7 卒業
前話から1年が経ち、卒業式です。
2021.6.6 管澤捻さまからイラストいただきました。
「制服着ていってらっしゃいするのも、これが最後だね」
月日が流れ、奈津美が卒業する日がやってきた。
毎日のように繰り返してきた、制服姿の奈津美が陽人を送り出す光景。
「そうだね、奈津美の晴れ姿、楽しみにしてるよ。最後の登校、事故のないようにね」
「わかりました、先生!
いってらっしゃい。約束、忘れないでね」
「わかってる」
いつもどおりキスをして、陽人は出掛けていった。
そして、少し遅れて、奈津美も家を出る。
推薦で大学合格を決めている奈津美にとって、制服を着て家を出るのは、今日が最後だ。様々な思いを胸に、奈津美は鍵を掛けた。
教室に着くと、既に卒業式一色だった。黒板にでかでかと書かれた「卒業おめでとうございます」の文字と、胸につけた卒業生のリボン。泣けと言わんばかりの舞台装置の数々に、既にしゃくり上げている生徒もいる。そんな中、奈津美は、ほおづえをついて窓の外を眺めながら、“桜はやっぱり間に合わなかったなあ”などと考えていた。
3月上旬では、よほど南の方でないと、桜の開花は無理だ。この辺りでは、入学式頃なら桜が咲くかというところだ。
若さのお陰か、2年間の主婦生活でも、ほとんど手荒れは見られない。ほっそりした白い指の上に頬を載せ、体育館に移動するまで、1人で外を眺めていた。
卒業式は、厳かに進んでいく。
普段は退屈極まりないはずの校長やPTA会長の挨拶にも、鼻をすすり上げる音が応える。在校生代表の祝辞、卒業生代表の答辞を経て、メインイベントである卒業証書の授与だ。1人ずつ壇上に上がり、校長から卒業証書を受け取って振り向く。ステージの反対側、体育館の入口側に設けられた父兄の席に親の姿を探す生徒が多い。親の方でも、子供が振り向けば小さく手を振っている。
奈津美の番になった。
証書を受け取った奈津美は振り返る。そして、教師の席の方を向いて一礼した。もちろん、その時、陽人と目が合い、微笑みを交わしている。だが、端から見れば、世話になった教師に頭を下げる優等生にしか見えないだろう。
美芙由は来ていない。この1年の間に退院はしたのだが、まだ肌寒く心臓に負担が掛かるため、医者から列席は止められたのだ。もっとも、美芙由としては、奈津美は既に嫁いだ娘であり、自分の出る幕ではないと思っていた。
そして、奈津美の家族である陽人は、教師の席から、万感の想いで奈津美を見つめていた。担任教師が受け持ちの生徒を見ていても、今日ばかりは誰も文句を言わないだろう。そんな計算もあって、陽人は自分のクラスの番になってから、ずっと壇上を見つめていた。さすがに、奈津美を見る目の熱っぽさは、見る人が見ればわかるだろうくらいに違っていたが。
卒業式も無事終わり、最後のホームルームという名の別れも終わって、解散となった。
まだ大学入試が終わっていない者もいるが、とりあえず高校生活はこれで終わりとなる。皆思い思いに友人達と記念写真を撮ったり、最後のおしゃべりをしたりして、別れを惜しんでいる。
奈津美もまた、笑子ら友人達と写真を撮ったりしていた。みんなが泣き笑いのような顔で写る中、奈津美だけは晴れやかな顔をしていた。
「奈津美ってば、ずいぶん嬉しそうだよね。あたし達、これでお別れなんだよ」
なんだか嬉しそうな顔にさえ見える奈津美に、笑子が文句を言っても、奈津美はあっさりしたものだ。
「これが最後ってわけじゃないよ。生きてれば、いつだって話せるし会えるんだから。
PTAの人が言ってたでしょ。今日は高校生活最後の日じゃない、新しい世界に踏み出す日だって」
奈津美の言葉に、笑子は奈津美の父がもうこの世にいないことを思い出した。
「そっか。奈津美のお父さんは…」
「きっとどこかで見てるよ。それで“どうだ、俺のお陰で幸せになっただろう”っていばってるの」
「なにそれ、推薦合格はお父さん関係ないでしょ」
「でもいばってるの」
そう言った奈津美の顔は、本当に晴れやかだった。
奈津美は、カラオケに行こうと誘う笑子に「行くところがあるから」と断り、校門を出てしばらく歩いたところにある喫茶店に入った。
ポット入りの紅茶を1人で飲んでいると、向かいの席に陽人が座った。
「遅くなってごめん。待たせたね」
「ううん、今来たとこ」
「その台詞は、こういうシチュエーションで使うものじゃないと思うな」
「いいじゃない、言ってみたかったの!」
2人でひとしきり笑った後、陽人はコーヒーを、奈津美はケーキを追加注文した。
「この街でこういうとこ入るの、初めて」
「明日からは、いつだってどこだって2人で入れるよ」
「じゃあ、もう1つ卒業しよっか」
そう言って、奈津美は左手を出した。
「長谷川奈津美。貴殿はこの2年、よく頑張った。内緒の結婚生活からの卒業を証する。おめでとう」
陽人は、奈津美の薬指に指輪を嵌めた。それは、小さな桜の花が刻印されたプラチナの結婚指輪だった。
「ありがとう、陽人さん」
「これからもよろしくね、僕の奥さん」
空になったカップを残して店を出ると、並んで歩く。スーパーに寄って2人でカートを押して。買った荷物は、陽人が持って家まで帰った。
「ずっと」
「ん?」
「ずっとこうして歩きたかったの。陽人さんと。
やっと叶った」
目に涙を溜め、微笑みを浮かべた奈津美に、陽人は言った。
「お望みなら、大学まで迎えに行ってあげようか?」
「合コン会場とか?」
「そういうとこ行かれるのは、嬉しくないなあ」
「大丈夫。私はあなたの奥さんだもの、浮気なんかしないし、出会いも求めてないよ」
「ぜひそのように頼むよ」
スーツ姿の陽人と、制服姿の奈津美は、部屋の鍵を開け、一緒にドアをくぐって
「「ただいま」」
と声を合わせた。
2人の結婚生活の第2幕が、ここから始まる。
これにて完結です。
元々この作品は、なななん様の活動報告に書いた200文字のSSを発展させたものです。
ラストで、学校帰りに2人で並んで歩くことに喜ぶ奈津美を、それが楽しみなあまり卒業式で笑っている奈津美を書くために、重ための話になってしまいましたが、狙ったとおりに着地できたので満足です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。




