03 生霊術
「——————おーい、起きろ〜。体育の時間だぞ~」
朦朧とする俺の意識に割り込むように、幼馴染の声が遠くから聞こえてくる。
四限目の体育はちょうど陽の日差しが最高潮に達する嫌なタイミングだった。
そう、そのはずだったのだけれど——————
「んあ? あぁ、おはよう……ってあれ? 雨降ってるのか?」
外の様子を窺ってみると、空一面は雨雲に覆われて小雨が絶え間なく地上へと振り注いでいる。
時限を挟む度に起床はしていたので、三限の始まりは雨が降っていなかったことは鮮明に覚えていたのだが、どこかのタイミングで雨が降り出したかは分からなかった。
「シンヤが寝ている間に降り出したんだよ。それより、雨が降って来てくれたおかげで少しは体育館の中が涼しくなったんじゃないかな?」
「まあ、そうだな……」
猛暑日の体育館は地獄でしかない。
冷房完備の体育館なら何の問題もないのが、この学校にそのような贅沢品は設置されていないのである。
「そんな事よりも、シンヤは早く体操着に着替えようか。始業の予鈴まであと四分しかない」
「うわっ、マジか! ごめん急いで着替える!」
寝ていた俺をわざわざ起こしてくれるなんて、出来過ぎた幼馴染だ。
そんなことを考えながら、急いで体操着へと着替え、同時に上履きから体育館シューズへと履き替えてから体育館へと足早に向かって行く。
最近の体育は、女子が外で「ソフトボール」で男子が「生霊術」だったのだが、天候の影響で今日に限っては男子と女子が揃って体育館に集結していた。
その様を見ていると、猛暑とは別の意味で暑苦しくなってくる。
「今日は体育館を半々に分けてやるっぽいね。そしたら「生源術」は一人一回だけになりそうだね……」
隣に立つイケメンが肩をガクッと露骨に落としてかなり落ち込んでいた。
まあ、「生霊術」の授業は結構楽しいから、その気持ちは痛いほど分かるのだが、今日に限っては仕方がないだろう。
だって、外は雨が降ってるんだし。
「それじゃあ、約束通り真面目に「生霊術」授業を受けるとするよ。体育館内は別に暑くないし、十分に仮眠を取ったからな。コンデションはバッチリよ!」
「そ、そうか、頼んでおいてなんだが、お手柔らかに頼むよ……」
肩をコキコキと鳴らす俺に、カナトは苦笑を浮かべながら口にする。
「生霊術」とは、日本で言う「柔道」みたいなものだ。
「柔道」と何が違うかと聞かれれば、決まった型が存在しない点と「生霊力」を使っていい点に限るだろう。
この体育館内は特殊な結界で覆われており、体育館を倒壊させるような威力が出せないように結界で制御される。
つまり、この空間に居れば「生霊力」を思う存分に使えるというわけだ。
「お~い、男子集合しろ~。女子は向こうに行け~」
体育用職員室から姿を現した体育教師であるタヤマ先生が、女子軍を厄介払いするようにネットの向こうへと追いやる。
そして女子生徒たちは、タヤマ先生の背後から顔を覗かせた女子担当の先生の後に続くように談笑しながらぞろぞろとついて行く。
「さて、今日の「生霊術」の授業なんだが、知っての通り体育館を女子と分けて使うから、一組当たりそこまで長い時間は取れない。だから、さっさと始めるぞ~」
「え~マジか~」と男子生徒たちが失望の声をハモらせるのだが、その声はすぐさま終息し、俺たち男子軍は予定通り準備体操を開始した。
準備体操は十分もかからず、それから二人一組のペアを組む。
「生霊術」の実践授業の順番はタヤマ先生が適当に決めた順で行われ、俺とカナトのペアは最初から三番目だった。
「それじゃあ、最初の組、始めろ——————」
そして俺たちは出番が回ってくるまで体育館わきで練習風景を傍観していたのだが、まあ、つまんないわな。
これと言ってやることないし、ただクラスメイトの「生霊術」を見せられるだけだった。
「シンヤ、暇だな……」
「ああ、暇だな……」
クラスメイトの「生霊術」から何か学べるものがあればいいのだが、やっぱり見ているだけでは何も得られそうにない。
やはり「生霊術」とか、身体を動かしてなんぼの授業は実践しないとスキルは身に付かないのである。
まあ、だからと言って俺たちに出来ることは順番を待つことぐらいなんだけど。
「そういえば、「恋愛事情調査」の方はどうだった?」
「何だよ、藪から棒に。特に嬉しいことはなかったぞ」
「そうなのかい? 俺はてっきり一人は確実にいるものだと……」
「一人は居たさ。まあ、それが妹のヒヨミだったんだけどな。あいつ好きな人がいないからって俺の名前を書いたんだとさ」
「ふむ、そうなんだ……」
顎に手を添えてどこか納得していない様子でカナトは言うが、人は必ずしもモテるとは限らないことをイケメンな幼馴染は完全に忘れていそうだった。
まあ、それを指摘したら悲しくなるのは俺の方なので決して口にはしない。
「それで、カナトの方はどうだったんだよ。さぞ多かったのでしょうな」
「いや~、それがそうでもなかったんだよ。確か、百人ぐらいだったかな?」
「いや、モテない俺への当てつけか!」
好意を百人から寄せられてるって、いくら何でも多すぎだろ!
確かにカナトはイケメンで誰に対しても優しいから、別にありえない話でもないんだが、百人は欲張り過ぎだ。
冗談でも、その中から五人ほど譲って欲しいぐらいだ。
「でも全校生徒の割合からしたら大した数字でもないよ。俺なんかよりももっと多い人はいると思うからね」
「お前、モテすぎてモテ感覚がおかしくなってるぞ? あー、コワイコワイ」
「えー、普通は全体の割合から何人から好意が寄せられているかと考えると思うけど……」
いや、普通は全体の割合からモテ率は計算しないから。
腕を組んで悩まし気に考えているモテ狂った幼馴染に溜息を洩らしつつ、俺は話を続けた。
「それじゃあ、いずれカナトはその中の誰かとくっつくってわけか」
「まあ、そう単純な話でもないんだよ。俺にはすでに心に決めた人がいるからね」
「そうなのか? 同じクラスの奴?」
「いや、クラスどころか、どこにいるのかも分からないんだよ」
「お、お前、まさか運命の赤い糸でも見えるのか……?」
「運命の赤い糸? 初めて聞く単語だな。それは普通の糸と何か違うのかい?」
「いや、まともに取り合うなよ! こっちが恥ずかしくなるだろうが!」
安っぽい挑発にまともに取り合うカナトに思わずツッコミを入れた、まさにその時だった。
前の組の奴らの「生霊力」で出来た火炎弾が、ネット際に立っている女子生徒に当たりそうになっていたのである。
「危ない! 早く逃げろ!」
タヤマ先生は女子生徒に急いで離れるように指示していたが、どう考えても間に合うわけがない。
だって、女子生徒が火炎弾の存在に気付いた時には、すでに十メートル先のところまで迫っていたのだから——————
突然の出来事に、女子生徒は愚か誰一人として動けるような状況じゃなかった。
——————だったら、もう俺が動くしかない!
俺は一秒の迷いを生じさせることなく火炎弾に向かって七つある能力のうちの二つを使った。
「身体強化」を施した俺の瞬間速度は火炎弾の速度を難なく上回り、女子生徒と火炎弾の間に割り込むとともに、すぐさまもう一つの「生霊力」を使用する。
迫りくる火炎弾に手をかざし、火炎弾が俺の手に触れた直後、何事もなかったかのように火炎弾はあっさりと消滅した。
まあ正確なことを言うのなら、俺の糧として吸収されたのだが。
「お前、いつも「生霊力」を乱発してるよな。もう少し周りに気をつけろよな?」
「わ、わりぃ、シンヤ、お前のおかげで助かったわ……」
実行犯である男子生徒を咎めながら近づいていくと、驚いた様子で感謝されてしまった。
まあ、今まで使ったことのなかった「生霊力」を使ったんだからビックリもするよな。
ちなみに『統合』が秘める七つの効力はと言うと——————
「生霊増強」……「生霊力」の大幅な増加。
「生霊吸収」……他の「生霊力」を吸収し、己の「生霊力」を回復。
「身体強化」……全ての身体能力が大幅に増加。
「思念伝達」……該当する人物に思念を送ることができる。
「分身体」……「生霊力」を消費して分身体を作ることができる。
「再現」……触れた「生霊力」をコピーすることができる。
「???」……???
とまあ、こんな感じの一貫性のない力たちが使えるわけだが、なぜか一つだけ力が使えなかった。
俺の中に七つの効力を秘めた「生霊力」があるのは確かなのに、発動条件が満たされていないのか十七年経った今でも未だ使ったことがない。
そんな使えない力のことはさておき、今しがた俺が使ったのは言うまでもなく「身体強化」と「生霊吸収」である。
身体能力が伸びる「身体強化」はもちろんのこと、他の「生霊力」を吸収して己の「生霊力」を回復させる「生霊吸収」は、周知が認めるとても便利な能力だ。
「あ、アサウミ……! よくやってくれた、助かったよ」
「いえ、俺は当然のことしただけなので、お礼は大丈夫ですよ」
「アサウミ、本当にありがとう!」
タヤマ先生と女子生徒に礼を言われたが、これ以上気を遣わせても悪いので、平然を装って大丈夫だという趣旨をサラッと告げる。
まあ、大したことしてないのに礼を言われて、背中が大分むず痒いからなんだけどね。
「にしても、シンヤ良く咄嗟に動けたね。しかも火炎弾を飲み込むなんて、シンヤって一体何者なんだい?」
「カナトには俺が人間以外の生物に見えるのか? それより俺たちの番はまだだからさっさと退散するぞ」
そう言って、カナトを連れて再び壁際に戻ろうとしたところへ、タヤマ先生に肩を掴まれて強制的に静止を促された。
「ちょうど次はお前たちの番だぞ? 時間も押してるしさっさと再開しようか」
そう言い残し、タヤマ先生は距離を取ったパイプ椅子の元へと戻っていく。
気が付けば、今まで「生霊術」していた前の二人は体育館わきへと移動していた。
「それじゃあ、シンヤ。さっそく勝負しようか! 負けた方が購買のパン奢りでどうだい?」
「……後悔しても知らんからな?」
今は四時限目、腹の方もちょっとずつ減ってきていたから奏斗に奢ってもらえるのは正直デカい。
だからこそ、俺は本気でカナトと「生霊術」訓練をしなければならない。
購買のパンを無料で食べるためにも——————
「——————それじゃあ、いくよ!」
カナトによる開始の合図の元、俺たちの「生霊術」訓練が幕を開けた。
「生霊術」の一組当たりの所要時間が大体十五分足らずというのにも関わらず、体育館の熱は所要時間に反比例するように最高潮に達する。
というのも、俺とカナトの「生霊術」が前二組とは桁違いのスピード感で行われていたからだ。
「生霊術」を履修する男子生徒は愚か、ネット向こうで「バスケットボール」をしているはずの女子生徒までもが俺たちに向けて種々雑多の声援を投げかけていた。
まあ、女子生徒の大半がカナトの応援しかしていないのは言うまでもない話なのだが。
「——————やっぱり、シンヤは凄い奴だよ。どうしてモテないのかが不思議なくらいだ」
俺の回し蹴りを食らってやや後退したカナトが、湿った前髪を掻き上げながら愉快そうに告げる。
「なんだ、それはお前なりの挑発ってことで受け取っていいのか?」
「挑発、そうだね。シンヤの本気はこんなものじゃないだろ? 挑発すれば少しは本気を出してくれるのかなと思ってさ」
「そうか、なら少し——————本気を出してやろうか」
六つの効力を使用可能とする「生霊力」を全稼働させれば、きっとこの試合は瞬く間に終わりを迎えることだろう。
本来なら、購買のパンもかかってることだしすぐさま決着をつけるところなのだろうが、本気を出せない理由が出来てしまっていた。
——————そう、この瞬間が楽しくてたまらないのだ。
カナトは本気で俺に勝とうと日々鍛錬を続けてきたのだろう。
動きに全くの無駄がなく素人の俺が見ても、もはや他生徒とは桁違いの代物に成長を果たしていた。
体育がなかったここ三日か四日の短い期間だったというのに、どうやったらここまで成長できるのか教えてもらいたいぐらいだ。
俺は全神経を集中させ、「生霊増強」を使用する。
今までの「生霊術」では「身体強化」しか使ってこなかったため、カナトに使うのはこれが初めてだ。
「身体強化」は全ての身体能力を大幅に増加させる至ってシンプルな能力だが、「生霊力」を介して身体強化いることは言うまでもない話だろう。
つまり、そこに「生霊増強」の能力が加わったとなれば——————
「——————驚いた、まだ身体能力が伸びるなんてね……」
俺の容姿を見るなり、カナトは驚いてるような、はたまた喜んでいるような曖昧な表情で口にする。
ぼんやりと浮かぶ左顔の切り裂かれたかのような闇色の歪な痣。
「生霊増強」を使うと体内に収まり切らないのか、毎度の如く闇色の痣が体現されるのだ。
「生霊増強」で増やした分を「身体強化」に上乗せさせ、俺はカナトに向けて攻撃体勢の構えを取る。
「まさか、降参なんて野暮な真似はしないよな?」
問うと、カナトはフッと不敵な笑みを浮かべた直後に攻撃を仕掛けてきた。
この行動が、カナトなりの答えを示しているのだろう。
一直線に向けられる拳の連撃を全て受け流し、足を引っかけて体勢を崩すために俺は上体を低くする。
そしてこの瞬間、カナトが勝ちを確信した笑みを浮かべたのを俺は決して見逃さなかった。
膝蹴りしやすい位置にわざと誘導させたのか、上体を低くしたその瞬間にカナトは俺の頭をがっちり固定するように掴み掛かってくる。
「シンヤ、今日は俺が白星を貰うよ!」
カナトがそう口にしてから俺の顔面に膝が直撃するのは、時間にしておよそ一秒。
「身体強化」した上に「生霊増強」した俺にとっては、その一秒でさえも十秒感覚で覚えてしまう。
カナトの放つ渾身の膝蹴りは、確実に一本を取れるほどのスピードを秘めているのだが、それはあくまで他の奴だったらの話にすぎない。
今の俺に攻撃を食らわせたいのなら攻撃を繰り出すまでのスピードを更に上げなければならないのだ。
「これで俺の勝ち……って、な!?」
勝ち誇るカナトの膝を素手で受け止め、頭を固定する手々を振り解いた後にすぐさま次の攻撃に展開する。
カナトの上体を支えてるのは左足一本のみ。
足を引っかけて転ばせるには至極簡単な事なのだが、逃げられでもしたら体勢を整えられてしまう。
そう、だからその一瞬の思考さえも与えないスピードで——————
「カナト、悪いが購買のパンのために勝たせてもらうぞ!」
足元を狙った攻撃は見事に炸裂し、体勢を完全に崩してしまったカナトは背中から床にダイブするかのように落ちていき、俺はすかさず彼の胸部に拳を突きつけた。
「——————これで、終わりだな」
すると、大の字に伸びたカナトは諦めた様子で唇を開く。
「参った、降参。俺の負けだよ」
次の瞬間、体育館内に男女共々の喝采が盛大に響き渡った。
俺は二つの「生霊力」を解除し、カナトの胸部に突きつけていた拳を引っ込めて代わりに手を差し出す。
「やっぱり、シンヤには敵わないな」
そんなことを言いながら、カナトは迷うことなく俺の手を取る。
「そんなことないさ、最後の一撃は「身体強化」してなかったら確実にやられてたよ」
「ってことは、俺も少しは成長できたのかな?」
「少しどころかかなり成長したんじゃないか? 次も本気でやらないとやばそうだ」
そんな他愛ない話を二人でしていると、タヤマ先生が今しがたの「生霊術」を講評しに俺たちの元へと近づいてきた。
「二人とも、かなり成長したな! 特にカンバ、動きに無駄がなく指摘するまでもなく完璧だったぞ?」
「ありがとうございます」
「それから、アサウミ。「生霊力」の使い方に関しては先生たちでさえも足元に及ばないほどなんだが、少々力に頼り過ぎだな。無能力の状態で身体を鍛えたらお前はもっと成長できるぞ!」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、次の組と交代だ! 次の組こっちに来てくれ!」
タヤマ先生が次の組を呼びつけてる間に、俺とカナトは再び体育館わきへと移動していく。
それから俺たちは、授業が終わるまで雑談して時間を潰すのだった。
ちなみに、ちゃんと購買でパンを奢ってもらいました。