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宿痾2

 夜だというのに明るいくらいのそこは、どこまで歩いても木が立ち並ぶばかりで人も動物も見掛けない。しんと静まりかえる中で響くのは僕の足音だけだ。


 独り、夜の闇の中どこか暖かな星の光に包まれ歩いていると何処か奇妙な夢の中にいるような気になってくる。

 ふと気付けば、木々の枝葉を縫うように蝶が舞っている。二匹の蝶は絡み合うように、その青く美しい翅に星の光をきらきらと反射させていた。

 その光景はただのそれだけで神秘的に思わせる迫力のようなものがある。


 そういえば、胡蝶の夢と言ったか。

 全ては蝶の夢に過ぎないのだという。

 確かにこの状況を思えば、成る程と思えてしまうよな。生きているだの死んでいるだの、そんなことは関係なくて全てはそこを舞う蝶の夢かもしれない。

 とすれば、あの蝶が目覚めれば僕は泡となって消えるのだろう。

 そうして、夢の世界は消え、或いは蝶にとっての夢が始まる。此方にとっての夢の中に僕という奴は存在しているのだろうか。答えなんて何もないんだろうなぁ。否定すれば答えのない堂々巡りの問いかけが始まるだけだろう。


 そんなことを漠然と抱きながら歩く僕の前を導くように飛ぶ蝶達を、僕はいつの間にか追いかけていたようだった。

 目で追い、足で追ううちに緩やかに勾配が増し、上へと登っていることに気付いた。が、行くあてなど無いのだからと、蝶達に連れられるまま進んでいけば拓けた場所へ出た。

 どうにも突き出た崖になっているらしく、木々はその先まで生えていないようだ。飄々と風鳴りがするその広間の中央、見たこともない白い花が一面に咲き誇っていた。それを囲うように、何かから保護するように膝丈ほどの石の列柱が地面に刺さっている。


 これは、何の花だろう。

 月下美人に良く似ているように見える。だとしたら食べれると聞いたことがあるけど、花弁を生食するのは大丈夫なんだろうか? 流石にもっと切羽詰まった状況にならないと試したくはない。

 それよりもあの並んだ石。近くに人里か何かあるんだろうか。踏みならされた道が近くにあればそれを辿ることが人に会う足がかりになるだろう。仮にここがあの世だとか、そういったものではなかったとしても、言葉が通じるかどうかなど不安は多いけれど。


 遠巻きに花園を眺めていると、急に視界が青で埋め尽くされた。

 沢山の青い蝶が羽ばたいたのだ。

 数え切れないほどの翅が、鱗粉が月光に晒された。

 細やかな鱗粉は一瞬霧のように舞いあがり、噎せ返るような花の、或いは鱗粉の香に当てられて目を瞑る。

 僕が目を明けた頃には一匹の蝶も見当たらず、清浄な空気が吹き込んだ。

 青い濃霧はあれほど煌びやかだったのに、鱗粉で染められた月下美人の如き白い花は青みがかっている。

 どこか陰鬱な見た目だと、僕は目を逸らした。


 これからどうしようか、と考えあぐねる間も無く地表を洗い流すように激しい雨が降り出した。

 唐突としか言いようがなかった。

 遠くまで見渡せた星明かりの空も雲に隠され、視界が奪われたようだ。

 あの綺麗な蝶達はこれから逃れるために飛び立ったのだろう。

 大粒の雨はやたら冷たく一滴当たるごとに体力が奪われていくのが感じられるほどのもので、木々の合間に避難するも、枝葉など御構い無しに地表へと降り注いでくる。そうなれば、必然僕の体は雨に打ち据えられるわけで。気付けば堪らずに走り出しかけていた。


 人が近くにいるなら、とにかくそこを目指すほかないぞ。こんな雨が突発的に降るような地域なら、村落があるなら雨風ぐらい凌げるはずだ……。


 そうして、広場を囲うような木々の縁を歩けば、否応もなく気付くことになった。

 この雨は獣道さえ洗い流すのだ。泥濘んだような場所についた僕の足跡も雨が踏み鳴らし無かったことにしていくのだ。もしかすると、この一帯独自の気候は獣でさえ遠巻きにするもので、森に生きているのは蝶だけなのかも知れない。


 蝶しか生きれない森だとしたら、僕のような現代日本につい先ほどまで居た少年が生きていける道理などあるはずもない。


 雨風を凌げる、どこか。


 駆け出そうとして、濃い甘い香りが立ち上っていることに気付いた。それは直ぐ後ろから香るもので、思わず振り返ってしまうほど甘美で蠱惑的な味があった。

 見れば、それは花から立ち上っているものだった。燃え立つような上気さえ感じ、気付けばその中心に惹きつけられていた。


 雨に打たれる度、花から青い鱗粉と共に粉のようなものが舞い上がりそれが香っているようだ。口に入れれば天上のエールが如き芳醇さを味わうことが出来る。そんな感情がふつふつと湧き上がる。


 甘露とはこれの為の言葉に違いない。なんて、なんて美しいんだろう! 僕はこれを食べたい、飽くまで体で味わいたい。


 昏い感情が駆り立てていた。半ば走るように雨に打たれながら美の極致とでも言うべき花園へ向かう。余りにも濃厚な蜜の香りに茫洋とし、夢遊病にでもなったようだ。


 ふらふらとした足を泥濘に取られ、突っ伏すように倒れると、ついた手足が青と白に彩られていることに気付いた。

 手を伸ばせば届きそうなほどの位置に石の列柱があり、その隙間から流れ出たそれは青と白で混ざり合うことなく流れ、地面を染め上げているのだ。


 手に痺れを感じ、膝から下もまた痺れ動かない。立ち上がることも、痺れた手で体を支えることも出来ずに、地面に倒れこんだ。


 雨に塗られた、青と白はどこか死体を連想させ、見上げるように見た花弁は死に顔のような生々しさがあった。雨に揺られ前後する様は恐ろしく不気味で、嘲笑うようだった。


 体中が痺れ、脳の奥から何か信号が発されるが、意識は鈍くどんどんと遠のいていった。

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