労働者は、夜啼く。バベルに向かって祈りながら
また獣は、すべての者に、すなわち、小さいものにも大きい者にも、富んでいる者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、その右手あるいは額に刻印を受けさせた。
また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。
ここに、知恵が必要である。思慮のある者はその獣の数字を数えなさい。それは人間を表す数字であるから。その数字は六百六十六である。
聖書・ヨハネの黙示録・13章16節~18節(新日本聖書刊行会)より
デーモンズミ―ト(有)の創始者であり若き社長「マッド・デーモン」は、軍産複合体の「食料部門」を担当している、いわゆる3世。父親は、ホテル王であり政治家だった。
『アジアにおける「デーモンズミ―ト」の軌跡』によると、拠点を日本に決めた理由として
・キリスト教を知らない(理解していない)
・昔のことを忘れる(歴史への興味の希薄さ)
・哲学が理解されにくい(思考しないように子供の頃から教育されている)
事が挙げられている。これは、相当な偏見に基づく「日本人観」だが、デーモン氏の目論見が、氏の予想以上に効を奏した事実から鑑みるに……その偏見が、事実とかけ離れているとも言えないという残念な結果に、わたくしは慄然とするのであります。
さて。この会社に勤める、青年の様子を覗うとしますか……
* * * *
ベルトコンベア上の塊は、凍っている。
どんどん流れて来る肉塊の、体幹から四肢を切断する。頭部は、あらかじめ取り除かれている。
作業は24時間体制で行われ、一日の労働時間は6時間。パートタイマーである加藤 糺は、昼1時に出勤して夕方5時には、あがる。
「お疲れ様です」
目の前にいるリーダー「鷹野 佐恵子」の目を見ないで、糺は立ち去る。
佐恵子は、ふんっと、鼻息で返事をした。囲み目のアイラインは、タトゥーメイクだ。
加工場の入り口を抜け、廊下に設置されているダストボックスにビニール製の青いエプロンと、マスク、青いラテックス手袋を投げ込む。帰りの通路の横で、バキュームの轟音。埃を吸い込まれた同僚の憂鬱な目は、乾いている……
糺は、帽子を剥ぎ取り上着を脱いでロッカールームのベンチに座るまでに、全ての白衣を脱ぎ終わった。臭い抜け殻を両手で掴み、リネンボックスに投げ込む。白い長靴を共用の下足箱に置いて、飲み物の販売機横の、企業名入りの大きな鏡を見る。額に、帽子のゴムの跡……髪を手ぐしで整え、すぐに鏡から目を逸らす。
糺の片目は、非常に明るい茶色。宝石で例えるなら……琥珀アンバー。
もう半分は……ケロイドの皮膚があるばかり。元々が美しいだけに、見る人を悲惨な気分にさせる。もっとも、それは本人のせいでは無いのだが……
工場を出たら、外は暗かった。吐く息は白く、近頃やけに長くなった夜に、啼きたい気分になる。糺は、シャワーを浴びたい気持ちよりも、人恋しさに負けた。
* * * *
「まほろばください」
糺はそう言うと、店の入り口近くの席に陣取った。空気の入れ替わりやすい席。そこが「臭い奴」が座る場所であるという、暗黙の了解。
居酒屋「INA」は、マスター・稲村と、バーテンダーの妻・麗子が切り盛りする、労働者専用の居酒屋。「高輪ゲートウェイ・銀河鉄道駅」周辺は、超富裕層が暮らすタワーマンションと、スラム(サービス業従事者の居住区)が混在する街だ。とは言え、棲み分けは、確実になされている。
ここ、「INA」は、一杯で確実に酔えると評判の「まほろば」が一番人気だ。
マスターは、基本的に何もしない。糺の注文に対して「めんどくせえな」という表情を隠しもしないで、のっそり、一番奥のカウンター席から立ちあがる。……いつも通りだ。
手にしたジョッキに濃いめに合わせたグレープフルーツサワーを注ぎ、そこに高濃度のウォッカ入りショットグラス「爆弾」を投下。
「はい、注文のまほろばだよ……お代わりはご法度ね」
釘を刺すマスター。
(鋭いよな、マスターは)
苦笑しながらジョッキをすする糺。すぐに、張り詰めた神経が弛緩するのが分かり……来てよかった……そう思いながら、他の客の話に耳を傾ける。
「……族が滅びたらしい」
「……。また、食糧が大量に入って来るな」
「おい、まさか食べてんのか、アレを」
「おう。高級品だよ。ご先祖様は、おもてなしに客に出したって話だ」
「うええ・・・マジかよ・・・」
嫌な会話だ………糺は、最後の二口を一気に飲み干し、勘定を済ませた。
マスターが、パソコンのディスプレイから微かに視線を上げ、糺に目くばせした。
(マスター、小説書いてんだよな、確か)
そんな事を一瞬考え、マスターに小さく頷いて立ち去る。
* * * *
糺は、「INA」から歩いて5分程の場所の、バスターミナル跡地から、眺めた。銀河鉄道の、静かな運行を。オレンジの楕円形の機体が「666タワー(通称・バベル)」から発車する。
デーモングループが経営する、この街で最も巨大な建築。禍々しい、牙城。見上げる夢。糺は、ここから見る景色を愛していた。そして出来れば、誰かと一緒に、この景色を………そして叶うなら、その誰かと銀河鉄道に乗って………転生したい。
糺は、酔いが完全に冷めないうちに、家路に向かった。




