狡猾王女と兄弟達
「では、エリザ様。少し失礼致しますぞ」
「えっ?」
何を、と聞こうとする前にひょいっとウォーレン卿に抱きかかえられる。
すると、ぱあっとウォーレン卿の足元が輝きだして、暖かい風が吹き始めた。
「えっ、えっ」
「ではお主ら。陛下がこちらに来た時は、アーノルド様の部屋におりますと言うておいてくれ」
慌てる私を尻目にウォーレン卿は侍女達に伝言を頼んでいる。そして、輝きが粒子になって私とウォーレン卿を包み込み、思わず目を瞑る。
次に目を開くと、さっきまでいた部屋の風景はどこにもなく、煌びやかな回廊に私達は立っていた。
呆然とする私とは打って変わって、ウォーレン卿はにこやかな笑みを浮かべている。
「そういえば、エリザ様を抱えて使うのは初めてでしたな。今のは転移魔法でございます」
「転移魔法……」
原作では難易度の高い魔法として扱われていて、普通は事前に設置しておいたポイントの行き来しかできない。けれど研鑽を積んだ魔法使いなら、好きな場所から好きな場所に転移する事ができる───だっけ。
それでも複数人同時の転移は難しい筈だったけれど、きっと作中トップクラスのヒーラーなら、子供一人連れて転移するぐらい訳ないのだろう。
それよりも、だ。
「さ、エリザ様。アーノルド様はこの中におられますぞ」
「……えぇ」
ウォーレン卿の言葉に頷いて腕から降りる。
深呼吸をしてから、私は意を決して豪華絢爛な扉に触れた。
「失礼します、兄さ───」
「エリザーッ!」
「ぶわっ」
部屋に足を踏み入れたその瞬間、何かが私の上に思いっきり覆い被さって来た。
突然の事に対処しきれず、ダイブの衝撃でそのまま床に倒れ込む───直前で、ウォーレン卿の魔法でギリギリ持ち直した。
「ごめんよっ、ごめんよエリザ!僕のせいでエリザの頭が!エリザの頭がーッ!」
「その言い方だと私の頭がおかしくなったみたいに聞こえるのでやめてください、兄様」
ぐちゃぐちゃの鳴き声が耳元で聞こえ、柔らかい赤毛がさっきからずっと顔に当たっている。
ウォーレン卿、そんな微笑ましげに笑ってないでどうにかしてください。
───アルトメリア王国第三王子、アーノルド・ダイヤモンド・アルトメリア。
『ファンタルシア=ブラッドハーツ』をプレイしていたなら誰だって知っている、超重要人物だ。
主人公の成長にも、ラスボス攻略にも彼の協力は欠かせない。彼がいなかったら、主人公はだいたい詰む。本当に理不尽なぐらい詰む。
「うっ、うぅっ……本当にごめん、エリザ……僕がもっと魔法をうまく使えたら、こんな事には……」
「もう良いですよ、兄様。ほら、すっかり元気になりましたから」
「でもぉ……」
嗚咽が止まらないアーノルド兄様に、私は困ったように苦笑するしかなかった。
「本当に大丈夫ですよ。その証拠にほら、こうして目を覚まして兄様の前にいるじゃないですか」
「ぐすっ……で、でも、僕のせいで、エリザは四日間も……」
「いい加減にせぬか、アーノルド。泣いてばかりなど見苦しい」
突然、ピシャリと低い声が私の背後から聞こえた。
ぐずっていたアーノルド兄様が顔を上げ、私も自分の後ろを見る。
───そこに立っていたのは、二人の少年達だった。
「あっは、アーノルドってば凄い顔。涙と鼻水でぐっちゃぐちゃじゃん」
「エリザが目を覚ましたと聞いて、お前を呼びに来たのだが……いらぬ世話だったようだな」
ストレートの赤毛をうなじの所で束ねている少年は笑いながらアーノルド兄様の顔を覗き込む彼───ラインハルト・ダイヤモンド・アルトメリア。
髪を後ろに流し、目を細めて私達を見下ろしているのは、『ファンタルシア=ブラッドハーツ』のラスボス───ヴィンセント・ダイヤモンド・アルトメリア。
「もう起きていて平気なのか、エリザ」
主人公の最大の壁となって立ちはだかった彼らを前に体が硬直する私に、ヴィンセント兄様が問いかける。
……あ、ヤバい。興奮で心臓が止まる。いや耐えろ、今の私はエリザなんだから。
「はい、もうすっかり元気です。それよりもまずはおはようございます。ヴィンセント兄様、ラインハルト兄様」
「うんうん、おはようエリザ。我らが可愛い妹ちゃん」
にこにこと笑いながらそう言って、私とアーノルド兄様の頭を撫で回すラインハルト兄様。嬉しそうにその手を受け入れるアーノルド兄様とは逆に、私はドキドキしながら顔を強ばらせた。悟られないように撫でられながら周囲を見渡して、私は気付いた。
───全員、凄く顔が良い。
「アーノルド、お前はいい加減に涙を拭え。妹のドレスを汚すつもりか」
「あっ……ご、ごめんね、エリザ」
ぱっと私から離れて、アーノルド兄様はゴシゴシと乱暴に涙を手で拭う。それをウォーレン卿が「おやおや」と呟きながら手を掴み、代わりに懐から取り出したハンカチで涙を拭いた。
「そう乱暴にしては、目が痛くなってしまいますぞ。こうしてそっと拭わねば」
「う、うん……ありがとう、ウォーレン卿」
「ほっほっほ。どういたしましてですじゃ」
ほのぼのした空気を漂わせる二人は、傍から見ると完全にジジ孫だった。
その様子に、ヴィンセント兄様は深いため息をついた。そして、苦々しい表情を浮かべて、ウォーレン卿に苦言を呈する。
「あまり弟を甘やかしてくれるな、ウォーレン卿。もう十歳になるのだから、アーノルドには軟弱な性格をそろそろ卒業してもらわねばならぬのだ」
「───」
軟弱。
ヴィンセント兄様が呟いた言葉に、無意識に手のひらを握り締める。
「ほっほっほ、まぁそう申されますな。儂は別段、アーノルド様を甘やかしているつもりはございませんぞ」
「どこからどう見ても甘やかしているだろう。それもアーノルドだけでなく、俺の事もラインハルトの事も、エリザやルパードの事もだ」
「そうですかな?いやはや、なにしろ皆様がお生まれになった時から存じ上げております故。爺心は止められんのです」
「何だそのたわけた理由は。何だ爺心とは」
「あ、兄上。どうか、ウォーレン卿を怒らないでください。ウォーレン卿は優しいだけなんです」
「ハイハイ、アーノルドは俺とエリザとこっちの方に避難してようね──…って、エリザ?ちょっ、どうしたのさ!?」
ラインハルト兄様の焦り声に、軽い論争を繰り広げていたウォーレン卿とヴィンセント兄様が同時に私の方を見て、ぎょっと目を見開いた。
「どうした、何故泣くのだ、エリザ」
ヴィンセント兄様が膝をつき、私に尋ねる。ラインハルト兄様もアーノルド兄様も、ウォーレン卿も私を心配してくれる。
けれどその優しさは、余計に私の涙を溢れさせるだけだった。
こんなに優しい人達が、悲しく死んでしまう世界を、私は知っている。
だって、私は見ているから。彼らの最期を、見てしまっているから。
理性が消え去った獣でしかなかった“凶暴王子”ルパード。
殺戮に苦しみ、そして悦んだ“残虐王子”ラインハルト。
主人公の最大の敵となり、一身に憎悪を背負った“冷酷王太子”ヴィンセント。
主人公に味方しながら、家族を見捨てる事もできなかった中途半端な“軟弱王子”アーノルド。
誰かを破滅させ、絶望させる事を生き甲斐にした“狡猾王女”エリザ。
ただ家族を愛していただけの彼らが、悪として死んで行った事を───主人公だった私は、鮮明に覚えていた。