04 放課後
それからの約二時間分の授業を乗り切って迎えた放課後、俺は大量のノートを抱えて職員室へと向かっていた。
職員室に足を運ぶ次第となったのは、六時限目の「科学」の抜き打ちノート点検にて、不幸にもノート回収係に任命されてしまったからである。
任命された理由はと言うと、至ってシンプルな理由で「授業中に居眠りをしていたから」らしい。
授業中に居眠りをする生徒に制裁を下すとかで、知らない内にノート回収係を任されていたというわけだ。
「にしても、やべぇな。俺、全然ノート写してないんだが……」
これもきっと先生の策略なのだろう。
予告をすれば、普段ノートを取っていない生徒は慌てて友達から写させてもらおうとする。
それを未然に防ぐために、あえて抜き打ちにした先生には完敗だった。
おかげさまで、俺のノートは所々が抜けてるスカスカのノートで提出することになってしまったのだから。
「まあ、寝てた俺が悪いんだし素直に怒られるとするか……」
心の中で決心を固めたその時、前を見ないで廊下を走っていた生徒と肩がぶつかってしまった。
おかげさまでノートはバラバラと音を立てながら廊下に落ちていき、ぶつかった生徒は生徒で「わりぃ」と一言だけ告げてその場から去って行ってしまう。
そこに残ったのは、廊下に散らかったノートと純粋な怒りだけだった。
「はぁ、悪くない俺がなんでこんなことを……」
惨めな思いに押し潰されそうになったその時——————
「ア、アサウミ君、大丈夫? 私も手伝うよ」
そう言って顔を上げた先にいたのは、同じクラスの美少女(俺調べ)であるコトカ・ツキノトだった。
——————ツ、ツキノトぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?
驚きのあまり、つい口から声が漏れ出そうになる。
いくら目を擦っても目の前にいるのはツキノト本人。
向こうから話しかけてくれるなんて、もしかして今日の俺、付いてる?
先ほどまでの怒りは綺麗さっぱり消え失せていて、むしろあの生徒にお礼を申し上げたいほどに感謝の気持ちが自然と芽生えていた。
「これ、職員室だよね? 良かったら私も手伝うよ! アサウミ君一人じゃかわいそうだし……」
「い、いやいやいや、気持ちは嬉しいけど、ツキノトに申し訳ないよ!」
「私なら大丈夫だよ! 手伝いたいのは私の意思だから」
ツキノト、なんて良い子なんだ……。
可愛くて、優しいとか最強か! いや、実際最強なのだから別に間違えてはいない。
可愛くて、優しくて、おまけにドジっ子で——————これ以上の可愛い要素を兼ね備える女の子は、果たしてコトカ以外にいるだろうか?
「いや、絶対にいないでしょ!」
「うわぁ! ビックリした~。急にどうしたの、何か考え事してた?」
身長差もあってか、コトカは覗き込むように俺の表情を窺ってくる。
ここは、適当な理由で嘘を吐いて誤魔化すしかない。
コトカの可愛い要素について色々思考してた、なんて口が裂けても言えないのだから——————
「あ~、うん、えっと……その、だね、何というか、その……」
やばい、思ってたより動揺し過ぎてて何も言葉が思いつかない。
そんな感じでしばらく慌てふためいてると、コトカは軽く微笑みながら唇を開く。
「アサウミ君って冷静沈着な人のイメージだったんだけど、そうでもないんだね。意外な一面が知れて嬉しいな~」
「か、からかうなって……、ツキノトと話すのが初めてだったから少しだけ緊張してるだけだから」
「そうなんだ、アサウミ君でも緊張とかするんだね?」
「ま、まあ、そうだな……」
「ツキノトのことを意識しまくってるから緊張してるんだよ!」とは言えず、俺はこれ以上何も言い返すことはせずに黙って肯定する。
口を開けば、余計な事まで口走りそうだからね。
それでも、俺が築き上げてきた「冷静沈着」というイメージが音を立てて崩壊している気がするのは、きっと気のせいじゃないだろう——————
「そういえば、アサウミ君、体育の「生霊術」凄かったね! よくあんなに機敏に動けるな~って思って見てたよ。何かコツとかあるの?」
「あぁ、コツっていうか意識してることがあるんだけど——————」
女子にとっては、いかにもつまらなさそうな話を職員室に着くまで永遠と語り聞かせてしまったのだが、コトカは終始満面の笑みを浮かべながら聞いてくれた。
途中でも聞き飽きてもおかしくない話題を一緒になって楽しそうに笑ってくれる女子は数少ないだろう。
その観点から考えると、本当にコトカ・ツキノトという女子生徒は心が澄み切っているとしか思えず、途中から彼女が純白のオーラを纏った天使にしか見えなかった。
「失礼します、オダギリ先生はいらっしゃいますか?」
職員室の扉を開いて、近くにいた先生に「科学」の担当講師であるルリコ・オダギリ先生が在室であるか確かめる。
すると先生は、やまびこでもしているかのように職員室の奥にいるオダギリ先生を呼びつけ、声を聞き取った先生が「は~い」と軽快な声で返事をしながらわざわざこちらへと来てくれた。
「A組のノートね! ノートの回収ご苦労様、ありがとね~」
「いえ、そんな大した仕事じゃないので大丈夫です」
ルリコ・オダギリ——————白衣を身に纏い、水色の髪をポニーテールにした「科学」の先生で、落ち着きのある雰囲気が男子生徒から多大な人気を集めている。
まあ、当の本人はそのことを一切知らなさそうだが。
「あら、ツキノトさんも手伝ってくれたのね? わざわざありがとう」
「いえいえ、私で良かったらいつでも遠慮なく頼ってください」
そして俺たちは、オダギリ先生に軽く一礼してから職員室を後にした。
さて、放課後に済ますべき用件は全て完了してしまったので、コトカとの幸せなトークタイムはこれにて終わり。
何だか名残惜しい気持ちで一杯だったが、良い夢を見させてもらったと思って最後くらい元気良くさよならの挨拶をして別れるとしよう。
残念な気持ちを押し殺し、元気の良い声でコトカに話しかける。
「ツキノト、今日はありがとな! おかげで助かったよ。それじゃあ、気を付けて——————」
「ちょ、ちょっと待って……!」
別れの挨拶を言いかけたところで、思い詰めた表情をしたコトカに言葉を遮られてしまった。
一体どうしたのだろうかと顔色を窺ってみると、頬がほんのりと赤く色づいている気がする。
それが、沈む夕日に当てられたものなのか、それとも別の——————
「ツ、ツキノト……?」
あまりにも緊張した表情を浮かべるコトカに釣られ、絞り出すようにしなければ声を出すことは叶いそうになかった。
故に、少しだけ掠れた声で様子のおかしい彼女の名を呼んでみたのだが、まるで反応がない。
コトカは一体どうしてしまったのだろうか?
気が付かないうちに俺が何かやらかしてしまったのだろうかと頭の中でグルグルと思考を巡らせてみるも、全く身に覚えがなかった。
「あ、あの! その……!」
話す決断が心の中で整ったのか、これまで無言でいたコトカは耳先まで真っ赤に染めながら思いを口にする。
「よ、よよよ、よかったら、一緒に帰りませんか!」
「……え?」
一瞬、何を言われたか分からなかった。
イッショニカエリマセンカ? それはどこかの地方の挨拶的な物だったりするのだろうか?
だけど、通用するかも分からない挨拶をするのはどう考えても不自然だし、イッショニカエリマセンカって……ん? もしかしてイントネーションが違かったりする?
俺はイントネーションを変えて再び、コトカが放った言葉を唱えることに——————
——————イッショニカエリマセンカ……一緒にカエリマセンカ……一緒に帰りませんか……って、えぇ!?
俺の中にあった検索ワードから詳細情報まで、コトカが口にした言葉が寸分狂うことなく見事に一致。
まさかコトカって俺のこと好きなの!? ……って待て待て、一旦落ち着こう。
冷静沈着、動揺なんて言葉、俺には縁もゆかりもない言葉——————だったはずなのだが、全然動揺を隠し切れないでいた。
「ど、どどど、どうして俺なんかと一緒に!?」
「えっと、どうしてって、そんなの……って、あぁ、ごめん! 今の忘れてぇぇぇ!!!」
「あ、ツキノト!?」
真っ赤に顔を染めたコトカが、俺の歩む進行方向とは逆の方向へと全速力で駆け抜けて行ってしまう。
そんな廊下のド真ん中でただ一人取り残された俺は、ひたすら後悔に押し潰されていた。
どうして素直に申し出を了承しなかったのだろうか。
どうして余計な事を口にしてしまったのだろうか。
慌てふためいていたせいで、冷静な判断ができなかったせいで、二度とないチャンスを自らの手で捨ててしまったんだ。
もしかしたら、一緒に帰れたかもしれなかったのに——————
「——————あぁ、そういえば、ヒヨミと帰る約束してたじゃん……」
どちらにしたって、今日はコトカと一緒に帰れなかったじゃんか。
そう思うだけで、沈んだ心が少しばかり軽くなった気がした。
クラス内に放置していたバッグを取りに戻り、すぐさまヒヨミの待つ校門前へと向かう。
すると、校門前には男の人だかりができていた。
その囲まれている中央にいるのは、まさに朝方俺と約束をした女の子で——————
——————まあ、いつものことだよな……。
小さい頃からヒヨミは男衆からナンパ衆に遭うことが多く、その度に俺がそいつらを排除してきた。
きっといつものように俺がどうにかしてくれるとヒヨミは思っているのだろうか、ナンパされているというのにボーッと遠くを眺めていた。
まるで、ナンパ衆の姿が見えていないかのように——————
——————にしたって、一切動じないとかすげぇな。てか、校内でナンパするとかあいつらもあいつらで凄いんだけど。
時間が経てば、何人かの先生が現場に到着することだろう。
だけど、貴重な時間をなんであいつらのために費やさなきゃいけないのか。
気が付けば、俺はヒヨミに群がる烏合の衆に近づいていた。
すると、ヒヨミが気付いた様子で人混みを掻き分けて俺の方へと寄ってくる。
まじで、動じないやん。
「兄さん、待ってたよ! 早くデートに行こっ!」
「デートって、ただ買い物に行くだけだろ……」
「それって、デートじゃないの?」
「まあ、デートっていうのかもしれないけど……」
そんな感じで、いつものように兄妹トークを繰り広げながら校門を抜けようとしたところで、案の定ナンパ衆どもが行く先を阻むように立ち塞がってきた。
やっぱり、そうなりますよね。
「おい、てめぇ、人の女を勝手にかっさらっておいてタダで済むと思ってんのか?」
主犯格と思わしき男が威圧するように顔を近づけてくるが、何だ? こいつ、それで脅迫してるつもりなのか? 正直全然怖くないんだが……。
というか、そんな事よりも一つ確かめたいことができた。
「ヒヨミ、こいつ、お前の男なのか? お兄ちゃんは可愛い妹がヤンキーと付き合ってるなんて断じて許せません」
「またまた~、そんなわけないでしょ! 私は兄さん一筋なんだから~」
「冗談きついよ~」と言わんばかりにヒヨミは笑って答える。
「って言ってるけど、君たち、もしかしなくてもタダのナンパじゃないの? これ以上はよしなよ、見っともないから」
振られたナンパ野郎のプライドに傷がつかないようにとかなり優しく言ったつもりだったのだが、なぜか彼らは俺たちを指刺しながら煽るように口を開いていく。
「てめぇら、まさかブラコンとシスコンなのかよ! 見っともねぇのはどっちだって話だよ!」
「血の繋がった兄妹は結婚できないの知らねぇってかぁ〜?」
下校する生徒たちに聞こえるように、わざわざ大きな声で暴言を吐いてくれたナンパ衆に疑問を持った。
俺とヒヨミが血の繋がった兄妹だと、こいつらに一言でも話しただろうか?
きっと髪色が一緒だから血の繋がった兄妹だと断定したのだろう。
もし、そうだとしたら、不確定な情報でしか語れないこいつらは見た目通りの正真正銘のお馬鹿さんだな。
まあ、実際のところは兄妹なんだけどね。
本来なら、こいつらの思惑に乗っかって反論する価値は微塵もないのだが、執拗に絡まれても正直迷惑だ。
だから俺は、一つ大きく溜息を吐いた後に、憐れむような目つきで彼らに告げた。
「兄妹にそんな視線しか向けられないなんて、随分と愛の無い環境で育ったんだな……可哀そうに……。大丈夫、きっとあんたらを愛してくる子は必ずいるはずだよ……。まあ、いればの話なんだけどねっ!」
しまった、つい笑いが堪え切れなくなって最後の方めちゃくちゃ煽ってる感じになっちゃった!
でも、まあ、間違えたことは言ってないし、気にすることでもないか。
すると、ナンパ衆は目尻をピクリと動かし、より一層増した狂気の目つきで俺を睨んでくる。
まあ、そうなるわな。
「あぁ? てめぇ、シスコンの分際で何ほざいてんだ、ブッ殺すぞ?」
「殺す? 別に殺しに掛かってきてもいいけど、絶対に殺せないと思うぞ?」
「このシスコン野郎! ブッ殺してやる!」
そう意気込み、先頭にいたナンパ男が全力で殴りに掛かってくる——————のだが、あまりにも遅すぎる。
俺が「身体強化」したというのもあるだろうけど、奏斗の動きの四分の一ぐらいは遅く見えた。
体育館とは違い、「生霊力」の制限が掛けられていないからか?
とはいえ、向こうも向こうで何やら身体に付与する系の「生霊力」を使ってるぽいけど……よく分からん。
「ヒヨミ、俺の元から離れるなよ?」
「は~い」
ヒヨミは随分と気の抜けた声で返事をする。
もう、こいつらのことはどうでもよく、早くショッピングに行きたいといった様子だ。
だったら、手を抜く必要はどこにもないだろう。
殴りかかってくる敵の動きを捉え、腕を掴んで投げ飛ばそうとした次の瞬間——————
「ハッ! 動きがおせぇんだよ! さっさと死ねや!」
途端に男は、全身から炎を体現させて俺に容赦なく浴びせて見せる。
その怯んだ一瞬にヒヨミを連れ去ろうという根端なのが、全部筒抜けだ。
あらかじめ「生霊吸収」をしていたおかげで火炙りの刑から免れることができ、「身体強化」を介して赤裸々になった腕を難なく掴んでナンパ衆の方へと投げ飛ばす。
耐え難い痛みに苦痛の声を漏らし、怒りのボルテージを最高値まで引き上げた男が、憎悪の視線を俺に浴びせながら言葉を放った。
「てめぇ! 舐めた真似してんじゃねぇぞゴラ! 正々堂々勝負しろや!」
「え? 真剣にやってたのに負けたのはどう考えてもお前の方だろ? 自分の負けを人のせいにするなんて感心しないな〜」
「感心しないな~」
なぜか俺の言ったことをリピートするヒヨミ嬢。
その愚行が気に障ったのか、ナンパ衆はやられた男の仇と言わんばかりに「生霊力」を介して、様々な属性弾を俺たちに向けて乱発してきた。
全く、こいつらに学習能力はないのかね。
俺はただ突っ立って全ての乱撃を「生霊吸収」で無効化していく。
すると、そこへ——————
「こらぁ! 生徒から通報があって来てみれば、お前たちは一体何をしてるんだ!」
我らが学年主任であるタヤマ先生が怒った様子で駆け寄ってくると、ナンパ衆の攻撃の手はスッパリと止み、鬼から逃げるかのように酷く慌てた様子で逃げて行った。
そんなに先生が怖いなら、校内でナンパしなければいいのに。
「大丈夫か? アサウミ……って、お前なら大丈夫だよな!」
「生徒の状態を確認しないで、適当なこと言わないでくださいよ……」
まあ、実際のところ無傷だからタヤマ先生の言ってることは正しいのだが。
「それより、あいつらが女子生徒をナンパしてるって通報を受けたんだが、もしかしてその子が被害者なのか?」
「はい、そうです。俺の妹のヒヨミです」
「あ、ヒヨミ・アサウミと言います。いつも兄がお世話になっております」
緊張した様子でペコリと会釈するヒヨミ。
どうやら、ナンパ衆にナンパされるよりもタヤマ先生と話している方が緊張するらしい。
「ちゃんと礼儀のなった良い子じゃないか! アサウミももう少し見習ったらどうだ?」
「お、俺だって礼儀ぐらいできてますよ……。それより、俺はこれから罰せられるのですか?」
校内であれほどの不祥事を働いたのだから罰せられるのは当然だろう。
だけど、俺の発言を聞いたタヤマ先生は間の抜けた顔をしているだけで一向に生徒指導室へと連れて行こうとしなかった。
それどころか、呆然とその場に立ち尽くしている。
「せ、先生? どうかしました?」
「あ、あぁ、悪い、あまりにもアサウミが馬鹿げたことをいうものだから、つい呆気に取られてた」
「そこまで馬鹿げたことを言ったつもりないですけど……。ということは、俺を罰さないということですか?」
「当たり前だろ、だって—————」
タヤマ先生は、今までに見たこともない爽やかな笑顔をヒヨミに向けながら言葉を綴る。
「——————妹を守るために兄であるお前は戦ったんだろ? だったら文句をつけるところがどこにあるんだ!」
確かに、ヒヨミを守るために俺は迷うことなく戦うことを選んだのだが、学校の秩序を乱したことに変わりない。
何かしらの形で罪滅ぼしはきちんとしたいのだが、罰せられないと言うのであれば、ありがたくそうさせてもらう他ないだろう。
自分の中に生まれる矛盾を抑えつけ、俺は先生の言葉をありがたく頂戴することにした。
「先生、ありがとうございます。それではこれからヒヨミと行くところがあるのでこれで失礼します」
「おう、放課後に何をしようが自由だが、問題だけは起こすなよ?」
「分かっています、それでは失礼します」
俺がタヤマ先生に軽く頭を下げると、見習うようにヒヨミも頭を下げる。
そして俺たちは、タヤマ先生に見守られながら橙色に染まった街へと足を踏み出した。