お隣さんはえらべない
12月25日 【お隣さん引っ越してくるのを見る】
最近、引っ越してきたお隣さん。
年の瀬にバタバタと引っ越してきて、いまだに挨拶がない。あえてしない、ということも考えられる。他県から来た人は、考え方が違うのかもしれない。
私がこの一戸建てに引っ越してきてそろそろ1年になる。アパートだと、すぐ隣に人がいるので気を遣う。壁のすぐ向こうに知らない誰かがいる、という状況はとても嫌だった。少々家賃の高いところを選んだおかげで心穏やかに暮らせている。安心して住まうことのできる家。なんて贅沢なんだろう。
そうだ、お隣さんの話だった。あれは2週間ほど前のこと。
ショッピングモールの雑貨店で働きはじめて1年。自立して一人暮らしをしようと思って、賃貸の一軒家に住み始めたのも同じ時期だった。今日は休日だ。いつもより遅めに起きて、新しい枕でも買いに行こうと思っていた。
身支度をしてから、駐車場へ向かった。
「あれ? こんな時期に引っ越し……」
その日は12月25日。年末に引っ越しか。私の住む一戸建ては三軒並んで立っている真ん中の家。右隣には老夫婦が住んでいる。左隣は空き家。その、ずっと空いていた左隣の一戸建てに、一家で越してきたようだ。その家だけは、階段を上った先にドアがある。四本の鉄筋に支えられた、宙に浮いたような恰好の家だった。一階部分は駐車場になっている。
子供二人の夫婦。家族で住むのか。
初めて奥さんを見たときは、私が洗濯物を干しているときだった。あのとき向こうは全然こちらを見なかったので、気がつかないのだと思っていたが、なんだかそうでもないような、わざと見ないようにしていたのだと今では思う。
「とりあえず、挨拶しておくか」
と、私が寄っていくと、逃げるかのように車を出して、急にアクセルをふかして走り去っていったのだった。
と、そんなことがあった。
徹底して無視を決め込むのかと思いきや、その奥さんは遠くからこちらをずっと睨んでいたりするときもあった。そして、生活音がうるさい。連中が越してきて数日でそれは分かった。子供が騒ぐからうるさい、というわけではない。奥さんが出す音がうるさいのだ。車のアクセルをふかす音、これが異常にうるさい。なぜかアクセルをふかしまくってバック駐車する。何度も何度も、普通車なのだから、そんなにふかさなくても車は動くだろうに、一体なんなのか。それからドアを閉める音。これがヤバイ。わざと強くドアを閉めないとあんな音は出ないはずだ。
ずうずうしくてむかつく。そう思った。普通なら挨拶があっても良いと思う。子供もいるのに、みっともない。奥さんの方は髪が短くて色白だが、美人ではない。ツンと上を向いたような鼻がむかつく。吊り目で子供も同じように不細工だしね。いかれた人間なのか? それとも、お隣に挨拶しない理由でもあるのか。挨拶もしないような都会で暮らしているからそれが当たり前と思っているのか。
心の中では、何かこの人たちが後ろめたいことがあるのだ、とか、挨拶をしないことが常識なのだ、と思うようになっていた。
小さい子供がいるのにバタバタ引っ越してくるというのは、わけがありそうだ。あるいは、全ては私の誤解なのか。
福原という苗字らしい。表札にそう書いてあった。
一年後の3月20日 【本格的に嫌がらせを受ける】
仕事が遅くなった日があった。いつもは6時には帰宅できるのに、その日は9時だった。
いつも通り駐車場に車を止めて、車を降りた。疲れていたせいか、車にバッグを置いたままなのを思い出して、もう一度ドアを開けて、バッグを取り出してから閉めた。
どうやら、そのドアの音が気に入らなかったらしい。
私が家に入ってからすぐに、まるで後を追ってくるみたいに階段を降りる足音が聞こえた。電気をつける前の暗い曇りガラスの玄関、その向こう側に女の影が見えた。
「すみません、もう少し静かにしていただけませんか?」
などと言ってくるのかと思った。しかし、まったく違った。
その女、というか福原妻(こう呼ぶことにする)は、玄関を何度も叩いたのだ。
それから、
「おい、死ね!」
と言い捨てて去った。
突然のことに暗闇で立ち尽くしてしまった。心臓がバクバクして、足がすくんだ。
え、なにあのひと………………。
真っ白になった頭の中で、その言葉がずっとぐるぐると浮遊していた。
あの行動は異常だ。見ず知らずの人間に、そこまでするか?
福原家の子供も異常だった。他人を攻撃するように教育されているのだろうか。
福原の子供が、右隣に住むおばあさんに向かって、
「死ね、ばばー」
と言っているのを見た。
どうやら私だけではなく、右隣のお隣さんも被害を受けていたようだ。
おばあさんと目があったので話を聞いてみることにした。
「今、死ねって、言われてましたよね」
おばさんは悲しそうな顔をしていた。
「あの家族ねえ……。母親が子供に死ねと言わせてるんだから、ひどいんだよねえ。この前ね、どっかから帰ってきて、駐車場に入ってきたの。すごい勢いでね。わたし、外にいたんだけどね、車に乗ってる子供が中指を立てて死ね死ねってわたしに言ってたの。なのに、母親は何も注意せずに、笑って見てるだけだったよ」
「それはひどい……」
一体、どういう神経をしているのだろう。全てが狂っている。私たちが特になにかをしたわけでもないのに嫌がらせをしてくる。こんな人間は見たことがなかった。
仕事に行く。家から出ると、福原妻の車が嫌でも目につく。また、わざと車を斜めに止めている。私の車を邪魔だとでもいわんばかりの止め方だ。駐車スペースを仕切る白線から、かなりはみ出している。これも当てつけなのだろう。
奴らの住む家を睨んだ。すると、ベランダからホースが何本も出ているのが見えた。ホースの先から水が滴っている。その水で地面が濡れている。一体何の水なのか。
(なにこのホース……。髪とか服、濡れちゃうでしょ)
傍若無人。他人の迷惑など少しも考えない連中。そんな人間の皮を被ったボウフラのような連中がこの世にはいるのだ。
被害はまだ続いた。
車に傷がつけられていたのだ。爪が立つような、少し深い傷だ。明らかに尖ったものでガリガリやられた後に見える。福原の子供がやったのか。防犯カメラも備えていないので証拠はない。
ディーラーに見せると、
「小石とか固い草にこすれてついたんでしょうかね」
なんて言っていた。
小石がはねるような場所は走っていないし、固い草(固い草とは一体なんなのか)が生えている場所には行っていない。
やはりあの福原の子供がやったのだ。福原妻だけでなく、子供まで狂っているのか。
一年後の11月2日【ダメな大家】
月日が経つのは早い。隣に住む狂人一家の存在はただただ不快。奴らもあからさまな犯罪行為はしない。こちらが我慢するギリギリの線で不快な活動をしてくる。あの車の傷事件からもう一年が経ってしまった。もちろん、その間平和な時間が訪れたわけではない。毎日のように福原妻が異様な音を出し、車は斜めに駐車し、ホースからわけのわからない水を滴らせていた。
それで結局、大家さんに相談することにした。
一時間ほど話したが、私があの家族を追い出すようにお願いしても大家さんは弱腰だった。
「難しい」とか「簡単にはいかない」と言って結局なにもしてくれない。大家は渋い顔で腕組みをしているだけだった。なんて腰抜けだ。男のくせに。しっかり家賃とってるくせに。
「うーん。警察に言っても『双方で話し合って解決しろ』と言われるしな。追い出すって言ってもそんな簡単には行かないんだよな」
この言葉に、私は少し怒った。
「こっちは死ねとか言われたんですよ? 向こうはやりたい放題なのに、こっちは我慢しろっていうんですか?」
「そりゃあ双方の言い分があるし」
双方の言い分? 死ねと言われるほど私が何かしたというのか。私が我慢すれば解決するというのか! 頭に血が上ってきた。
「じゃあ警察呼んでくださいよ!」
「警察はなんにもしてくれなんだよ。実害がないと動いてくれないんだわ。ケガさせられたとか、車を傷つけられたとか」
『お前が我慢しろ』大家の表情は、そう言っていた。
この大家では埒が明かないと思ったので、その日はもう黙って家に帰った。
やはり納得がいかない。警察は一体なんのために存在しているのか。弱者を守れない世の中に、どんな正義があるというのか。いや、こういうことは裁判をするものなのだろうか。裁判なんて大げさで時間がかかることをしなければ、福原という悪党を始末できないのか。では、やったもん勝ちの世の中じゃないか。と、日常的に苛立ちがおさまらなくなってきた。そこで、賃貸業者に相談してみることにした。どうせ、クソ大家と同じで、『難しい』と言われるのも覚悟の上だった。
もう、仕事なんかしていられないので、私は休みをとった。福原妻の図々しい車を睨んでから、賃貸ショップに向かった。
出てきた担当者に、全てをぶちまけた。弱腰中年下痢クソ大家の対応のことも話した。すると、担当者は、
「ふーん。それはひどいですね。こういう問題は警察もなかなか取り合ってくれないし、難しいんですよ」
あ。またおんなじだ。私は思った。ではもう話すことはないから引き上げようか。
「じゃあ、なにもできないんですか?」
担当者は、
「いえ、そうではありません。福原さんのところは、以前にも隣人にいやがらせをして問題になっています。この地域では要注意リストに名前が載っている方ですね」
そんなリストがあるのか。
「じゃあ、それで有名な一家なんですね」
「ええ。福原さんのところは、12月の25日が契約更新日になっています。その契約を更新しなければいいんです。正当な理由があれば契約の更新をさせないという、大家さんにはその権利があります」
「じゃあ、そういうふうにしてもらえます? でも、大家さんは弱腰でしたけど大丈夫なんですか」
「我々の方から事情を話してみます。ですが、福原さんの方もかなりごねますからね。大家さんがどこまでその意思を貫くかにかかっています。弱気になって契約更新しないように説得します」
と、意外な展開に、急に天から神々しい光が降り注いだような気持ちになった。
「おねがいします」
私は心を込めて言った。どうかうまく事が運びますように、という祈りだった。
賃貸業者の人から頼もしい言葉をもらったが、それでも内心は少々不安だった。どんでん返しで『やっぱり無理でした。我慢してください』なんてことになるんじゃないか。
それから数日後。夕方の7時くらいだった。夕食の支度をしていると、急に玄関を何度も叩く音がした。すぐに福原妻だと判明し、私は反射的に玄関へ走った。
「おい! おめーが言ったのか! 余計なことしやがって。刺してやる」
福原妻の暴力的な声がした。
福原妻は玄関をしばらく叩きまくって帰った。福原妻が帰ってから、警察に通報しようか迷ったが、どうしようもなく怖くなったので布団の中で震えていた。
また数日後。大家から電話があった。また、頭に血が上るような内容だった。
「福原さんの旦那さんから電話があって、『反省していますから更新をさせてほしい』と言ってきたんだ。この前、奥さんがそちらへ行って、玄関を叩いたらしいけど。それから賃貸業者の人から電話があって……」
反省している? いまさら? 結局追い出されたくないだけじゃないか!
さすがに怒鳴りそうになった。
「でも、更新はしないことにしたから。12月の25日までに出てってもらう。それから、だから、西本さんも、このことは他の人には内緒にしてもらいたいなぁ」
更新はしない。福原一家が出ていく。それは平和が訪れることを意味していた。私は、そこで初めて二年近く続いた苦闘に勝利したことを実感したのだった。できればすぐに解決したかったのに、隣人トラブルとはこんなにも長い時間がかかるものなのか。
よく食事に行く友人の景子と、古びた喫茶店にいる。
話題は当然、隣人トラブルのことだ。私が受けた被害のことを話し、それから大家の対応のことを話した。景子は、大家が『この件は内緒にしてほしい』と言ったことについて妙に反応した。
「それって、大家さんが都合悪くなるから口止めしてるんじゃないの?」
景子がコーヒーカップを持ったまま言った。
「どういうこと?」
「だって、お隣さんが出て行っても、そういうトラブルがあったってことと、それから大家さんが腰抜けで解決してくれなかったってことを知られたくないわけでしょ。要はトラブル物件ってことでしょ。隣人が脅してくるなんて、そういうトラブルがあった場所に住みたいと思う?」
「それは……」
言われてみればそうだ。事故物件は人が死んだ物件だが、変な人が隣に住んでいるかもしれない物件も、充分嫌な物件だ。
景子は続けた。
「大家さんも、所詮は家賃収入を減らしたくないだけなんだよ。だから、その異常なお隣さんも、藍のことも出てってほしくないってこと。安くない家賃入れてるんだから当然の権利でしょ、平和に暮らすのって。大家さんは責任もとらず、内緒にしてくれなんて言ってるんだよ。ひどくない?」
「まあ、もう終わったことだから」
景子は納得いかないような顔をしていた。
「12月25日近くに越してきたって言ってたよね」
「そうだけど」
「繰り返してるってことでしょ? 前にもその家族、隣人トラブルで追い出されたんだよ。嫌がらせして、追い出されての繰り返しなんだよ。だから引っ越してきた時期が、更新時期と近いんだよ」
「あっ。そうか……」
更新期限で追い出されて、また入居しては追い出され……。福原一家はそんなことを繰り返しているのだ。
なぜ? わからない。理解不能な人たちだ。見た目は人間だけど、中身はエイリアンなんじゃないかと思う。いや、そんなことはないにしても。
12月25日【 お隣さんはえらべないことがこの世で最も不幸なことであ、】
朝、会社へ行くときだった。今日は特に意識したわけではないが、気分がよかった。
福原一家が処刑される日だからだ。奴らは罰として家を追われ、金を使って引っ越しをしなければいけないのだ。ざまあみさらせ。
私は、軽い足取りで車へ向かった。もう、福原妻の車が斜めに駐車してあっても何の痛痒も感じない。本日、いなくなるのだから。
車に乗ろうとしたときだった。
何かがベランダから降ってきた。靴が見えた。人の足だ。
首吊りだ。私がでてきたところを見計らって、ベランダから首を吊ったんだ。
急に吐き気と息苦しさが襲ってきた。全身の血液が流れを止めてしまったようだった。
その場から逃げたくなって、ふらつく足で道路に飛び出した。
福原妻か? ショックで死んだのか?
もう、女物の靴が見えただけで失神しそうなのに、全身を視界に入れてしまったら、どんな衝撃を受けるかわからない。しかし、目は勝手にそちらへ動いてしまった。ベランダから吊り下がった長い物体。しかし、なにかがおかしいことに気が付いた。
「人形……」
ふと視線を感じて、その方を見るとベランダの窓から、福原妻がこちらを見ていた。私が怯えていることに満足なのか、意地悪な笑みを浮かべていた。
「くるってる」
色んな言葉が頭の中をかけ回った。でも、私の口から出たことは、そのたった一言だった。人形をわざわざ用意してベランダから落とすなんて。常人が考える嫌がらせじゃない。
あれから、私は恐怖で借家というものに住めなくなった。仕事をやめて実家に帰り、今は静かに暮らしている。
私が都会に住んで知ったことは、世の中には常識が全く通用しない、狂った人間がいる、ということだった。
この異常な一家は、またどこかの借家で暮らしている。あなたの隣人かもしれない。
PS5のリターナルというゲームは個人的に大変よくできゲームだと思う。推理とは関係ないが。
ロード画面というものが無く、待つことなくゲームが進行する。時代もここまできたか。PS7くらいになるとロード画面というものはなくなるのではないだろうか。