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5 告白

 挿絵(By みてみん)

 高校2年生の最大イベントである修学旅行が目前に迫っていた。

 当然、陽人も奈津美も参加するが、担任と生徒としてであり、バスの中で隣に座れないし、ホテルで一緒の部屋にも泊まれない。

「夏に海行っといてよかった。

 あれがなかったら、今頃私、寂しくて荒れてたかも」

「寂しがってくれるのは嬉しいけど、暴れるのは勘弁してほしいな」

 夏休みに、2人は約束どおり泊まりがけで海に行った。水泳部の練習の隙間を縫っての一泊旅行だったが、それでも奈津美は満足だった。

 波打ち際で遊び、海が見えるホテルに泊まり、大浴場で足を伸ばし、部屋での食事に舌鼓を打ち。家族用の貸切風呂なんてものにも入ってみた。

 夫婦になって2か月ほどで、それなりに肌も重ねてはいたが、明るいところで裸を見られるのは初めてで、奈津美は随分と照れていた。それでも、初めて背中の洗いっこができたのは嬉しかったようだ。

 布団も二組敷かれていたが、2人で寄り添って眠った。寄り添うだけに抑えたが。

 奈津美にとって、陽人と泊まりがけの旅行をしたことは大きくて、“一緒に出掛けているにもかかわらず一緒にいられない”という修学旅行のジレンマも我慢できる、ということらしい。

 陽人からするとよくわからない拘りだが、愛しい妻が、自分の傍にいられないことを残念がっているというのは伝わってくるので、それなりに嬉しい話でもあった。

「私、暴れたりしないもん!」

 からかわれたと思ったのか、奈津美が頬をふくらませた。最近は、こうして感情を素直に表してくれるようになってきて、陽人は喜んでいる。


 奈津美を守るために籍を入れることが必要だったと今でも信じてはいる。だが、結果的に秘密を持ってしまった奈津美は、周囲に対して一歩引いた感じになってしまった。

 一言一言選びながら話す奈津美は、成績優秀なこともあって、落ち着きのある生真面目な、いわゆる優等生と目されている。

 間違っているとは言わないが、素の奈津美は、決して生真面目というわけではない。

 奈津美がクラスで若干浮いた存在である理由の一端が陽人との秘密の関係であることに、陽人は気付いている。

 奈津美のいいところは自分だけが知っていればいいという独占欲と、もっと周囲と打ち解けてほしいという思いとが、陽人の中でいつもせめぎ合っていた。

 修学旅行をきっかけに、もう少し馴染んでくれたら、というのは、偽らざる本心だ。

 修学旅行は、男女別で4人ずつ班を作っているが、自由行動の時だけは男女合同で動くことになる。とはいっても、男女比がおおよそ2対1なので、女子の班を2人ずつに分けて、それぞれ男子の班に混ざるというかたちだ。

 奈津美は、友人の中川笑子と一緒に男子に混ざることになっている。

 普段、家事をするために早々に帰宅する奈津美は、特に男子との接点が少ない。

 陽人としては、奈津美の高校生らしい生活を制限してしまっていることを心苦しく思っており、修学旅行くらいは純粋に楽しんでほしいと願っていた。

「奈津美、修学旅行の間は、家のこととか僕のこととか考えずに楽しんでね」

「先生のこと考えないって?」

 何を言われたかわからず聞き返した奈津美に、重ねて言う。

「修学旅行の間は、僕を単なる担任と思って行動してほしい。

 僕も引率としてそれなりにバタバタするだろうし、君を気にしてあげられないだろうしね。

 せっかく、家に帰る時間も夕飯のおかずも気にしなくていいんだ。同級生との時間を純粋に楽しんでほしい」

「先生…」

 奈津美は、修学旅行中、どこかで隙を見て陽人と2人きりの時間を持ちたいと思っていた。

「せっかく京都に行くのに、先生と歩いちゃだめ?」

「2人でいるところを見られるリスクが高いし、なにより、せっかくの修学旅行だよ。

 本来の、同級生との時間を楽しんでほしいんだ」

「それこそ、せっかく京都行くのに…」

「遊びに行くわけじゃない。これは学校行事なんだ。

 そういう浮ついた気持ちでいちゃだめだよ」

「浮ついたってなに!?

 先生と2人で京都を歩きたいって、そんなに悪いことなの!?」

 普段我慢しているせいか、珍しく奈津美が感情を爆発させた。

 裏を返せば、奈津美にとって生活の中心が陽人にあるという証左だった。

 奈津美の気持ちはよくわかる。陽人は、できるだけ優しく諭した。

「僕と一緒に歩きたいなら、後でまたゆっくり行こう。

 プライベートと学校行事は別なんだ」

「だって…」

「年末でよければ、一緒に行こう。そんなに時間は取れないだろうから、どこに行きたいか目星を付けておいてよ」

「…うん、わかった。ほんとに、2人で行ける?」

「宿さえ取れれば、ね。約束する」

「約束ね」

 奈津美は陽人の譲歩に納得したようだ。




 修学旅行が始まり、本当に陽人が奈津美に話しかけることなく3日が経った。

 形だけの結婚・同居から数えて7か月、奈津美が陽人とまともに口をきかない日がこんなに続いたのは初めてだ。

 そして、自由行動の日になった。

 奈津美は、予定どおり、笑子と2人で男子4人の班に合流して出掛けた。

 バスに乗って金閣寺や龍安寺を巡る。観光バスではないから、全員が座れることは滅多にない。女子に気を遣ってくれているのか、席が2つしか空いていない時奈津美達を座らせてくれた。高校生男子がレディーファーストしてくれるんだ、と奈津美は驚いたが、何も言わないでありがたく座っておいた。こういう時は顔を立ててあげないと。

 なんだか杉山くんと笑子がちらちらと意味ありげな視線を交わしているような気がする。少し距離も近いようだし、この2人って付き合ってるのかな、と思いつつ、あまり見ないようにした。他人の恋愛に首を突っ込むのは避けたい。自分がされたくないことは人にしないのが奈津美の流儀だ。

 龍安寺に行った時、人波に流されて、気付いたらみんなとはぐれていた。

「長谷川さん!」

 きょろきょろしていたら、同じ班というか、一緒に動いていた松尾くんが声を掛けてきて。

「松尾くん? みんなは?」

「なんか、立て札読んでたら置いてかれた」

 どうやら、奈津美と同じようにはぐれたらしい。

 困ったことに、笑子に電話してみても、「電波の届かないところに~」とアナウンスされるだけだ。松尾が仲間にかけてみても同じらしい。京都って、そんなに電波が届かないところがあるんだ…。

 仕方ないから、予定どおりの行程で動きながら探してみることにした。




 松尾くんの様子がなんだか変だ。はぐれたことが不安なのかな?

「ねえ、どうしたの? 大丈夫、心配しなくてもそのうち連絡取れるよ。みんな子供じゃないんだから」

「あ、いや、そうじゃなくて、その…」

 松尾くんは、ごにょごにょと言いにくそうにしている。

「?」

「あ、あのさ!

 長谷川さんって、彼氏とか、いたりする?」

「え?」

「だから、彼氏」

「い、いない、けど」

 まさかそんなことを聞かれるとは思ってもみなかった。とりあえず、「いる」なんて言えるわけもなく、否定する。いや、実際“彼氏”はいない。“夫”ならいるけど。

「そうなんだ。

 じゃあさ、俺なんてどうかな」

 どうかなってなに? 彼氏にってこと?

「え、あの…」

「前からさ、長谷川さんってかわいいなって思ってて。

 せっかく2人きりだし、その、さ…」

 はぐれたどさくさに紛れて告白、ということだろうか。

 告白されたのなんて、初めてだ。顔が赤くなる。先生には、私から告白しちゃったし。

「わ、私、告白なんてされたの、初めてで、とっても嬉しい」

「じゃあ…」

「でも、ごめんなさい。松尾くんとはお付き合いできません」

 奈津美は、残酷かもしれないと思いつつも、断る以外できない。

「私、春にお父さんが死んじゃって、お母さんも今、入院中で。

 家のこととかやらなきゃいけないこといっぱいあるし、大学も行きたいし、男の子と遊ぶ余裕とかないの。

 松尾くんの気持ちは本当に嬉しいんだけど、ごめんなさい」

 そう言って頭を下げた。もう結婚しているからと言えない申し訳なさも含めて。

「確かに大変だろうけど、俺と一緒にいたら、気が紛れるかもしれないよ。それでも駄目?」

 やっぱり、実感湧かないよね。あの心細さは、実際なってみないとわからないと思う。

 結婚する時の先生の言葉を思い出す。“支えさせてほしい”…先生は、そう言ってくれた。実際、仮面夫婦の頃も、私が不安を感じないように色々気を遣ってくれてた。だから好きになったんだもの。気が紛れたって、現実は変わらないんだもの。

「ごめんなさい、気が紛れても意味がないの。松尾くんと遊んでも、ご飯は勝手にできあがらないし、お母さんが退院できるわけでもない。お金が湧いてくるわけでもない。遊んだ分だけ、後で困るの」

「飯くらい奢るよ」

「毎日毎食? 栄養のバランスも考えないと、外食ばっかりじゃ体を壊しちゃうのよ?」

 さすがに松尾も鼻白んだ。はっきり拒絶されていることに気付いたらしい。

「だから、ごめんなさい。

 私は、生活に追われるつまんない女なの。一緒に遊んで楽しい人を探して?」

「…うん、わかった」

 不承不承、といった(てい)で、松尾は頷いた。その後は会話もほとんどなく、ほどなくみんなと合流できたが、2人の間で何かあったことは察してくれたようで、奈津美は松尾と距離を置くことができた。




 その夜、笑子にこっそり聞かれた。

「ねえ、松尾くんに告られたんでしょ? なんで断っちゃったの?」

 やはり、察していたようだ。

「今は、男の子と遊ぶ余裕はないから。デートする暇もないし」

「でもさ、奈津美の家の事情は知ってるけど、高校生活が家と学校の往復だけって寂しくない?」

 笑子の心配はもっともなものだ。友達として、純粋に心配してくれているのだろう。だが、笑子は知らない。奈津美が新婚生活を満喫していることを。

 実際のところ、奈津美は、陽人のために夕飯を用意して待つという生活を楽しんでいる。「ただいま」と帰ってくる陽人を「おかえりなさい」と迎えるのも、一所懸命用意した夕飯を喜んで食べてくれるのも。正直、まだ陽人の方が料理が上手いのだが、着実に進歩はしている、はずだ。それをちゃんと感じて、褒めてくれるのが嬉しい。それが説明できないのは、確かに残念ではあるが、だからといってやめたいと思ったことなど一度もない。

笑子(えみ)とは違うかもしれないけど、私は私でちゃんと充実してるから」

 ふと、笑子が真顔になった。

「奈津美って、ほんとに彼氏とかいないの?」

 奈津美の頭に警告が鳴り響いた。答え方を間違うと、とんでもないことになる。

「いないよ。なんで?」

 できるだけ平然と、不思議そうな顔で答えた。

「何が楽しいのかなって思って」

「料理とかもね、新しいのに挑戦して美味しくできると楽しいよ。お母さんに差し入れに行って、喜んでもらえると嬉しいし。

 逆にね、私、男の子と付き合ったことないから、付き合うと何が楽しいのか、わからないよ」

 うまく嘘をつくコツは、本当のことを混ぜること。先生から教わって「じゃあ、先生は私にも上手に嘘をつけるんですね」とにっこり笑ったら、目を丸くしてたっけ。

 実際、先生とは、恋人同士という段階を踏まないで結婚して、一緒に暮らしているうちに好きになったわけだから、彼氏彼女という関係がどういうものかは実感がない。だっていつも同じ家にいるんだもの。

「一緒に買い物に行くとか、映画見るとか、色々あるじゃない。それくらいは想像できると思うんだけどなあ」

 一緒に買い物?

「買った物をそれぞれ持って帰るの? 一緒に行く意味なくない?」

「一緒に買うのがいいんじゃない! 一緒に服選んで、次のデートで着ていくとか」

「あ、そっか」

 そうか、一緒に買い物って聞いて、ベッド買った時のことを思い出したから悪いんだ。うちに配達されてくる楽しみじゃなくて、一緒に選んだものを着て見せるってことなのね。水着の時と同じだ。それならわかる。

「そっか。…ありがと、気を回してくれて」

「え!? なんで!?」

 やっぱりそうなんだ。松尾くんと2人きりになるように仕組んでたんだね。

「でも、ごめんね。私、本当に恋愛とかいらないから」

 間に合ってるから。

 笑子は、気を回していたことがバレた気まずさもあって、それ以上は追求してこなかった。

 こうして、若干の気まずさを残して修学旅行は終わった。

 いや。終わっていなかった。家に帰るまでが修学旅行なのだ。

 奈津美にとっては、陽人と過ごす夜になるまでが。

 陽人は、学校に戻った後、雑事を片付けるまで帰ってこられない。奈津美は、帰宅途中で材料を買い、陽人が帰ってくる前に夕飯を作るのだ。疲れてはいるが、いや、疲れているからこそ、陽人の笑顔が見たい。




「ただいま」

「おかえりなさい、先生。ご飯できてるよ」

「ああ、ありがとう。久しぶりの奈津美のご飯、楽しみだな」

 さりげなく褒めてくれる陽人に、頬が弛む。やっぱりこの人以外を好きになるなんてありえないよね。




「あのね、なんか、松尾くんから告白された」

 隠し事をするつもりもない奈津美は、夕飯中、修学旅行の思い出話の最中に、松尾とのことを話した。

「もちろん断ったけど。そうしたら、笑子(えみ)に、学校と家の往復だけで寂しくないかって言われちゃった。うまくごまかしたけど、結婚してること言えないって、やっぱり面倒だよね」

 奈津美としては、何の気なしに言ったのだが、陽人にとっては、やはり重い言葉だった。支えるために結婚し、後に恋愛感情から夫婦となった。それを後悔するつもりはないが、さりとてそれが絶対に正しいと言いきれるほどの自信もない。結局、卒業までのあと1年5か月、奈津美を縛り続けるしかないのだ。それは、陽人にとっても苦いものではあった。いっそ「好きな人がいる」と言って断れればいいのだが、そうすると今度は“それは誰か?”という話になる。そうなると誤魔化しきるのは難しい。結局、奈津美は恋愛に興味がないというスタンスでいるしかないのだ。

 である以上、陽人にできることは。

「それじゃあ、面倒かけた穴埋めしなきゃね。内緒の京都旅行で行きたいところはあった?」

「ほんとに行けるの!?」

「一応、予約は取れたよ。今回泊まったホテルじゃなくて、旅館だけどね。貸切風呂もあるらしいよ」

「先生、大好き!」

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