05 妹とデート?
ナンパ衆に絡まれた一件から十分後、俺たちは学区内にあるドーム型の大型ショッピングモールに来ていた。
「異世界にショッピングモールなんてあるのか!?」と最初は驚いたものの、今の生活に慣れ過ぎてしまったせいで最初ほどの感動はなく、すでにそこにあって当然のものとして勝手に認識されていた。
だからこそ、俺は常にこの日常化したものに少しでも感動を与えるにはどうしたらいいかと勝手ながら試行錯誤を重ねているのである。
まあ、その前に片付けるべき案件が目の前にあるわけだが——————
「兄さん、兄さん、私クレープが食べたい!」
妹であるヒヨミさんは先ほどからずっとこの調子である。
たこ焼きもどきを食べ、次にアイスクリームもどき、タピオカ入りコールドドリンクもどきときて、今度はクレープもどきときた。
大分日本に近い食文化のことはこの際どうでもよく、重要なのは大型ショッピングモールに来てから今のところ店の中を食べ歩きしかしてないということだ。
しかも、それら全てが俺の奢りという——————
「あ、あの~、ヒヨミさん? 俺も学生なので、そこまでお金は持ってないんですが……」
学生の懐事情はそんなものだろう。
大体の学校は、働くことを厳しく原則化しており、並大抵の理由がない限り働くことができない。
我が家の場合、両親共々働いているため、臨時として俺が働く理由はどこにもなく、俺の収入源は月のお小遣いしかないというわけだ。
「あ~、うん、そうだよね、わがまま言い過ぎだよね、ごめんなさい……」
肩を窄めて露骨にがっかりするヒヨミ。
そんな彼女をいつまでも見ていられず、フンっと軽く鼻を鳴らしてから優しい口調で言葉を放った。
「クレープで最後だからな? 約束を守れるなら奢ってあげるよ。他は自分のお金で買ってくれ」
「兄さん……」
先ほどの態度とは相対してキラキラと目を輝かして上目遣いで見上げてくる。
そして感情が感極まったのか、最大級の好意を示しながら俺に抱きついてきた。
「兄さん、大好きっ!!!」
「おい、こんなところで抱きつくなって、もしこんなところ知り合いに見られたら——————」
と、辺りを見渡したところで、通りすがりの一人の人と目がバッチリ合った。
その人は、茶髪のセミロングをハーフアップにし、左側のサイドバングをストレートに垂らして、右側をお洒落な花柄のヘアピンで留めた女の子。
どうやら、人違いという淡い期待も打ち砕かれたようで、向こうも俺の存在に気が付いたのか「あ、」と口を真ん丸と開いている。
現状況下の中で一番鉢合わせたくなかった人で間違いないようで——————
「ツ、ツキノト!?」
「ア、アサウミ君!? こんなところでな、ななな、なにしてるの!? 女の子と、その……」
「ち、違う! 違うんだ! こいつは俺の——————」
俺がコトカの誤解を解こうと正直に話そうとしたところで、彼女の横に控えていたクラスメイトであるアスミ・カラスダニが口を挟む。
セミロングの亜麻色の髪にウェーブの癖っ毛が付いた運動神経抜群のスポーツ少女である。
「この子がアサウミの妹? へぇ、噂通りの可愛い子だねぇ~」
「……へ? い、妹さん?」
キョトンとした様子でコトカがアスミの言ったことをリピートする。
「どもです、妹のヒヨミです。いつも兄がお世話になってます」
「凄い礼儀正しい子だね、アサウミも妹さんを見習ったら?」
「いや、一度でもカラスダニに態度悪いことしたことあったっけ?」
俺の記憶では初めて話したはずなのだが、気が付かないうちに多大なご迷惑をおかけしたのだろうか?
ともあれ、コトカへの誤解が解けって大変良かったのだけれど、まだ一つだけ問題が——————
「あの、ヒヨミ? そろそろ離れてもらっていいか? 誤解が解けたとはいえ、クラスメイトの前では流石に恥ずかしいんだけど……」
すると、ヒヨミは何か良いことを思いついたかのようにニマニマとした表情を浮かべる。
マジで、嫌な予感しかしない。
「えぇ~? 兄さんとデートしてるのに離れないとダメなの? 兄さんも私とデートできて凄く嬉しそうだったのに……」
「「「え?」」」
目の前にいる二人はおろか、俺も疑問の声を上げた。
デートに誘ってきたのはヒヨミの方で、抱きついてきたのもヒヨミからで……。
あれ? 俺気が付かないうちにヒヨミとデートできて嬉しかったのか?
いや、楽しいとは感じていたが、ヒヨミとデートできて嬉しいとは感じていないはずだ。
感情的には類似しているが、意味合い的には全く違うので一緒にしてはいけない。
だけど、そんな俺の心の中が彼女らに分かるはずもなく——————
「ア、アサウミ君? その、妹さんとは一体どのようなご関係で……?」
「アサウミ、もしかしてヒヨミちゃんと——————」
「違う、本当に違うから! ヒヨミはただの妹だから! ヒヨミも誤解だってことをちゃんと二人に説明してくれ!」
だけど、ヒヨミはプイッとそっぽを向くだけで訂正をするつもりは毛頭なさそうだ。
この野郎、後で覚えておけよ。
そしてヒヨミの手を借りることなく何とかコトカたちの誤解を解こうとしたところへ——————
「——————や、やめてくださいっ! 迷惑ですからっ!」
何かを拒絶するような女性の甲高い声がショッピングモール内を縦横無尽に駆け巡る。
一体何事かと思って声のする方を窺ってみると、うちの高校の制服を着た女子生徒が他校の男子生徒にナンパされているではないか!
今すぐにでも助けに行きたいところだが、他校の生徒と揉め事を起こすのはタヤマ先生の望むところではないだろう。
先ほど問題は起こさないと約束してしまった以上、俺が介入することは決してできない。
ショッピングモール内ということもあり、ここは「思念伝達」で警備員に通報するのが最善策だ。
——————というか、どいつもこいつも女に飢え過ぎだろ!
そんなことを思いながら「思念伝達」で警備員に通報しようとすると、クイクイッと制服の袖口を軽く引っ張られた。
犯人は言うまでもなくヒヨミである。
「兄さん、助けなくていいの?」
目尻を下げて悲しそうな表情を浮かべるヒヨミ。
だけど、今回ばかりは妹の期待に添えることはできない。
「相手は他校の生徒だから、今俺が行ったら確実に問題になる。だからここは警備員を呼んで——————」
そう言いかけた途端、俺の話を割るように陽代美が口を開く。
「じゃあ、兄さんは私が他校の生徒にナンパされていても同じことをするの?」
「そんなの、なりふり構わず助けるに決まってるじゃないか」
「だったら、あの子を助けない理由なんてどこにもなくない?」
「それは……そうだ」
確かに、ヒヨミの言う通りだ。
もし、ヒヨミが、アスミが——————コトカだったら、俺は黙って警備員が来るのを待つのか?
他校との問題を起こすのを理由に、何もしないでいるつもりなのか?
いや、問題とか考えずに真っ先に厄介ごとに飛び込むだろう。
だったら、ヒヨミたちとあの子の差は一体何だ?
クラスメイトだから? 知人だから? そんな小さな理由だけで俺は助ける人と助けない人を区別するのか?
そんなの——————許されるはずがない。
気が付けば、俺の中にあった迷いは綺麗さっぱり消え失せていた。
「お前たちはここから絶対に動くなよ?」
「うん、分かった」
「ア、アサウミ君! いくら何でもそれは危険だよ!? ここは誰か大人の人に任せた方が……」
「そんな流暢なこと言ってる場合じゃないだろう」
俺があれこれしている間に、他校の男子生徒が無理矢理にでも女子生徒を連れて行こうとしていた。
なのに、周りにいる大人や学生たちは見て見ぬ振りをしているだけ。
恐らく、ナンパしてるチンピラが怖くてあの中に飛び込む勇気がないのだろう。
もう——————誰かが助けてることを願ってる場合じゃないんだ。
「大丈夫、俺に任せておけって」
「ア、アサウミ君! 待って——————」
俺の行く手を阻もうとしたコトカを未然に防ぐように、ヒヨミとアスミが彼女の手を引く。
そして俺はゆっくりとナンパ衆に近づいて行き——————
「おい、それ以上は止せよ。見っともねぇから」
「あぁ、誰だ、テメェ。ブチ殺されたくなかったらとっとと消え失せろよ、このクソ陰キャ野郎が」
おぉ、学校のナンパ衆なんかよりもよほど迫力がある……だけど怖くはないな。
冷静に相手の威圧度を分析していたのも束の間、俺は信じられない光景を目にしてしまった。
女子生徒を助けようとしてか、俺と同じ制服を着た男子生徒が顔面血まみれになって倒れていたのだ。
そして俺はナンパ衆の気迫に押されることなく、蔑んだ目で彼らに問う。
「おい、この発情猿ども、お前たちがそこの男を傷つけたのか?」
「この、クソ陰キャ野郎、誰に向かって口聞いてんだゴラァ!」
一人の男が俺の顔面をぶん殴ろうと、拳をグッと固めて殴りかかってくる。
だけど、咄嗟に「生源増強」と「身体強化」を発動させた俺には、その拳はあまりにも遅すぎた。
俺は男の手首を掴み、骨の軋む音が聞こえるほどの握力で握り続ける。
建物内は犯罪防止のための「生霊力」に対する制限が掛けられているものの、力の調整を怠れば骨をへし折るぐらいなら造作もない。
「このクソ陰キャ野郎! ぶっ飛ばれたくなかったらさっさとその汚ねぇ手を離せや!」
「分かった、お望み通り離してやるよ」
そう言って、「生霊増強」と「身体強化」した拳を男の頬に目掛けて勢いよく振り抜いた。
男は五メートル横へと吹き飛び、殴られた頬を押えながら殺意むき出しの目で俺を見つめてくる。
「殴られる気分はどうだ? 最高だったか?」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ? 予定変更だ——————テメェをこの手でぶっ殺してやるよ!」
「人を傷つけておいて自分が傷つく覚悟はしてねぇのかよ。まあ、どのみちお前は俺を殺せないよ。——————主に二つの意味でな」
するとそこへ、騒ぎを嗅ぎつけてきた警備員二名が無事到着。
現場の悲惨さに驚きを隠せないでいる警備員に対して、俺が一通りの事情を説明しようとしたその時——————
「——————「黒煙」!」
ナンパ衆の一人が突然「生霊力」を使用したのである。
辺りに黒煙が充満していき、混乱を防ぐためにも早急に「生霊吸収」で霧散する全ての黒煙を吸い取っていく。
そして、黒煙を全て片付け終えた時にはすでに奴らの姿はなく、現場に残ったのは俺と警備員さんたちに負傷した男性生徒と怯えた様子の女子生徒だけだった。
「……ここで一体何があったのですか?」
「はい、実は——————」
それから俺は、警備員たちにここで何があったのかを全て話し、尋問から解放されたのはそれから三十分後のことだった。
待たせてしまった三人の元へ戻っていくと、三者三様の面持ちで俺を出迎えてくれる。
ヒヨミは笑みを浮かべ、コトカは心配そうな表情をし、アスミは無表情——————と。
「ごめん、待たせたな」
「ううん、それよりあの子大丈夫だった?」
「あぁ、俺より先に割って入った男子生徒のおかげで何ともなかったってさ」
「そうなんだ、よかった……」
そう安堵の息を漏らすヒヨミに代わり、今度は隣に立つコトカが今にも枯れてしまいそうなか細い声で尋ねてきた。
「ア、アサウミ君! その、怪我とかは……」
「あ、はい、大丈夫です」
「そ、そっか! よかった……あの、アサウミ君——————」
「ねぇ、ちょっと」
コトカがそう言いかけたところで、今まで無表情で黙っていたアスミが刺々しい様子で割って口を開く。
「ど、どうした?」
「どうしたじゃないでしょ、アサウミ今さっき自分がしたこと忘れたの?」
すると彼女は、俺の制服の胸ぐらをグイッと掴みながら言葉を綴った。
「あんた——————人を殴ったのよ? いくらあの子のためとはいえ、人に暴力を振るって何も思わなかったわけ?」
「それは……」
俺はあの時、人を殴ることに一切の躊躇いがなかった。
なぜ? どうして? いくら考えても分からない。
生まれて初めて人を殴ったというのに、俺の心には罪悪感は存在していなかった。
そんな俺がアスミの問いに対して何と答えればいい?
正直に答えるか、それとも嘘を吐くのか。
結局はどちらの発言に耐えることもできずに、俺はただ黙り通すことしかできなかった。
「……はぁ、もしかして、感情的に殴っちゃったわけ?」
大きな溜息を吐きながら、胸ぐらから手を離したアスミが再び俺に問う。
感情的——————男子生徒が顔面血まみれになった姿を見て激昂したことには間違いない。
だけど、今まで人を殴ったことのない奴が感情的になったからといって普通殴るだろうか?
感情論でもない気がして、俺は再び何も言い返せなくなってしまう。
そんな俺を見兼ねてか、踵を返したアスミは強引にコトカの手を取ってスタスタと歩いて行ってしまう。
——————「明日もう一度答えを聞くから、ちゃんと考えてきて」と一言だけ残して。
そして、微妙になった空気を察したかのようにヒヨミが「クレープはまた今度でいいよ」と言ってくれたので、俺たちは夕食の買い出しを済まして真っ直ぐ帰ることにしたのだった。