大いなる欺瞞
自分のいのちを救おうと努める者はそれを失い、それを失うものは命を保ちます。
聖書 ルカの福音書17章33節
永遠に生きる事の代償。その事について、考えてみたい。
マッド・デーモン氏は、苛立っていた。
父、グレート・デーモン氏の、6人目の妻の子供である自分に与えられた「遺産」に対して、満足していなかったからだ。
「人肉加工工場」。忌まわしい事だ………自分では決して食べないモノを、加工・販売する。自分に「ふさわしい」身分の女性から、相手にされない。だから、娼婦相手に苛立ちをぶつけた日々もあった。その結果、自分にうり二つの男児「ジャック」少年が現れた時………「私の子では無い」と追い返すことに、躊躇してしまった。そして、追い返す機会を失った。
666タワー、経営陣の居住区。専用エレベーターから出てすぐ、毛足が長い赤い絨毯が廊下全体に敷かれているため、足音が全く響かない。廊下の窓からぐるりと眺める夜景。
露骨な程磨かれた、金色の扉に手をかざし、薄くなった扉を通り抜ける少年が1人。扉は再び、元の硬質さを取り戻し、ドアの外には静寂のみが。
「父さん」
ジャックの呼びかけに、体を大きくターンさせ、微笑むデーモン氏。
「ジャック、相談とは」
寛容そうに、大きく広げた両腕。
「実は………」
そう言って、俯うつむくジャック。意を決したように、顔を上げた時、その若草色の瞳は、蒼いような熱を帯びていた。思わずその目に引き込まれるデーモン氏。噛み締めた赤い唇を開き、ジャックは囁いた。
「犬を飼いたいんです」
デーモン氏は、ジャックの右肩に自身の右手を置き、快活そうな声で答えた。
「いいじゃないか、犬くらい。大きいのか?」
ジャックは、歯を見せずに微笑み、鼻で息を吸い込んでため息交じりに答えた。
「ええ、大きいんです。僕よりも。でも大丈夫。人間の言葉が分かるみたいで、いう事を何でも聞きますよ。大事な友人です」
そう言いながら、肩まで伸びた髪の毛を指先でくるくる弄ぶ。
「ジャック。これで何頭目だ。ええ?始末なら簡単だが………」
デーモン氏が言い終わらないうちにジャックがピシャリとその言葉の続きを遮った。
「今度は、大丈夫です。とっても、忠実な犬なんです。妻と子供を捨てて、来たくらいですから」
「………」
デーモン氏は、無言で「息子」を見た。美しい悪魔。凡庸な自分の遺伝子から、恐ろしい子供が出来たものだ。そんな感想を抱きながら、デーモン氏はこう結んだ。
「好きにしなさい」
父親の背を見つめて、ジャックは我知らず呟いた。
「好きにするさ………愛無き世界に、愛を取り戻すために」
* * * *
加藤 糺ただすは、主人であるジャック少年から頼まれたものを探すために、バベルの周辺に広がる草原を彷徨っていた。その姿は、昼は獣のようであり、闇の中では幽鬼のようであった。
「見つけたら………金、金だ………そうすれば、転生できる………」
その願いは、糺の惨めな人生を唯一照らす、たった一つの、灯台。
* * * *
運命とは残酷。始めにそう言ったのは誰なのだろう。
汚泥を飲みながら叫ぶ人間には、なぜ汚泥がそこにあり、その中に人間がいるのかが見えない。ただただ、苦しみと恨み、憎しみがあるのみ。
自分と云う人間の視点から、退場する。ほんの少しだけ。そこから見える世界は、希望に満ちているだろうか。今まで宝だと思っていたものが、ゴミになる事だってある。
それでも見たいか、真実を………
* * * *
転生希望者は、一方通行のエレベーターを昇る。
必ず二人でなければならず、今現在愛し合っている事が必須条件。過去に愛し合ったというのは、条件から外れる。
長い廊下を、二人手を繋いで歩く。会話は途切れない。これから始まる永遠の命の事で、希望に溢れている。
月面ターミナルは、ドーム状の天井に覆われた「船着き場」。広大な施設の真ん中に、「転生装置」が二台並んで立っている。介錯人が二人。
転生希望者の、各々の小指の先が、痛みを感じない方法で切り取られる。その指を交換し、各人は転生装置へ。(指交換の儀式)
装置が介錯人によって密閉され、起動。装置同士を繋ぐ管の色が変わり、再び透明になった後、装置の動きが止まる。介錯人が、転生装置を開ける。一組の、雰囲気の似た人間………いや。人型の「何者か」が、誕生した。彼らは、お互いの体を確かめ合い、そしてこう叫ぶ。
「私たちはもう、一つになれない体じゃ無いの!!」と。
そこで介錯人から、こう告げられる。
「あなた方は、存在の解体を経て再構築された人外です。細胞は永遠に分裂をやめない。であるから、生殖機能も無いのです。これからあなたがたには、ある任務が………人類の未来のための、仕事が与えられます。それは………」




