裁きの神とは
「お前はクビだ」
加藤 糺にそう宣告したマッド デーモン氏は、眼下に広がる暗闇を見つめた。そして、部屋を横切り、反対側の風景を、その目に焼き付けるように見つめた。呆然とする糺に対し、デーモン氏は憐れみを覚えた。デーモン氏は糺の方に近づくと、現金の束を糺に手渡し、最後の仕事を依頼した。
「ジャックを見つけ次第、ここに連れて来い。行け」
糺は、デーモン氏の目を見て頷くと、金色のドアに手をかざし、出て行った。
「ねえ。あんな事………どうして。ジャックは任務に失敗した。だから始末………」
革張りのソファに寝転ぶ、下着姿の女。クッションに埋もれ、寝たふりをしていた娼婦。その、成熟する前の青い果実のような姿を眺め、デーモン氏は軽い調子で答えた。
「神は、息子を送った。だが人々は、彼を十字架にかけた。そして神は、いつか人々を滅ぼすことに決めた。選別して。どうだい、私はこの話が大好きだ………私の願望そのものだから。汚い世界。汚い人間。それを焼き尽くす………神の物語だ」
デーモン氏を見つめる女の目は、何の事だか分からない、という様子で左右に泳いだ。だが、皮膚で感じる、ただならぬ空気。この男、本気だ。女………やすみは、デーモン氏に「出ていけ」と言われるであろう言葉を口にした。
「煙草吸いたい」
デーモン氏は、やれやれという調子で首を振ると、手をヒラヒラさせ、やすみに「出ていけ」の合図をした。そしてやすみは、デーモン氏の前から立ち去る事に成功した。
やすみは、下着姿のままフラフラと666タワーの従業員専用出口から駆け出し、タクシーを呼んだ。やすみの事を見て、笑う従業員。「売女」「頭悪い」………そんな悪口が聞こえてきたが、やすみは先を急いだ。恥なら母親の腹ン中に置いてきたよ………そう心の中で呟きながら。
「○○町、スラムまで」
顔見知りの運転手にそう告げ、震えるやすみ。
(こりゃあ、ヤバいよ。あのジジイ、スラムを燃やす気だ。ばあちゃんが言ってた大火事の原因は、あいつが? まさか。16年前でしょ………だとしたらジジイはまだ10代で………ああもう! 頭おかしくなりそう!! 早く仲間に知らせなくちゃ)
* * * *
サーカス建設現場は、ほぼ出来上がった建物の外側と、剥き出しの地面の上に建材が積まれている内部の、唯一完成しているステージを照らすライト………そこで繰り広げられる酸鼻極まる光景………やすみたちが駆け付けた時には、ジャックはこと切れる寸前の状態であった。
「そんな、どうして………」
ありさが、その場に座り込んだ。ジャックの顔は、傷つけられてはいなかった。
その体は、女性だった。実行役の男達の一人が放った言葉が、ありさに背負いきれないような十字架を負わせることになった。
「キリストさんは、処女だったよ。………何だか信じたくないな。誰だ、ジャックは………」
「なにさ!! みんな言ってた!!! 加藤 糺の愛人、赤ん坊殺しの犯人だって! そりゃ、赤ん坊を殺したのは、母親のこずえだし………! でも、こずえを捨てたのは、ジャックのせいで……」
ありさが正気を失い話止まない様子を不気味そうに眺める「仲間」たちは、それぞれが自分の行き先へと帰って行った。ただ一人、やすみだけが何をすべきか判断し、行動した。
糺がジャックを迎えに行った時、そこには変わり果てた姿のジャックのみが残されていた。
そして彼は、ジャックが女であった事を、そこで初めて知った。いつも、背中しか見た事が無かったから。糺の手には、ロケットが握られていた。それをポケットにしまうと、糺はジャックに上着を掛け抱き上げた。そして、666タワーに向かって歩き出した。その目は………炎が宿っているかのように、底なしの怒りと悲しみで、激しく輝いていた。
* * * *
イラスト提供:秋の桜子氏
ジャックの伯母は、16年前の大火事の際、赤ん坊だったジャックを抱えて逃げた。その際に負った全身の火傷のせいで、死ぬ間際まで皮膚病に悩まされた。ジャックには「アトピーだよ」と誤魔化していたが。
加藤 糺と出会い、火傷痕を間近に見るようになったジャックは、伯母の皮膚病は火傷の痕である事に気が付いた。そして伯母に問いただしたが、彼女は何も話さなかった。ジャックは、父の言いつけを守り、スラムの人々にキリスト教を教えた。
「より文化的に生きるため」
父は、そう言っていた。それが任務である事は、「失敗」した事を報告した時に告げられた。ジャックは、もう一度人々に「チャンス」を与えるよう、父親から命じられた。失敗すれば再び、「神の裁き」があると告げられ。
666タワーの麓が草原であるのは………そこにかつて街があったから。タワーは、要塞。気まぐれな神が住まう、城。
記憶の中の街、そこには、「罪深い」人々が住んでいた。それを「裁いた」のは。マッド デーモン氏の父親、グレート デーモンだった。街の罪状は「息子を穢した大淫婦」の罪ゆえに。
裁く神とは、一体何者。




