来訪5
視界が暗澹とした黒に塗り潰されていく。
どこか奥行きのあるような濃淡のある黒は、子供の頃見た押入れの暗がりや夜半の天井の隅を思わせ、言いようのない不安のような恐怖を感じさせるものだ。
それは何処かに引き寄せるように、確かな意思と狂信的な執着を持って纏わり付いてくる。
それに包まれるにつれ全身を支配せんと猛威を振るっていた吐き気と鈍痛は引いていき、頭が少しずつ晴れていく。
唐突に、意識が覚醒した。自我の発露といっていいほどの、ゆったりとしていながら苛烈さを伴う心の目覚め。
僕は揺蕩っていた。黒い海の様な畝りの中に。
これは、何だろう。
それもそうだ。
体がない。
感覚もない。
何もない。
なら、ここにある僕は何だろう。
黒々とした澱みに漂うのは僕という自我だけだ。
自我などというそれさえも危うい。
何とは無しにそこに居ると錯覚した闇の一部に過ぎないとさえ思える。
死んだのか、僕は。走馬灯ってやつを見たかったなぁ。そんな独りごちに返すものもなく、そもそも言葉となって出たのかも分からない。存在さえあやふやなのだ。それもそうだろうと思うと笑えてくる。
それにしても、何にもない。真っ暗で、僕だけがここに居るのだろうか。それに何にもないというのは僕の心を表しているようだ。もしかすると本当にここは僕の心で、そこにある僕というのは魂だろうか。入れ子式みたいで、ちょっと面白いかもな。それにしても、なんてここは寒いんだろう!
思えば僕というやつは生きていて、何もしていなかった。
死に囚われて、虚ろな少年だったように思える。中学校になるまで、誰もが母を揶揄し嘲笑し哄笑を撒き散らすような錯覚を持つことがあった。被害妄想の塊だぞこれは、僕の精神というやつは随分と脆弱だな。部屋に打ち捨てられ、衰弱し唯一の肉親は僕を捨てていった母は何を信じて居たんだろう。実の子を殺しかねない暴挙に見合うものを死の中で得れたのだろうか。
そして今、この残り滓の意識の消滅に僕は何を得るのだろう。
気付けば死出の旅路へと誘うように纏わりつく黒いぬめりは僕を押し流すように着実な強さをもって流れていた。僕の意思など御構い無しだったが、僕も僕でどうでもいい面倒ごとのように感じていた。
それにしても、死んでまで母のことを思い描くなんて最低だ。あの人がもっとしっかりして、ただ普通の母でさえあれば僕はもっと自然に生きてこれたはずだろ。こんなことで死ぬなんて本当にクソだ。なんで、こんなに寒いんだよ。ふざけるなよ、僕はもっと生きたかった!
自分の内から、肋がぐわっと開き、裏返るような気持ちの悪い感覚があった。内と外が間髪入れずに入れ替わり反転し、成形するように全身に圧が掛かっていく。咀嚼するような気味の悪い音を幻聴し、嗚咽さえ漏らす暇のないもので。
一遍に汗が吹き出すほどの激しい苦しさを伴って、僕の意識は再び砕けるように霧散した。