5.5代前の暗黒の時代
派手に着飾った夫婦本人たちは今日も皆の注目の的になっていると満足しているが、愛想笑いを浮かべる周囲からは遠巻きに見られているのだと気付きもしない。
そのドレス、装飾品にどれほどのお金がかかり、またどれほどの領民の血税が奪われているのか。
現在、夫婦の娘が隣国に留学していることはこの場にいる誰もが知っている。その目的が自国の学舎を作るための視察を兼ねていることも。
だが察しのいい一部の貴族たちはきちんと気付いている。
遂に王家がルチダリア家の粛正の為に本格的に動き出した、と。
第一王子も出席している今夜の夜会はもうすぐ終わりを迎えようとしている。
王子の隣には見慣れない従者がいたが、普段付いている従者とは違う者が付いていることはよくあることだ。幼い頃から変わらない従者は王子からはよく信頼され、そのため頼まれ事をされることも少なくないという。
だから、今回だけ異なる従者でも不思議には思う者はいなかった。
その従者が静かにルチダリア公爵家の夫婦を観察していたが会場にいる者たちが気付くことはなく、また王子に挨拶した時すぐ近くにいたにも関わらず、あの夫婦が気付くはずもなかった。
「どうですか?」
「・・・汚らわしいですね」
思っていたよりも率直で飾る気も無い言葉にエルマーは驚く。
真向かいに座っている従者、本物の"エルヴィス"は無表情で言い切った。今は偽名のリオを名乗って、エルマーの従者として行動を共にしている。
瞳に何も映さないで感情をそぎおとしたリオのその表情にまたも既視感を覚え、どこで見たのか思い出そうとするよりも先にリオが更に言葉を重ねた。
「当人たちに会うのは今日が初めてですが、噂に違わぬ愚かな方たちで素晴らしいですね。今まで生かされてきたのが奇跡でしょう」
「・・・それは言い過ぎでしょう」
「ええ、そうかもしれませんね。きっと私の祖父も何かしら考えがあって、あの人たちを生かしたのでしょうから」
彼が8歳の時、偽物のルチダリア公爵令嬢に成り代わってしまった。犯人はわかっていないが、護衛の目が離れてしまった時に路地裏に連れ去られ、布袋に入れられてしまったらしい。その間に、見た目が似ていた女の子をどこからか連れてきて身代わりにしたのではないかとというのが推測だ。
その後、リオは明らかに高価な布地で出来た衣服をはがれ、人身売買の為に異国の船へと入れられた。その異国で人の良い養父と出会い、常任だった彼と様々な国を渡り歩いていたそうだ。血が繋がっていなくても父親はたった1人なのだと、リオは言った。物の見方、人の見方、語学、教養、護身術等も全て養父から教わった。
そしてこの国に商売の為にやって来た時、ルチダリア家の執事に会い、リオの外見がルチダリア前当主の若い頃にそっくりだったことから声をかけられた。それにプラチナブロンドと琥珀色の瞳も代々受け継がれてきたものでもある。
その時ちょうど屈んでいた身を起こすと、首にかけていた紐が服から出てしまい、紐の先に通されていた指輪が執事の目に止まった。その指輪がルチダリア家に代々伝わるものだと知っていた執事は、身元を確かめるために色々な質問をした。
リオはルチダリア家のことは残念ながら覚えていなかったが、その指輪をもらった時のことだけは覚えていた。
おぼろ気な記憶の中の彼の大好きな祖父が、この指輪だけは何があっても手離さないようにといつも言っていたのだという。
確定的な証拠があったわけではない。しかし、外見も雰囲気もそっくりで年も同じで、何よりもルチダリア家に代々伝わってきた本物の指輪がある。
数年前から"エルヴィス・ヴィオレット・ルチダリア"に違和感があり、女性らしい特徴が出てきた時から偽物だと気付いていた執事にとっては、彼が本物の"エルヴィス・ヴィオレット・ルチダリア"だと悟った。
執事はすぐに彼にルチダリア家に戻ってほしいと言ったが、突然そんなことを言われても簡単に信じられるわけがない。それにリオは養父を慕い、仕事を継ぐつもりだった。ルチダリア家について聞いて酷い人間もいるものだとは思ったが、各国を旅する彼にとってはとある国によくいる貴族の1つで他人事であった。
朧気な記憶の中の祖父が失意の内に亡くなったと聞いた時は心が揺らいだが、それでも彼の中では養父の存在の方が特別だったのだ。
しかし、ソルレイリア国に滞在する最後の日、今まで静観していた養父は愛する息子に言った。
『己の役目を果たしなさい』
養父とて見目麗しく、幼いながらに所作の美しい少年にどこか思うところがあったのだろう。彼が唯一指輪を見せた養父は、何を捨ててもその指輪だけは決して捨ててはいけないよ、と事あるごとに言っていたそうだ。
そして、彼はルチダリア家に戻る決意をした。
2度と会えるかもわからぬ養父との別れを覚悟して。
しかし、いきなりルチダリア家に乗り込むことは自ら消されに行くのも同じことだ。
現ルチダリア公爵当主に渡されていた指輪は精巧な偽物で、本物の指輪はリオが持っていた。いざとなればその指輪を持って王宮に行けばいい。切り札はこちらが持っている。
だから、ルチダリア家の悪行を世間に晒し、当主夫妻と偽物の"エルヴィス"を断罪するべく、今は身を潜めてその証拠を徹底的に集めることにした。
偽物の"エルヴィス"を隣国に留学させたのは、リオが現状を把握するために動きやすくして、ルチダリア公爵夫妻の様子を見やすくするためだ。今夜の夜会のようにリオはルイスに付いて影から公爵夫妻の様子を見ることもある。
偽物の"エルヴィス"は、見目の良い男であるならば誰にでも声をかけるという悪癖があった。
リオに会う前、まだ手紙だけでやり取りしていた時にどうにか偽物を王都から距離を置かせることは出来ないかと頼まれて、何とかそれらしい理由をつけて隣国に行かせた。
その判断は間違いなかったのだと、今もう一度そう思う。
どこから持ってきたのかウィッグを着けて髪色を変えて、化粧をして誤魔化そうとはしているものの、顔の造作が簡単に変わるわけがない。生まれながらの麗しさは失われることなく、多くの女性の視線を虜にしていた。本人が隠れる術に長けていたから奇跡的に誰とも話すことはなかったようではあるが。
しかし、偽物の"エルヴィス"がいたならば間違いなく声をかけられていただろう。
いずれ対面する時がくるとしても、これから動きだそうという段階で万が一にも本物が国に戻っていると気付かれるわけにはいかない。
執事が調べた限りでは、犯人との繋がりは今のところはないという。
だがいずれ当人に聞くべき時がくる。
彼女が本物の"エルヴィス・ヴィオレット・ルチダリア"でないと知りながら成りすましているのか、それとも本当に思い違いをしているのか。
「殿下」
リオの呼び掛けはギリギリ聞こえるか否かの大きさだった。
先程まで普通の声量で話していたのに何故とは思うが、エルマーは何も聞かずに目線だけで応えた。
「御者は、いつもと同じ方でしたか?」
「・・・いえ、今日は代わりの者です。しかし、これまでも何度か会ったことはあります」
「30代前半の者のようですね」
「ええ。半年前に御者が3人辞めてしまったので、新しく雇った者の1人です。騎士ほどではないですが剣の腕も良く、馬の扱いも上手だったので雇ったと報告は受けました」
「・・・そうですか」
2人の声は変わらず、聞こえるか聞こえないかギリギリの声量で、時折御者が馬に鞭を打つ音と車輪の音の方が大きい。
リオが気にするのだから御者に何か異変を感じたのだろうとエルマーは思うが、彼が優秀な御者であることは確かで他には何も思い浮かばない。馬小屋の管理人も、あの御者には馬たちがすぐに懐いたと言っていた。
「何かお気付きですか?」
「・・・いえ、もしルチダリア家が裏の世界の者を雇っていたら厄介だなと考えていた所でして。あぁ、今の御者の方が怪しいとかではなくて」
「・・・もうそこまで知っているのですね」
裏の世界の者とは、いわゆる暗殺を生業とする者たちのことだ。5代前の国王の時代までその者たちの存在は公然の秘密だったが、時の国王が国内の裏の世界を一掃した。
とは言っても全て綺麗に出来るはずもなく、残党は数少なく残っているだろうが表面上は、という話だ。しかし、暗殺者が出るたびにその筋を辿って根絶やしにするべく動いていたので、今やもう裏の世界の者に会うことは無い。
「商人をしていると、色んな国の様々な話を聞きます。不安、勘違い、思い込み、嘘、嘘に聞こえる真実の話まで何もかも。不安定な仕事ですからあらゆる情報を収集しておかないと足元を掬われます。国の統治に関しても、同じことでしょう」
「そうですね。その点では、裏の世界の者は暗殺だけでなく忍び込むことが得意でしたので、情報収集としてとても重宝されていたそうです」
「けれど、時の王は幼い頃から狙われる日々が恐ろしくて、国王になった時から全滅させようと計画を建てていたそうですね。裏の世界の者たちのことは公然の秘密でしたので、貴族たちの中には雇っていた者がいたそうですが表向き公にすることはできません。本来は、暗殺者を雇うことは許されていませんから。反対だと騒げば言葉の通り己の身を滅ぼすことになったでしょう」
「だから表向きは、皆は賛成の意を示したそうです。誰も国王の時世に反抗する者などいない、 私たちは裏の世界とは何の関わりも無い綺麗な身だということを証明するために。多くの貴族が裏の世界の者を裏切り、国との間で裏取引が行われ、逆に命を狙われて死んでいきました」
当時、王都は裏の世界と貴族との対立で脅かされていた。路地裏のみならず、人通りの多い通りや公園でも貴族は襲撃されていた。
裏の世界の者は強かった。
しかし、圧倒的に数が少なかったのだ。
5代前の国王は裏の世界の者を一掃するにあたって、まず初めに偽の仕事を持ちかけて一ヶ所に彼らを集め、圧倒的に上回る数の騎士を使って皆殺しにした。そしてその死体を前に雇用者である臣下を集め、己の身が潔白であるのならばそれを証明せよ、と青ざめる彼等に告げたのだ。
その話は瞬く間に広がり、国外に逃げた者もいるだろうが、同業者が大勢殺されたことで普段は冷静な者たちも頭に血が昇ったのだろう。見てみぬふり、あるいは国に協力した元雇用者を襲撃し始めた。
しかし、裏の世界で1番大きな力を持っていた男が殺されたという情報が流れてから、彼等は蜘蛛の巣が散ったようにいなくなった。
「数年続いた暗黒の日々は、その日を境に綺麗さっぱり終わりを告げました。王都にも平和が戻り、命を脅かされる危険もなくなったそうです」
「しかし、5代前の国王の死因は毒だそうですね」
エルマーはリオと目を合わせ、肯定するように頷いた。
「はい。ある日突然吐血して倒れ、そのまま息を引き取りました。当時、王を診察した医師は毒だと結論付けました。毒味はさせていましたが、その者たちには異常がなかったことから彼等が毒を盛ったのではと疑われたそうです」
「確か・・・その者たちは当時のルチダリア家当主が選んだ毒味役だったそうですね」
「そうです。しかも、その時の当主は幼少時に暗殺されそうになった国王の盾になって背中に刃を受けたことがありました。人間不信の5代前の国王が、唯一全幅の信頼を寄せていた人物です」
「・・・まさしく王家に忠誠を誓っているのですね」
「ソルレイリア国の歴史を学ぶ時、全ての貴族は国の誕生と共にルチダリア家は真に忠誠を誓う者たちであると教わります。・・・今は、誓う者たちであった、と過去形ではありますが」
「・・・・・」
始まりは血を分けた双子の兄弟。
そのうえ今まで王家に寄り添い、時に正しい道筋に導き、いつだって彼等は国の為にあり続けてきた。
その家の当主を、確かな証拠も無しに処罰できるはずがない。
「そもそも毒を盛られたかすら確かではありませんでした。異国の医学書では、突然吐血して身体が弱ってしまう病もあると記述されています」
「そうですね。実際に私も見たことがありますよ。確か・・・その時は喉の血管が切れたのだろうと診察した医師は言っていましたが日に日に身体が弱っていって、その後すぐに出国したのでどうなったかは知りません。・・・あまり良くない状況だったようです」
「・・・もしかしたら、当時の国王も似た状況だったのかもしれません。しかし、どこから漏れたのか、一部の貴族たちが忠誠を示すための自作自演ではないかとルチダリア家に反発しました。よって、毒味の者たちは解雇され、ルチダリア当主は次代に交代しました」
「当主は決して何も弁明することなく、次代に当主の座を譲ったそうですね。なので本当のところはわかりません。当時のルチダリア当主が毒を盛ったのか、あるいは当時の国王が病に侵されていたのか」
「真相は闇の中、ということですね」
「もしかしたらルチダリア家の本邸に行けば何か資料があるのかもしれませんが、変装したとしても私が近づくことは控えた方がいいでしょう」
偽者が国にいないとしても、事は慎重を要する。不用意な行動は控えなければいけない。
昨日、エルマーの執務室の前に書状が落ちていた。言うまでもなく、それはルチダリア家の告発文だった。
そこには、ルチダリア当主夫妻が兼ねてから親交のある商人と密会していたという情報が書かれていた。
その商人の名前には見覚えがあった。
数年前からソルレイリア国内で商売を始め、少しずつではあるが顧客を増やし、客を必ず満足させると巷では有名になりつつある商人だ。異国から来た商人で、40代の男性だがいつも清潔感ある服を着て男前。言葉はカタコトだが、興味をそそられるような言葉を使うので魅了され、いつの間にか購入してしまう。
いつかその人のお客になってみたいと、今日の夜会でもどこかの貴婦人が話していた。
その商人が、ただ商売のためにルチダリア当主夫妻と会っていたらそれは問題はない。流行には敏感な彼等のことだ。権力に物言わせてでも呼んだのだと容易に想像がつく。
“密会”という言葉を使っていなければ、そう思うこともあったかもしれない。また、屋敷を見張っているのにそれらしい人物が来たことが報告にあれば、そして王太后の言葉がなければ。
気にも止めなかった商人の正体を、エルマーは部下に探らせている。
リオにこの告発文を見せた時、彼は神妙な顔で中身を読んだ。
エルマーはリオと協力関係にあるはずなのに、何故まだ告発文を送ってくるのか聞いた。リオを通して伝えてくれればいい、そもそもこんな回りくどい方法ではなく直接全てを話してくれればいいと不思議に思ったからだ。
『申し訳ありません。・・・私も、真にルチダリア家当主に相応しい者なのか試されているので』
何て答えたらいいのかわからない。
そんな表情をしながらも、リオは言葉に詰まることなく答えた。
二人を乗せた馬車が王宮に着き、今日の報告を聞こうとエルマーの執務室へと向かうために馬車を降りた。
それを確認した御者は車を元に戻し、二頭の馬を馬小屋に連れていった。
「ジョン、お疲れさま」
「トニー?まだ残っていたのか」
同僚のトニーが馬小屋の前にいるのを見て、ジョンは驚いて声をあげた。
「ちょっと帰り際に仕事を押し付けられたんだ。思いの外時間がかかったからお前を待って飲みにでも行こうかと」
「お前は元気だなぁ。ちょっと待ってろよ。一仕事終えたこいつらを綺麗にしてやらないといけないからな」
ジョンは二頭の馬を優しい手つきで撫でた。二頭とも懐いているのか、嬉しそうに頬をすりあげている。
「本当に馬が好きだな」
「ああ、世界で1番美しい生き物だ」
「はいはい。俺も手伝うから、早く飲みに行こうぜ」
トニーが馬たちに近づくと馬たちは一歩引くような素振りを見せた。しかし、トニーが優しく慎重にブラッシングを始めるとその丁寧さから気持ち良さそうに身を任せはじめた。
「馬の扱いは丁寧なのに嫌われてるよな」
「こいつらはまだ世話をさせてくれるだけまだいいよ。殿下の馬には本格的に嫌われてるから側にすら寄らせめもらえないからな」
「愛が足りないんだよ」
「お前に比べたら誰も愛は足りないよ」
ジョンの馬への愛は大きすぎて、同僚の中でもずば抜けて馬たちは懐いている。
好き嫌いの激しい第一王子の馬の世話をできるほど。
それに比べてトニーは最初から嫌われていて、近づこうものなら憤りを露にして暴れ始める。
「・・・やっぱり勘が鋭いんだよなぁ」
トニーは苦笑しながら小さく呟いた。




