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嘘と真実、または愛と背徳の街で

 聖書 創世記18章20節~21節より

 主は言われた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、彼らの罪は極めて重い。わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおり、彼らが滅ぼし尽くされるべきかどうかを、見て確かめたい。」

 新日本聖書刊行会




 年中日陰な路地のどん詰まり、その向こう側の家が設けたブロック塀はひび割れていて、惨めなツタが申し訳程度に這う。

 ツタを掴んでぶちぶちと千切り、その辺に投げ捨てる小さい手。鼻水を拳でぐいと拭い、白い、固いチョークを壁の上で滑らせる。

 塔がある城、翼竜。暗雲から、塔への落雷。少女の空想の世界が、スラムを彩る。

      *      *      *      *

「ジャック、じゃあさ。私らは皆、神の子供だって、そう言うならさ。きょうだいって事でしょ? でもね、私はそうは思わない。だってさ、昨日の客、全部終わってから何て言ったと思う? 聞いてよ………こんな仕事は辞めて、スーパーのレジとか、真っ当な仕事に就いたら、だってよ! で、もうどうでも良くなってさ、ハイハイそうですか♡ 私、頭悪いから分かんなーい! って、そう言っといたわよ! 上から目線の説教なんか、スラムで育ってから言えってえの! ちきしょうめ!」


 聖書の朗読会が終り、軽い食事をしながら大声でまくし立てる娼婦・ありさの話を、黙って聞く少年・ジャック。その表情は憂うようであり、穏やかであり、そこにいるだけで光を放っているようだ。

 女たちに囲まれ、足を崩し、用意された薄い座布団に座る少年。傍から見れば、奇妙な光景だ。年端もゆかぬ少年に、様々な年齢の「女のプロ」達がただ「話を聞いて貰いたい」と群がる様は………しかし、それはちっとも変な事では無いのだ。いかにプロの女と言えども、いや、プロだからこそ、愛に敏感だ。それも、混じりっ気のない愛を求めている。そしてそれを得ようとすれば………神に行き着く。男との関係は、冷めればお終い。女たちは、経験から知っている。だから、まがい物を嫌う。信じない。つまりは、孤独で、愛に飢えている。強烈に。

 そんな訳で女たちは、聖書の「神」の話を分かりやすく語る少年ジャックを招き、食事を持ち寄って集まるのだった。

ジャックはいつの間にか「スラムのキリスト」と呼ばれていた。

      *     *      *      *

 泥濘(ぬかるみ)を抜け、埃っぽい小道を黒いカバーの聖書を小脇に抱えて歩くジャックに、近づく者がいた。


「おい、スラムのキリストさんよ。加藤 糺ただすって男と、ただならぬ関係なんだろ。俺はその糺ってえ色男に用事があってよう………母親がそいつにメロメロでさ………666タワーの「回収人」を辞めちまって連絡がつかねえし、女の家にも帰ってねえって話だし………ようやく見つけたぜ、ジャック・デーモン。いや、加藤 糺の飼い主さんか?」


 歩みを止めずに、ジャックは答えた。


「糺は、いかにも僕の犬だ。で、あんたは母親のために男を探してるのか。………下らない。実に下らない、そうは思わないか? 母親に言ってやるがいい。息子だからって、バカにするな、と」


 その表情は、歪んでいた。見る者に嫌悪感を抱かせるような、醜い笑い顔。汚いものを見てしまった、というような表情で、男………神田 未亜(みあ)は一瞬言葉を飲み込んだ。つまり、気迫で少年に負けてしまった。


「情報屋のミア。俺はそう呼ばれてんだ。覚えとけよ、飼い主さんよ」


 ジャックの、白いボディースーツの後姿を睨みつけ、未亜はアスファルトに唾を吐いた。

      *      *      *      *

 乱れたシーツ、柔らかいベッドにやや埋もれ、うつぶせの姿勢で糺を見つめるジャック。


「このベッド、柔らかすぎやしませんか。子供じゃ無いんだから、固めの方が」

「………ふん。お前は気に入らないんだろう、デカいからな。膝が沈み過ぎて、体重を支えにくいんだ。そうだなあ、僕に体重を預けてごらんよ」


 ジャックは、枕元の鞭を目で確認しながら糺に流し目を送る。糺はため息をついて、首を傾げた。


「ジャック、あんたを潰してしまう」


 ピシャリ!

 鞭が、糺の敏感な部分を打った。痛みに耐える糺に対し、ジャックは命じた。


「僕を、潰せ………! お前の重さ、全部で!」


 全身を紅潮させ叫ぶジャックの目には、涙。


「分かりました………」


 糺は、命令に従った。

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