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やがて花ひらく

静かに谷くんが深呼吸して、ピンと張りつめた中でもはっきりと私に言った。


「あの時からずっと聴きたかったっていうのもあるんだ。

でも小坂さん、ずっと合唱の伴奏してたし、いつも昼休みに音楽室で弾いてるの聴こえてくるし。そういった意味では満たされてはいたんだけど、最近弾いてるあの曲、卒業式も弾くんでしょ?

僕はあんまり音楽の知識もないからよく分かんないけど、小坂さんのピアノを聴くと優しくって癒されるんだ。

でもあの日から、小坂さんのピアノが聴こえてこないから怪我酷いのかなぁって思ってて。

それにおぼつかない演奏は聴こえてくるわけでしょ?

なんか調子狂っちゃってさ、やっぱり小坂さんの演奏じゃないと調子でないなぁって思ったんだ」


 谷くんは両手を後頭部にもっていきながら椅子の前側をあげ、器用にバランスをとって後ろに椅子を傾けてる。私は意外なタイミングで演奏を褒められて、少し照れくさくなって谷くんから少し目線を外して笑った。きっとおぼつかない演奏っていうのは音楽室が空いてるから遊びで弾いている子の事をいうんだと思った。


私が弾いているのかが分かるのって余程好きなんだなって思った。だから、なんか違うかもしれないけれど、ありがとうって言おうと思った。でも、まだ続きそうな会話が、止まった沈黙が気になって谷くんに目線を戻すと、彼はにっこりと笑って話を続ける。どうやら私の様子を見ていたらしい。



「僕は音楽準備室にいる事もあったから小坂さんが頑張っているのも知っているし、今日もここで音楽の、なんか難しいの読んでたでしょ?

これから小坂さんが進む世界って僕らとは違う世界だよね。社会だ国語だとかいったものさしでは測れない音楽の世界じゃん。

受験勉強とはまた違う勉強や努力してきたんだろうなって僕は思ってて。

だって僕なんか猫ふんじゃったも弾けないし、合唱の時だってオタマジャクシが並んでて、なんでこうなるのか分かんない事だらけなのに、歌の楽譜よりたくさんオタマジャクシがいる伴奏の楽譜をあんなにも上手に弾けるんだもん。

僕は小坂さん、すごい努力してきたんだなって思って。多分、みんなきっと思ってる。

小坂さんの演奏が当たり前に思えてたけど、小坂さんの演奏が聴けなくなって、実はすごい事なんだって気づけたから。

こんな事で小坂さんの怪我が治るわけじゃないけど、僕は小坂さんの演奏が、音色が好きだから。

これからも小坂さんの演奏を聴きたいです。中学卒業しても、時々僕と逢ってくれませんか」



「ひゃっ!?」


「え?」


あまりの言葉に素っ頓狂な言葉が出てしまった。

これって、これって……気のせい、だよね?私の勘違いだよね。

あたふたしていると、谷くんはジッとこっちを見てプッと噴き出した。


「僕さ、受験する高校が落ちても受かっても、小坂さんのピアノもっと聞きたいんだ」


静寂に包まれている図書館に真剣な眼差しではっきりと喋る谷くんの声は吸い込まれなかった。

その面持ちに緊張してかすかに返事をするから、「うん…」と答えた私の声の方が静寂に吸い込まれていったように感じる。



「さっきも小坂さんの姿見えなくて、山本がソワソワして青ざめてるから、よっぽど村田先生に怒られたんだと思う。僕は忘れ物したーって言って抜けてきたんだよね。どのみち先生いなくて自習だったしさ。僕はあんまりうるさい所で勉強するの好きじゃないし、小坂さんもいないしねー」


ギィギィッと音を鳴らしながら椅子を傾けては、両手を動かしてバランスをとっては遊んでいる谷くん。おどけて遊んでいるあたり、年相応の男子だなって思ったけど、さっきから私の様子を伺って話してくれていた。空気が悪くならないように時々おちゃらけていたり、私を励ましてくれているようで、私はなんだか暖かくなった気がした。




それにしても「中学卒業しても、時々僕と逢ってくれませんか」そのフレーズだけ取り出すと、なんだか告白めいたように聞こえて一気に顔が赤くなった気がした。

思わず両手で頬を触ってみると、やっぱりちょっと熱くて。

谷くんの顔を見る事ができなくて、うつむいて机を見ていると優しい声が聞こえた。



「今はね、小坂さんが音楽室で弾いているのを聴ければそれでいいんだ。

また怪我が治った時にでも弾いてもらえたらいいから、その時は音楽室で聴いてもいいかな」



嫌じゃないけどなんだか言葉にならなくて、返事をするのに頭の中でぐるぐる何かが走り回って「う、うん…」とだけしか返せなかった。



それを聞いた谷くんはにっこり笑って「ありがとう」と言った。その後、椅子から立ち上がり時計を見て言った。



「そろそろチャイムが鳴るから、出る準備しよっか?」


なんだか急にいつもの調子に戻っている谷くんを見て、私一人の勘違いだったか、と恥ずかしくなりつつも少し冷静さを取り戻した。



「うん。右手はすぐ治るから、治ったらまた弾くね。いつも聴いていてくれてありがとう」


私は谷くんにそう告げながら、固く閉じこもっていた蕾がほころぶのを感じた。

谷くんの存在が、眩しい一言が閉じて固まっていた心に光を照らして、こうも変わるのかと。

私にとって、谷くんはかけがえのない存在になっていった。



-*-*-*-*-



 あれから何日か経ち、母さんから学校でもピアノを弾くことを許可された。その頃には腕の包帯は外されて動きは楽になったし、何よりも弾いている時の違和感がなくなったことが大きい。

そして、みんなの受験も無事終わった事もあって少し開放的になったのか、今までと違って少し賑やかになった教室。お弁当を食べて、そそくさと片づけをして楽譜を持って出かけようとすると「小坂さん、ちょっといい?」と声をかけられる。

声をかけてきたのは、元美術部の花岡准子(じゅんこ)、通称 准ちゃんだった。なにやら色紙を抱えていて、一枚を私に渡してきた。


「はい、これ小坂さんの分ね、真ん中のスペースに自分で名前書いたらまた私に返してね」と渡してきたのは真ん中にピアノの絵が描いてある色紙だった。ホームルームで卒業式の日までにクラス全員で寄せ書きを書くと言っていたのが()()の事なんだと知る。

きっと美術部だったから、と准ちゃんがイラストを描く役になったのかなと思ったりしたが好きなピアノのイラストだったのでちょっぴり頬が緩んでしまった。


「ありがとう。これはいつまでに書いたらいいの?すぐがいい?」

本を持っていたので、右手で受け取りながら聞いてみた。もしも急ぎなら今すぐ書かないといけなかったから。


「10日までにかなぁ、受験は終わったけど合格発表の後からだと、卒業式まで一週間もないから早めに始めたいかなって」

少し考えて首を傾げながら准ちゃんは答えた。

そして「今すぐじゃなくていいから。私も今からみんなに配らなきゃだし、おうちに持って帰ってから書いていいからね」と言って、軽く手を振ってその場を後にした。


私は受け取った色紙を持ったまま、今日は音楽室に向かった、もちろん途中で谷くんに声をかけてから。

谷くんは嬉しそうにして、職員室まで私の後をついてきた。すごい嬉しそうにしているので気分は忠犬を散歩して歩いている気分だった。


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