白の世界はやがて
この話の中では、イジメの描写があります。
あくまでもこの時期特有の葛藤の表現として捉えておりますが
少しでも嫌だとお思いになられた方は、読まれない事をオススメしております。
黒ずくめの身体は吹き付ける冷たい風に体温を奪われまいと首をすくめながら歩く。
道路から少し外れた脇にある地面は白いものが見える。道路から半歩ほど外れてサクサクと音を立てながら歩いた、あえて歩幅を小さくして音が刻まれるのを楽しんだ。
白いものを見つけては楽しんでいるのを繰り返していると、温まってきた身体に気が緩んだのか、大きく息を吐くと空気が白くなった。冬の空は透き通っていて綺麗だ、その透明な空に息をふきかけ、色をつけたようにも見えた。
空に気を取られていると周りが見えてきて気づいた、1人静かにサクサクと音を鳴らす霜柱で楽しんでいる間に、私の行動を見ていたのか行く先々にあった霜柱を荒らされていた事に。楽しみを奪われて、少しふて腐れながらも大きく深呼吸しては空気を白く染めると、私は目的地である学校へと向かった。そこには私と同じように黒ずくめの格好をした人ばかり。私はその人の中に隠れるように紛れた。
人混みをかき分け、自分のクラスへと向かう。新年を迎え、高校受験への最後の追い込みシーズンに突入した教室は、外の気温よりもピリピリと張りつめて気味だ。
私の周りは受験戦争真っ最中で、遊びも何もできない世界はまるで真っ黒に包まれていた。
そんな中、私1人、みんなと違う選択をして白い世界にいる。
いつも殺伐とした世界の中にポツンと1人、人と違う事が目立たないようにぼんやりと外を眺めては指を動かしていた。この世界には、いろんな音に溢れている。
1人だけ今、この時間を大切に過ごしていた。
-*-*-*-*-
今日も学校に行って、いつもの席で授業を受ける。ご飯を食べた後は、音楽の笹川先生の許可を得て音楽室のピアノを借りるのだ。もちろん、先に借りている人がいたら我慢しなくてはいけないけれど、最近は受験シーズンという事もあって弾く人が少ない。ちょっと得した気分。
音楽室を利用できるのが嬉しいのは、なんといってもグランドピアノだから。まず屋根を開ける、これは昼休みや放課後でないと出来ない事。開け閉めは手間かもしれないけれど普段とは違った大きな音が聞こえるし、屋根で押しつぶされていた音が解放されてすごく響く音を知ると癖になってしまう。
おうちにあるアップライトピアノだと天板が屋根に該当するのだから開ければいい話なのだけれど、置かれている場所には防音設備はないから出来ない。
だからこそ、グランドピアノで屋根を開けて演奏させてもらえる環境はとても嬉しい。毎日のように昼休みは演奏させてもらっているのだ。
けど、それが、トラブルのもとになるとは思っていなかった。
そんな事も知らず、今日も私は先生の許可を得て音楽室の鍵と楽譜を持って廊下を歩いていた。廊下の窓から見える空は、少し雲が出ていて寒そうだったが太陽の陽射しが入る日の音楽室は寒くない。私の足取りは浮かれていたのかもしれない。
今は、中学3年の冬。皆が受験勉強に必死の中、私の受験は既に終わっている。早々と推薦入試を受けることとなり、皆が三者面談で志望校を相談している中、推薦入試の手続きをして皆に驚かれ、更に年が明けてすぐ受験をし合格内定。
周りから見れば受験勉強もせずに何やってんだと思われたかもしれない。
担任の村田先生が、まだ皆が教室に残っている中、遅れてやってきて開口一番が『お待たせして申し訳ない。…あ、うっかり推薦の申請書類を忘れてしまった、お母さんすいませんが職員室まで来ていただけますか』と言ったことをまだ廊下にいた子が聞いて広めたのだ。
職員室で書類をもらったら、ろくに面談せずにそのまま帰ったあたり校内最速の三者面談だったと。
誰がどこに受験するとか志望校も違えば関係ない話なのに、受験戦争真っ只中の今、周りからの妬みが私を襲おうとしていたのだ。でも、私はそんな事に気づいていなかった。それよりもしなくてはいけない事でいっぱいだったから。皆が勉強で一色に染まっていた時に、私も私で白と黒の世界に染まっていた。
受験が終わってもする事が山積みな中での楽しみは、昼休みに使わせてもらえるグランドピアノだったのだ。
1人ウキウキしながら音楽室の鍵を開けて、カバーを外して屋根を上げる。
そして譜面立てを立てて、ようやく楽譜を置くのだがすぐは演奏しない、指を温めてからだ。
いくら普段から演奏をしていても、冷えた状態では思うように演奏はできない。
大きく息を吐いてから、ハノンに載っている基本的な音階を弾きはじめる。楽譜なんてなくても指が覚えているくらい毎回おこなう指の基礎練習。
家にいる時ならみっちりやってもいいのだけれど、今は時間の限りがある昼休み。ある程度指が温まってきたのでキリのいい所でやめて譜面台に置いた楽譜を開く。
フレデリック・ショパン作曲 練習曲エチュード 作品10第3番 ホ長調
日本国内でいうのであれば、通称『別れの曲』。
これからの時期、特に聴くことが多いだろう曲であり、卒業式でよく流れる曲だ。
私は既に高校が合格した事もあり、また音楽高校への進学が決まったために卒業式で演奏する事になった。いくつかの候補曲の中から指定され、これを弾く事もあって優先的にグランドピアノを弾かせてもらっている。本番もグランドピアノだから。
みんなもどこか聴き慣れたメロディに、優しい音色は一見簡単のようで奥が深いし、中間部の激しい部分はあまり知られていなくてバカにされやすい。だから…難しいのだ。聴くだけなら簡単だけど。
何度も通して演奏してみては、気になった所を弾いて確かめていた時だった。
ガラッと音楽室のドアが開いて、誰かが入ってきた。でもピアノを弾いていると屋根が陰になって見えない。たまたま音楽室に用事があったかもしれないから、私は曲が終わるまで弾き続けていたら、音楽室に来たのはクラスメイトの山本くんと、多分2年生くらいの女子。
二人は私が弾いている横まで来るとこう言った。
「小坂さー いつも弾いてんだからコイツに譲ってやってよ?高校受かってて余裕なんだろ?別に弾かなくてもいいじゃん」
突然の発言に思わず演奏が止まった。
片方の唇の端を上げて笑う山本くんは、女子の肩に手をのせて続けざまに言った。
「小坂が弾いてるその曲、間宮も弾けるんだってさ。だから、卒業式も弾かなくてもいいじゃん。だからな?これから昼休みもコイツに譲ってやってくれよな」
一瞬、何を言っているのか理解できなかった。
高校受かってて余裕?そんな風に見えるのかなと。そして私が志願したわけではないし、演奏を実力も分からない後輩に譲れと。理解できないまま眉をしかめて、首を斜めに傾けていると間宮という女子が動いた。
「山本先輩から聞いたんですけどぉ、小坂先輩って、受験勉強したくないから推薦にしたんですよねぇ?だからみんなより暇じゃないですかぁ、なのに演奏させられてその暇がなくなっちゃうの可哀想って思ってぇ、私代わりに演奏しましょうかってなったんですぅ」
ニコニコしながら言っている割に、なんだかカチンとくる言いぐさに私は少し腹をたてた。間宮っていうコは真面目にピアノと向き合っているような指でもなかった、ピアノをきちんと習っている者なら、綺麗に伸ばした爪を見ただけで一目瞭然なのである。
私は演奏が嫌とは一度も言っていないし、受験勉強したくないだなんて言ったつもりもない。
更にいえば、時間がなくなるのが可哀想ってなに?
なんで下級生に可哀想って同情されなきゃいけないの?ちょっと苛立ってしまった。
この2人ただの先輩後輩にしては、距離が近いなぁと思いながら見ていたけど、もしかして2人は付き合っているのかもしれない。だから山本くんはいい格好を見せたかったのかも…そう気づいたけどもう遅かった。大きく一息ついてから私は間宮さんに返事をしてしまったのだから。
「私より貴方の方が優れているのなら先生は貴方にお願いしたと思う。でも今年は私が頼まれたのだから私の一存で変更することはできないのよ。異論があるなら笹川先生に直接言っていただけないかな。あと、今の時間は先生に許可を得て私が弾いていいと言われているのだから、邪魔をするのなら出ていってほしいのだけど」
ここは私の悪い癖がでた、オブラートに包むことなくストレートに言ったせいで山本くんの眉がピクッと動いたのが見える。でもそれより先に動いたのは間宮さんだった。
「先輩っ 言ってること違うじゃないですか?せっかくまみりん、弾いてあげようとしたのにぃ!」
間宮さんは両手を上下させながら山本くんに文句を言ったのだ。