狡猾王女と猶予と時間
「よく来てくれたわね。私の愛しい子供達」
訪れた私達を、母───メリッサ・ダイヤモンド・アルトメリアは穏やかな微笑みで出迎えてくれた。
色素の薄いパステルレッドの髪を一つに結い上げていて、オレンジ色のたれ目が儚げな雰囲気を作っている。
母様の傍らには、私の一つ下で末弟の第四王子───ルパード・ダイヤモンド・アルトメリアが、きょとんとした顔でそこにいた。
突然やってきた私達にルパードは一瞬ぽけっとしていたけれど、私と目が合うとぱぁっと笑ってこちらに駆け寄ってきた。
「ねーさま!」
か、可愛い〜!!流石は可愛い盛りの六歳、あまりにも可愛いが過ぎる。
「なぁに、ルパード」
「んひひ〜」
もー何なのその「んひひ〜」は。可愛いな。本当に可愛い。さっきから可愛い以外の言葉が出てこないんだけど。
膝をついて駆け寄ってきたルパードをぎゅっと抱き締める。すると、ルパードもまた私をぎゅっと抱き締め返してくれた。
あーもー! かーわーいーいー!
「あらあら、ルパードったらお姉様を独り占めしてしまうつもりかしら?」
そう言って、母様は侍女に支えられながら椅子から立ち上がると、そのまま私とルパードの前に膝をついてしゃがみ込んだ。
「なら、お母様は貴方達を独り占めしてしまうわ!」
「きゃー!」
ぎゅうっ、と母様が私とルパードをいっぺんに腕に抱え込む。ルパードは楽しそうに悲鳴を上げて笑っていて、私は突然だったので純粋に驚いて目を丸めた。
母に抱き締められた暖かさ。その感覚に、私の脳裏に前世の母の存在が蘇る。
(……最後の会話が「おはよう」と「いってきます」って、何か虚しいな)
悪い娘ではなかったと思うけれど、良い娘でいられた訳でもなかった。
ろくな親孝行もできずに、事故死。最後の最後まで迷惑ばかりをかけてしまった。
(……ごめんね、お母さん。お父さん)
せめて、この世界ではきっと家族の為になってみせると誓って、私は母様の背中に手を伸ばした。
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「さて、と」
あの後、私はたくさん母様やルパードと戯れてから、自分の部屋に戻ってきた。
侍女達にはもう少し休んでおいた方が良いと言われたけれど、そんな暇はない。とりあえず、ゲームの内容を覚えているうちに整理しておこう。
「えーと……まず、現在と原作の時間軸……」
侍女が用意してくれた紙とペンに、思い出した事をカリカリと記していく。
今の私は七歳で、二つ年上のアーノルド兄様は九歳。原作時点で彼は二十歳だったから、このまま行くと原作が始まるのは十一年後になる。
「十一年後か……」
何よりも重要なのは、物語の元凶となる“呪い”だ。
それは、ヴィンセント兄様が二十歳で正式な王太子となった日の事だった。
突然、一人の女が王宮に姿を現したのだ。
女の名は“悪徳の魔女”。
彼女は王族に敵意を剥き出しにして呪いをかけ、その後ウォーレン卿や他の魔法使い、騎士達と死闘を繰り広げて死亡。けれど、本当の問題はそこからだった。
悪徳の魔女がかけた呪いはそのまま“悪徳の呪い”と呼ばれた。悪徳とは「道徳に反する行為、また精神」という意味がある。
その意味をまるで肯定するように、最初に壊れたのは国王ギルバート。
名君と呼ばれた彼は呪いをかけられた数日後に突然狂い、王妃を自らの手で殺したのだ。
大粒の涙を流し、自分で殺した妻の亡骸を抱き締めるギルバート───ヴィンセント兄様の最後の回想で流れた事から、それがヴィンセント兄様の目の前で起こった事だという考察もあった。
その次におかしくなったのが、第二王子と第四王子。
明るく元気だったルパードは、まるで獣のように凶暴になって手がつけられなくなり、周りの侍女や衛兵達を次々に傷付けた。しかもその方法が噛み付いたり引っ掻いたり、まるで本当に獣のようなやり方。
ラインハルト兄様は一見すると変わりなかったけれど、ある日突然、王宮に迷い込んだ仔猫を殺した。それも満面の笑みで、色んな動物を色んな方法で、心底楽しそうに殺すようになった。
更にその次が第一王女だった。
エリザは直接傷付けるのではなく、計算高くじわじわと相手を破滅に追い込む事を好んだ。彼女を慕った侍女がたくさんいじめられ、中には女性として最悪の辱めを受けた人もいた。
この異変は一ヶ月ほどの短い期間で、王族の間に伝染した。ウォーレン卿はまだ異変の片鱗がなかったヴィンセント兄様とアーノルド兄様を自分の管轄にある離宮に保護し、何とか呪いを解こうとした。けれど、ダメだった。
ウォーレン卿は、アーノルド兄様とヴィンセント兄様に呪いを弾く魔法をかけて、死んだ。
ヴィンセント兄様に───殺された。
「うっ……」
口に手を当て、からん、と持っていたペンを落とす。
まずい、エリザとしての記憶があるから思っていた以上に感情移入して気持ち悪くなってきた。
前世の時から思っていたけれど、ライターの頭の中おかしい。流石ファンとスタッフからつけられたあだ名が「地獄」なだけはある。
「……とりあえず、敵役ルートを回避するには悪徳の魔女をどうにかしなくちゃならないのよね」
落としてしまったペンを拾って、再び目の前の紙に集中する。
悪徳の魔女が誰なのかは、オプション購入の外伝とライターの公式インタビューで明らかになっている。
彼女の本名はウルティマ。先々代のアルトメリア国王、つまり私達の曽祖父が王子だった頃の恋人で、魔法の力に優れた才女だった。
けれど曽祖父が王太子になった時、王太子妃に選ばれたのは異国の姫君だった。そして嫁いできた姫にいじめられ、彼女はそのまま国の辺境に追いやられてしまう。
その後はずっと一人で耐えてきたけれど、偶然、本当に偶然ヴィンセント兄様が王太子になる瞬間を魔法で見てしまい、自分の境遇から来る王族への憎悪が抑えきれなくなった……。
「……はぁ。酷い」
まさしく『呪いと因果の物語』だ。
そのいじめていた王太子妃は私達の曽祖母な訳だし。どうしようもなく複雑な気分だ。
とは言え、やらなければならない事に変わりはない。自分でそう決めたのだから。
「……悪徳の魔女は特別に強い訳ではないのよね」
悪徳の魔女の得意分野は“呪い”。それを潰す事ができれば対抗はできる筈。
ヒーラーのウォーレン卿が悪徳の魔女と戦って勝利できた理由もこれだろう。“癒し”と“呪い”は相性が悪かった筈だから。
だからってウォーレン卿みたいに単体でも戦えるヒーラーはいない。そういう人達は明らかに少数派だ。
そこのネックさえどうにかすれば、あるいは……。
「ダメだわ、手詰まり」
そう呟いて、真上に大きく伸びをする。いきなり全部の対策を考えるのは、脳のキャパシティ的にちょっと無理があった。
とりあえず今日はここまでだと見切りをつけて紙を片付けようとした時、ふと自分で書いた年齢表が目に入った。
・ヴィンセント:現在十五歳。王太子二十歳。本編二十六歳。
期間は、あと五年。