人型虫《バグ》
わたしは眼下を見下ろした。
すると、そこではイライザと人型“虫”がいて、熾烈な戦いを繰り広げていた。
イライザは歌っていた。
ヘルメット型の頭部ユニットは壊されて、可愛らしい顔に豊かな髪が露わになっていた。
高周波ブレードは折られて、今は大鉈だけが手元にあった。
「……イライザッ!?」
<アカネ>
わたしは屋根から飛び降りる。
そして、推進器で人型“虫”へと接近していく。
わたしが鉈を振るうよりも早く、相手が動いた。とんでもない速さだった。まるで、こちらの動きが事前に見えていたかのよう。
「この“虫”は」
イライザが言う。
「なんだかよくわからないんだけれど、とっても素早いの」
そして、イライザは歌い出す。『マイ・フェア・レディ』の劇中歌を歌う。
その大鉈の切っ先が、人型“虫”の体を掠めて、外殻を薄く切り取った。イライザもまた、本気なのだとわかった。
針と大鉈がそれぞれ振り下ろされていく。
その刃と刃が噛み合い、ギリギリと大鉈が針に食い込んでいく。力はほぼ互角だ。
イライザは大鉈を引くと、ぴょんと間合いを開ける。鉈の状態を一瞥して確認すると、構えてみせる。
人型“虫”はイライザを複眼ではっきりと捉えていた。
次の瞬間には駆け出して、イライザが作った間合いを詰めていく。
「ねぇ、アカネ。後のこと、いろいろ頼めるかな?」
「……イライザ、一体何を?」
一瞬だけ振り返って訊いてくるイライザに、わたしは訝しむ。
すると、イライザもまた駆け出した。ふたりの間が一気に狭まる。すぐに至近距離へともつれ込む。
最初に手を出したのは、人型“虫”のほうだ。長い針を諸刃の剣状に加工したブレードでイライザを串刺しにしようとする。
だが、その判断はあまりに致命的だった。
確かに、その一突きは強力だ。だから、イライザの命を奪うのに十分だった。
だけれども、イライザは強化外骨格を脱いでいた。
イライザの体がすっぽりと抜けた後に、人型“虫”のブレードの切っ先が、強化外骨格に深々と突き刺さる。
そして、打突攻撃は、抜くのに時間を費やす。人型“虫”は完全に戦術を誤った。
その間に、飛び出したスマートスキン姿のイライザが人型“虫”の巨躯を袈裟斬りにしていた。
強固な外殻に赤い線が入る。
しかし、わたしの脳裏にあったのは、背中への攻撃で止まらなかった“女王蜂”の強固な防御力――。
「胴じゃダメだ! イライザッ!」
言うが早いか、わたしは大鉈を投擲していた。
ひゅんひゅんと回転しながら、大鉈の切っ先がブレードを引き抜いた人型“虫”の頭部に深々と突き刺さって止まった。
こうして、イライザと互角以上に渡り合った強敵、人型“虫”は完全に静止した。
「ありがと、アカネ」
「……イライザ」
「アカネならやってくれると信じてた」
「まったく、無茶をして」
こうして、戦いは終わった。
すると、イライザの体がぐらつく。そのまま、その場に倒れ込む。わたしは慌てて駆け寄ると、コンバットグラスで彼女の体を走査する。医療分子によるステータスは「昏倒」で、目立った外傷はなし。
「ごめん、ちょっと疲れちゃった」
「……うん、今はゆっくりお休み」
わたしが言うよりも早く、イライザは意識を失っていた。わたしは彼女の華奢な体を両腕でそっと抱き寄せた。