平野奈津 2
凪沙の様子がおかしい。
呼び出されて会ったはいいのだけれど、ニヤニヤするばかりで何も言わない。いや、正確に言うと、口を開いては『……あ、やっぱダメ。言えない』と一人で身悶えしているのだ。
「ママ友に子供を預けて来てるんだから、話がないなら帰るわよ」
そう言って席を立とうとすると慌てて引き留める。
「ごめんごめん、奈津。聞いてくれる?」
その後聞かされたことは、およそ普通の主婦には信じられないことだった。
子供を置いて同窓会に行かせてもらっておいて、昔好きだった人に会いに行ってエッチしてきたって? 正気だろうか?
「もちろん、正気よ」
悪びれる様子もなく凪沙は言う。
「私、ずっと旦那と姑にストレスかけられてるじゃない? このままじゃ、繊細な私はいつか壊れてしまうと思っていたの。だけど、彼に抱かれている時に思ったのよ。私はこの人に会うために生まれたんだって。今は、お互い結婚してるけど、いつか一緒になれる。そんな気がしているの」
「相手もそう言ってるの?」
半ば呆れ果てて聞いてみたが、凪沙は気にする様子もない。
「言われてはないけどね、わざわざ奥さんが里帰り中に会ってくれたのよ? しかも、十年振りに連絡したっていうのに私のこと覚えていてくれて。時の流れを感じなかったわ。来年、必ずまた会おうねって約束したの」
「そう……良かったわね。で、なんで私にそんなことを話すの?」
「だって。こんなこと、誰にも言えないじゃない。でも、誰にも惚気られないなんて辛過ぎるもの。誰かにはこの恋心を聞いてもらいたいの。奈津なら、口も固いしちょうどいいかなって」
ちょうどいい、ね。なんか馬鹿にされてる感じ。
「ああ、聞いてもらってスッキリした。私ね、これで一年間頑張れるわ。うるさい姑も、役に立たない旦那も、来年のデートを思えば我慢できる。
彼とのLIMEもね、再開したの。奥さんに疑われないように、一週間に一回だけ送るのよ。見られたとしてもかまわないように、好きとか愛してるとか絶対に書かないの。私の日常のことを送るだけ。
彼とLIMEで繋がってる、それだけで幸せだから」
うっとりとした表情で話し続ける凪沙。私は予定時間より少し早めに切り上げてカフェを後にした。帰り道、ものすごく腹が立っていることに気づいた。なんでだろう?
(たぶん……私は凪沙が羨ましいんだ。お金の苦労が無い生活をしている凪沙のことがずっと羨ましかった。そりゃ姑の苦労はあるかもしれないけれど、そんなの同居じゃなくたって少なからずあることだ。凪沙だけが不幸なんじゃない。
それなのにいつもいつも自分は不幸だって、奈津は幸せよね、お金は無くても自由な生活でいいわねって。可哀想な自分を慰めろって、不幸マウントを取られ続けていた。私の愚痴なんてたいしたことないって聞いてくれないくせに。
それでも、私は愛があるからまだ幸せだって思うようにしてた。そうでないと惨めすぎるから。
なのに凪沙は、お金だけでなく愛も手に入れた。不倫というスパイスの効いた愛を……)
それから毎年、凪沙は同窓会に行き、一夜だけの逢瀬を楽しんでいた。自分たちを織姫と彦星になぞらえて嬉しそうに語っている。そんな話を黙って聞いてやっている自分にも腹が立つけど。
その間に凪沙の娘は私立中学に合格し、来年は息子が受験に挑戦するという。私立に受かるための塾の費用もバカにならないし、学費だって相当なものだ。うちの家計では望むべくもない。
(なんで凪沙だけがいい思いをしてるんだろう。旦那さんも子供も可哀想だ。自分の妻や母親が不倫しているなんて知ったら、どう思うのか。凪沙は考えたこともないんだろうな。人生楽勝くらいに思ってるんだから……)