトが振られ、ピアノと竪琴の音色が低音から高音へ上昇すると共に、ウリエルが、タン、とステップを踏む。
そこから草木の緑が、舞台から会場に一気に拡がった。
『♪―――החיים נולדים』
(生命が誕生し)
緑のにおいを感じていた観客だが、ウリエルが翻った途端、黄金色の薄衣が白く変わり、空気がひんやりと変わった。
『♪―――החיים מתים』
(生命が死滅し)
緑が消え、舞台…、大地は白く染まる。
にわかに空気が薄くなった錯覚を、観客が覚える。
…再び、ミカエルのタクトに合わせ、ウリエルが翻ると、穏やかな日差しと柔らかな緑が舞台を染める。
『♪―――הכוכבים חוזרים על נשימתם』
(星は呼吸を繰り返す)
ミカエルが舞台中央でタクトを振りながら、くるりと振り返り、ウリエルと入れ替わる。
ウリエルの薄衣が淡い緑に変わり、舞台や観客の周りに花びらが舞う。
『♪―――הצמחים שולטים』
(草木が君臨し)
緑が会場一帯を覆い、所々に花や実をつける。芳しい香りが拡がり、小さな生き物が姿を現しだす。
『♪―――הקטן שולט』
(小さき者が君臨し)
上空から、ブブゥ…ン、と羽音が響き、会場上部を黒い影が覆う。
虫の大群。
ひっ! と観客の一部から悲鳴が上がるが、その幻影は観客をすり抜ける。
…一瞬、会場は真っ暗になった。
そこに一閃、パアァー…ン! と響き渡ったのは、トランペットの音。めぇが奏でていた。
真上に上がった太陽が、会場を照らす。
ドドドッ! とドラムの音と、シャアァン! と響くシンバル。
ドラムセットを叩くのは、緑のテディ・ハイドだ。
その隣には、エレキギターを鳴らすもっちーがいる。手は届いていないのだが、見えないラファエルの分身がギターを支えているようだ。
『♪―――בסופו של דבר הדרקון ימלוך』
(やがて竜が君臨する)
ガブリエルの唄を合図に、舞台の奥から現れたのは…。
恐竜だ!
巨大なティラノサウルスの頭の上に、めぇが乗っている。
トランペット、ピアノ、エレキギター、ドラムの躍動する旋律が会場に響き渡り、ティラノが咆哮を上げた。
観客の一部から悲鳴が上がった瞬間、再び舞台は、シン…、と冷えていく。
静かに降り立つ、白い薄衣のウリエル。
凍りついた舞台の中央にうずくまる。
『♪―――לידה ומוות』
(誕生と死滅)
歌いながらガブリエルが、ウリエルの前に浮かび上がる。
『♪―――הכוכבים חוזרים על נשימתם』
(星は呼吸を繰り返す)
ガブリエルとウリエルの姿が消え、ミカエルが舞台中央に浮かび上がる。
タクトを振ると、振られた先から光が舞い上がる。
再び舞台に、光と緑が拡がる。
ウリエルが再度舞い降りて、淡い桜色に変化した薄衣を翻すと、舞台に咲いた花の中から、鼠のような小さな生き物が現れた。
ウリエルが体を翻し、入れ替わりで舞台中央にガブリエル、ピアノの反対側にはヴァイオリンを構えたシークがいた。
ヴァイオリンとピアノの、柔らかなセッション。
そこにガブリエルの唄が乗せられた。
『♪―――ואנחנו ניולד』
(そして僕らが生まれるよ)
舞台が光に包まれ、鼠のような生き物は少しずつ大きくなり、端から様々な動物が姿を現して、舞台を駆け回り、観客をすり抜けていった。
…動物が抜けた後の舞台中央、ガブリエルの前から泣き声が聞こえる。
そこには、人間の赤ん坊。
ガブリエルの隣に、貝殻に乗ったもつこが現れ、他のぬいぐるみ達が中央の赤ん坊を囲んだ。
唄は最後の一節を、音楽に乗せて歌い上げられる。
『『♪―――הכוכבים משגיחים עלינו תוך כדי נשימה』』
(星が呼吸をしながら僕らを見守るよ)
ガブリエルとぬいぐるみ達の合唱で、唄は終わる。
ラファエルのピアノのアウトロが響き、音楽が終わる。
ミカエルのタクトが、会場を光に包みこんだ。
―――終幕。光が消える。
観客が気付いた時には、舞台は最初と同じ、ピアノにスポットライトが当たっているだけの状態だった。
…しばらくの間、観客達は声を失い、余韻の中にいた。