雲の切れ間から
谷くんはキョロキョロと空を見上げて「まだ雲は薄暗いけど、今なら大丈夫そう」と頷いた。
少し狭い土管の中で窮屈だったのか、光の中で大きく伸びをしている黒い影が見える。
「ほんとだ。雨、止んでたんだね」
少し間が空いた上に残念がった声が出てしまう。でも私はまだ動けなかった、ここに根が張って居ついてしまったようで動きたくなかった。楽しい時間の終わりは受け入れがたかったが、それでも光の中にいる谷くんを羨ましそうに眺めてしまう。
「また降ってくる前に、帰らない?」
谷くんが首を傾げて私を外に出ようと光の中から誘う。でも私は、あの場所に戻るのが少し怖かった。でも、それよりもここでの時間があまりにも心地よくて、後ろ髪をひかれていた。
「……学校に帰るの、ちょっと嫌だな…」
ちょっとしょんぼりしながら、現実に戻らなきゃなのかと思うとちょっとふて腐れてしまう。
あんな状態で飛び出してしまった私が、どんな顔して帰ったらいいんだろうと思うと腰が引けて帰りたくなかった。
「そんな事言わないで。今帰らない方がきっと後悔するよ。
きっとみんな小坂さんの事、心配しているはずだよ?
僕も授業さぼっちゃった訳だし、一緒に先生に謝ろうよ、二人なら怖くないって」
私は思わず固まってしまった、なんで谷くんはこんなにも大人でいい人なんだろうって思いながら。山本くんよりも、村田先生よりも、誰よりも大人に思えてしまった。
なかなか土管から出れずにいる私を見て、谷くんは続けて言った。
「大丈夫だよ。僕も一緒に怒られるからさ」
谷くんはそういって私に右手を差し出してきた。
それはまるで厚い雲の隙間から零れ落ちてきた天使の階段のように、私には一筋の光のように感じた。1人では怖くて踏み出せない壁を、二人でなら、まだ頑張れるかも、と思わせるほどに。
ずっとは甘えちゃいけないと思うけれど、でも今は、谷くんに甘えてみようと思った。
谷くんと話しているうちに叩きつけていたあの雨が止んでいた。
一方私はというと、泣いたカラスが笑うとはこういうことをいうのかと思うくらい、私は暗くて塞ぎ込んでいた気持ちが、いつの間にか少しずつ薄れて笑っていた。きっと自分の世界にだけ籠っていたらこんな事もなかっただろうに。きっといじけたまま、教室にも戻れず、家にも帰れず、ずっとここにいて後悔するまで隠れてしまっていただろう。
「ありがとう、谷くん」
私はそっと右手を出して、ゆっくりと光の下に連れ出してもらった。
そんなに明るくはないのに、なんだがすごく眩しく思えて思わず目を細めて空を眺めていると後ろで「あっ、あった!」と谷くんの声が土管に響いた。
「え?なにがあったの?」と振り返ってみれば、谷くんはさっきまで私が座っていた土管の壁を指さして言った。
「ここに、あの時書いたのが残ってるんだ」と谷くんが土管にまたもぐりこんで行った。
何を言っているのかと思って私もしゃがみこんで覗くと、そこにはかなり薄くなったけど何やら文字が見える。石で削って書いたのか、周りと色が違って見えたそこにはこう書かれていた。
"またあそぼうね あき"
見つけて驚いた、私はここにいつも背中をつけていたから気づけなかったのかもしれない。
でもあの時の寂しかった私に言ってあげたかった、遊びだかったのは私だけじゃないのよ、と。
呆然とその文字を見つめては指でなぞっていると谷くんが土管のなかで小っちゃく座って言った。
「今度こそ、あそんでくれる?」と小指を立てて指切りするように右手を差し出してくる。
私も右手を出して「私こそ、またあそぼう」って言って指切りした。
具体的な予定なんて決めずに私達は土管から出て、足や背中についた埃とかを払った。
そのまま二人でゆっくりと歩きながら来た道を帰っていると、さっきまでの渦巻いていた黒いものは更に薄まり、雲の隙間から覗かせている光がさっきまで雨に打たれていた木々や道路を照らし始めている。
まだカラッと晴れた訳ではない。けれど雨雲は消え去った。湿っぽさは残っていても、やがてそれは強まる光に浄化されるだろう。
でも浄化される前のこの時、濡れたアスファルトが強く光りだした太陽に照らされている様子が、私達の道を光り輝いていると思えるくらい、とても綺麗で、そんな道を歩いて帰っているのが嬉しかった。
あれから二人でたわいもない話をしていると学校が見えてきた。校門をくぐって歩いていると村田先生が笹川先生や保健の先生と一緒に校内を探していたのか、私達の姿を見つけると慌てて駆け寄ってきたのだ。
駆け寄るや否や「小坂っ!申し訳ないっ」と深々と頭を下げ謝罪されて思わず驚いてしまった。
授業を逃げ出して更に校外に出て行った私はてっきり叱られるものだと思っていたので呆然としていると、保健の先生が「二人とも濡れてますから、保健室で服を乾かしましょう」と私の肩を叩いて促してくれた。
村田先生はずっと頭を下げたままで、私はどうしたらいいかと悩んでいたら「まぁまぁ、二人とも帰ってきた事ですし、謝るのは後にして風邪を引く前に保健室に行きましょうよ」と笹川先生が村田先生の謝罪を静止する。眉間には皺がくっきりと入り口を真一文字に結んでいた村田先生は、ゆっくりと頭を上げた。
「そうですよ、先生に謝られたら小坂さんもどうしていいか分からないじゃないですか。ひとまず今すべき事は、風邪をひかない事です。さっ、私達は保健室に行きますから、先生方は次の授業の準備なりしてきてくださいな。あとは私に任せてください」
保健医の先生が村田先生、笹川先生の肩を軽く叩いて校舎へと促した。
確かにそうだった、村田先生に申し訳ないと言われても私、何を返していいのか分からなかったから。
「じゃ、行きましょうか」とテキパキと物事を進めていく保健医の先生に促されて私達は保健室へ向かった。
濡れて黒く泥だらけになった上履きを脱いで、来賓用のスリッパを借りて保健室に入る。先生はストーブをつけて、バスタオルで髪の毛や身体を拭いているところに貸出用のジャージ上下を渡された。カーテンで仕切られたベッドのあるところで濡れて重くなった制服を脱いで、着替えてストーブの前に置かれた椅子にちょこんと座る。制服は…身体を拭いたタオルで軽く水気を拭きとって近くの椅子にかけた。
谷くんは学ランを脱いで、ストーブにあたりながら着ているワイシャツを乾かしていた。
しばらく無言で暖をとっていたが、あとはホームルームしかないとのことで、そのまま帰宅するように保健の先生に言われた。言われた時にはカバンなど荷物を渡されたので教室に戻ることなく私達は保健の先生が運転する車で送られて帰宅する事となる。
さっきまでは二人で話せていたのに、なんかうまく話せなくて谷くんとはそっけなく過ごしてしまった。そうこうしていると私の家の前に車が停まり、「じゃ、ここで…」と言って車から降りて車が走り出すのを眺めてから家に入る。去り際に谷くんが後ろを振り返って手を振ってくれたので私も振替した。
今日は谷くんにたくさん助けてもらった、また明日会った時にはうまく言えなかった分ありがとうってちゃんと言おうって思った。
カバンを部屋に置いて着替え用としたら、急に寒気がした。
多分雨に打たれた時に身体を冷やしてしまったからかもしれないから早いけどさっさとお風呂に入ってしまおうと思って一人シャワーを浴びて早々に自分の部屋に戻った。
今日は早々にお布団に入ってしまおう、まだピアノを弾きたいとは思えなかったから。
ピアノに背を向けて布団を頭までかぶって丸くなって自分を抱きしめるように抱き枕を抱えて目を閉じた。
今日は色々とあったから疲れたから、何も考えずにすぐ眠りにつけた。