手紙
僕には大切な人がいる。その人は人一倍努力家で優しくて、真っ直ぐな瞳をしている人だ。
そんな彼女と僕は付き合っている。正直今でも夢なんじゃないかって思ってしまうほどに、あり得ない話だ。
なんと言っても彼女はみんなの人気者。男なんてよりどりみどりだ。
それに比べて僕はというと、女の子に告白されたことなんて一度もない平凡な人間。
でも、どんなに彼女と僕が釣り合わなかったとしても、僕は彼女を愛してるから。
彼女は迷惑かもしれないけど、絶対に手放したくないから。
……だから別れたりしない。
彼女に別れを、告げられるまでは……。
「私、留学しようと思ってるんだ。明日、出発するよ」
そんな言葉が彼女の口から出た。
あまりに唐突すぎて僕の頭がついていかない。
「な、んで……?」
ひどく掠れた声でそれだけ言った。
『何で今まで言わなかったんだ』とか『寂しいから行かないでくれ』とか。
言いたいことはたくさんあるはずなのに、まったくでてこなかった。
「夢、追いかけてみようと思う。やっぱり諦める嫌だし、やれるところまでやってみたい」
……ああ、やっぱり彼女だ。この真っ直ぐな瞳はまぎれもなく彼女だ。
僕の、大好きな彼女だ。
「そっか……。がんばってきなよ」
もしかしたら僕の顔は、とても辛そうに見えたかもしれない。でも、これでいいんだ。
彼女が行ってしまうのはとても悲しいけれど、僕の大好きな彼女はこういう人なのだから。
「怒って……る?」
彼女の瞳に不安が浮かんでいるのがわかる。
悲しいけど、けっして怒っているわけじゃない。
「怒ってないよ。あまりに急すぎて、驚いてるし悲しいけど……でも、怒ってはいない」
僕の言葉で彼女の瞳に迷いが生まれた。
もしかして、行くのをやめようとか思ってるんじゃないよね?
それはダメだよ。
嬉しいけどそれだけは絶対にダメだ。
「僕らは、一度離れたほうがいいのかもしれない」
「……!なんで?!」
だってそうだろ?
僕の存在は君を惑わせる。
これほど嬉しいことはないけど、それは今の僕が望むことじゃない。
「やっぱり、やっぱり怒ってるんだ!でも、でもっ……言えなかったんだもん! あなたの悲しそうな顔見たら、きっと行きたくなくなるから……っ」
彼女の瞳から、ポツリ……と一滴の雫が落ちた。
「怒ってるんじゃないよ。言えなかった君の気持ちもよくわかる。ただ、僕の存在は君夢への気持ちをゆるがせる」
彼女は僕の言葉を静かに泣きながら聞いている。
「僕は、何にでも一生懸命な君が。曲がったことが大嫌いな君が。優しくて実は涙もろい君が。少し素直じゃない君が」
僕は彼女の目を見た。
そして言う。
「君のすべてが大好きだった。君のいいところも悪いところも、全部君だから……愛していたよ」
「なん、で、過去形なのぉっ」
「過去にしないといけないから」
「初めて、愛っ、してるって……言ってもらえたのに……っ」
「最初で最後になっちゃって……ごめんね」
僕のその一言で、彼女はせきを切ったように泣き出した。
僕も泣いた。
彼女が帰ってから、一生分の涙なんじゃないかってくらい泣いた。
それほど……愛していた。いや、愛している。
翌日、彼女は旅立った。
彼女が旅立ってから季節が4回巡って、僕は今、高校の教師をしている。
自分から別れを告げたくせに、彼女のことを忘れたことなんて一度もない。
けっして出すことのない手紙が何枚もたまっている状態だ。
そして今日も、僕は彼女に宛てた手紙を書く。
『君は誰よりも頑張り屋だから、きっと無茶ばかりしてるんだろうね。
でも、無理ばかりはダメだよ? 体にだけは気をつけて。
君の夢はきっと叶うから。
僕はいつも応援しているから。
毎日ちゃんと夢に近づいているから。
君に限ってないとは思うけど、逃げだしたりしないで夢を自分を、強く信じて』
まったくもって馬鹿げていると思う。
彼女にはもう、好きな人がいるかもしれないというのに、未だに彼女以外の女性を好きになれないなんて……。
「あっ!なになに?その手紙」
「ホントだー。センセー見せて?」
高校で書いていたのがまずかった。手に持ちながら歩いているところを、女子生徒2名に見つかってしまった。
「ダメだよ。これだけは絶対見せられないから」
僕が生徒にそう言ったとき、僕らのいる渡り廊下に風が吹いた。
「久しぶり」
聞こえてきたのは……僕の大好きな、大切な、手放してしまった人の声。
思わず前を見て固まる。驚いてるすきに、手紙を女子生徒に取られたが気づかない。
それほど驚いていた。
「友達にここで働いてるって聞いたから……会いに来たんだ」
そう言った彼女の不安そうな瞳が、迷惑だったかな?と告げている。
なにか言いたいけど、なにも言えない。
「これ」
唐突に女子生徒が彼女に何かを渡した。
……って、手紙!?
あれ、僕の書いた手紙じゃないか?!
心の中だけで焦っていると、手紙を読み終えた彼女が静かに泣きだした。
その姿はあの日の彼女に重なったけど、何かが違った。
「私、うぬぼれちゃっても……いいの?」
久しぶりに見た彼女の瞳は、やっぱりあの時と変わっていなかった。
「僕こそ……うぬぼれちゃってもいいのかな?」
少し卑怯な返し方だったと思う。
それでも、彼女はうなずいた。泣きながら何度もうなずいてくれた。
だから今度は、僕が勇気を出す番だ。女子生徒2人がニヤニヤと僕らを見ているが気にしない。
僕は歩み寄った。
僕からの手紙を読んで泣いている彼女に。
僕に会いに来てくれた彼女に。
会えなくてもなお僕の心を埋め尽くしていた彼女に。
僕の……全ての想いを届けよう。
……この言葉に乗せて。
「愛してるよ」
僕は彼女を抱きしめて、言った。
「過去形じゃないの?」
抱きしめている僕を至近距離で見つめながら、彼女が言った。
僕はそんな彼女をさらに強く抱きしめる。
「過去形であり、現在進行形であり、未来形だね」
僕は彼女に向かって微笑んだ。
「やっぱり僕には君以外あり得ないってことがわかったよ。愛してる。もう一生、離さない」
僕が真剣な顔で言うと、彼女が優しく微笑んだ。
「安心して。私も同じだから」
こんなことがあったから、僕のこの話は高校の先生から生徒までほぼ全員が知る話になり、いつも彼女を見せろなんて言われる。
でも、彼女が隣にいてくれるから満足だ。
そして今日は、僕が彼女を手放してしまった日。
5年もの年月を経て、この日僕らは教会の鐘のもと、もう二度と離れないと誓った。
永遠の絆を手にいれた。
彼女の耳元でそっとささやこう。
「過去も現在も未来も……愛してるよ」
読んでくださってありがとうございました。