抱きしめて、そして慰めて
第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を、自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」
マルコの福音書12章31節 イエスの言葉より抜粋
神を愛する人への戒めですが………神無き世に、隣人愛だけが残った場合。人の幸福の基準は、人の数だけあります………。どうなるやら。
【ルナシティ・高架下周辺】
月面ゲートウェイ駅は、地球から来る銀河鉄道を迎え入れる船着き場から伸びる、モノレールが最初に停まる駅。船着き場からゲートウェイ駅までの走行時間は2分。時速は40キロほど。モノレールが卵型の駅に到着すると、もの悲しい旋律が流れ………
その日は、一人の転生者が駅に降り立った。
艶やかな黒髪を赤いネイルで彩られた指先で梳すきながら、女性的な風貌の転生者………ミサキは、黒い厚底ブーツの音を響かせ歩いた。ゴンッ、ゴンッ………鈍い音が、慎重に歩を進めるように、時々鳴りやむ。黒く縁取られた目が、細まる。
(人がいない)
エレベーターに乗ると、エレベーターは勝手に駅の出口に向かう。ミサキは、赤い口紅が塗られた、下唇を噛み締めた。上の前歯が赤くなるにも関わらず。
(あの人と、今度はいつ会えるんだろう)
月面ゲートウェイ駅の、高架下から聴こえる歌声とアコースティックギターの音。吸い寄せられるようにそこに向かったミサキは、月で初めて、人間の姿を見た。
十代前半の………子供。彼らは、よく似た風貌の少年二人組だった。
「お姉さん、歌、聞きたい?」
気さくに勧められ、ミサキは思わず
「うん。何歌える?」
と応じた。
「転生者の悲劇」
少年らがはにかんだ。
「悲劇って………私、可哀そうに見える?」
そう言ったミサキは、戸惑った表情とは裏腹に
(まあ、今の心境にぴったりなのは事実だけどね)
と、彼らの歯に衣着せぬ曲名に対して、早く聴きたい気持ちになっていた。
「じゃ、歌いますか」
ギター担当の少年と目を合わせ、おもむろにアカペラで歌い始める少年、「キタ」。
一小節歌い終わった後で、「ミナミ」が演奏をする流れ。
* * * *
銀河の向こう 片割れは観測者
待つ人のまち ルナシティで
永遠に生きるのは辛い
寂しさに抱き合いたくても
パズルは合わない
呪われたからだ抱きしめ
流せる涙全てで海が出来そう
きっと月の海見ながら
誰かがまた命の炎消す
僕らその前に あなたを抱きしめたい
この歌届け
許されないけどここにいる
僕らの歌 届け
* * * *
この歌の意味を知るには、ミサキはまだ「行く所」「知る事」が沢山あった。だけど。
ミサキは泣いていた。
「ねえ、あんた達は転生者じゃ無いの? どうして月に?」
ミサキの言葉に、答えるかどうか、顔を見合わせる「キタ」と「ミナミ」。口を開いたのは、明るい金髪に大きな口が特徴的な「ミナミ」だった。
「この街では、歌への報酬は、涙なんだ。だから、客を選んでる。泣きそうにない奴には声かけない。だから、教えるよ。お姉さん、まず『おいてけぼり亭』って、酒場に行きな。お姉さんは、そこに行くのが、合ってるよ。たぶん」
ミナミはそう言うと、丁子煙草を胸ポケットから取り出し、火を点けふかし始めた。あたりに漂う、スパイシーな香り。ミサキは、崩れたアイメイクの顔でキタとミナミに礼を言い、こう付け加えた。
「私。ミサキっていうの。お姉さんなんて呼ばないで」
デコルテの蝶のタトゥー。胸元を少しはだけ、少年たちに見せながら自己紹介し、立ち去るミサキを見送りながら、キタが呟いた。
「アゲハ蝶のミサキだな。あいつ………死ななきゃいいな」
* * * *
666タワーの一室、ジャック・デーモンの寝室には………軍服のような、制服姿の大男が汚れた姿で跪ひざまずく。その、ぬれた髪を掴み揺すぶるのはジャック。
「糺。アレはまだ、見つからないのか」
ジャックの目の色は、時が止まる程冷たい。だが紅潮した頬が、冷静では無い事を証明している。糺は、そんなジャックの気持ちに「配慮」し、答えた。
「はい。必ず、見つけますから」
ピシャリッ!
糺の、美しい方の頬を打擲ちょうちゃくする、ジャックの、小さな鞭。小ぶりの持ち手に、幾本もの革の帯がある、はたきのようなデザイン。ジャックの腰のベルトに、常に装着されている武器。
ミミズ腫れになった糺の頬を見たジャックは、胸が締め付けられるような、痛みを全身に感じた。
糺を鞭打つ事によって、自身も痛みを感じる。そしてそれを、糺も気が付いている。
二人はその後、お互いの傷を慰め合った。




