来訪3
憤懣やるかたない感情をそのままに校舎を出た頃には、抱いていた侮蔑とも怒りともつかない暗い感情もすっかり鳴りを潜めていた。この程度で薄くなる感情ならば最初から無くていいのに、そうはならない感情はただ扱いにくく思えてくる。
四時半ば、校庭からは部活動に励む声が聞こえる。遠くから漏れ出る旋律は吹奏楽部だ。仲間たちとの切磋琢磨。自分自身の打ち立てた記録を打ち破ろうと挑むその姿勢は、その気勢だけで眩しく思える。
活気に満ちた雰囲気の只中で、校舎の前に僕だけが取り残されたような気持ちになる。
まるで生きるべき場所がここじゃないと言われた気がして。それが身勝手な思い込みに他ならないのは百も承知ではあるが、それでも生きるべきではなかったのではないか? そんな疑念を今まで何度手に取ったろう。
やたらと出たがりな溜め息に頭を掻く。随分と今日の僕は不安定のようだ。
どうにもならない思考の流れがが疎ましい。
この後の用事なのだろうとは思うのだ。
そんなつもりは無いのだけど、酷く気乗りがしない。恐らく誰よりも僕にとって大事な用事。今日は、叔母とトランクルームに行く約束をしているのだ。僕と母の荷物。冷蔵庫や家具は既に処分してあり、そこまで多くの物は残っていないらしい。欠かさず書いていた母の日記など、僕が見てどうするか決めようと前から決まっていたのだが、疲弊したような心で触れたく無い、そんな思いがある。
叔母には申し訳ないけど今日は辞めておこうと伝えるべく携帯を取り出すと、メールが来ているのに気付いた。
『ごめんね、遅れます。創汰のほうが早く着くと思うので管理会社には連絡してあります。学生証を提示して欲しくれれば大丈夫とのことです。』
どうにも今日は、調子も運も悪いらしい。
今から断りの連絡を入れれば叔母にも管理会社にも迷惑が掛かる。
既に話が通っているのなら仕方がないか、後回しにするようなことでもない。
あれからもう時間は大分経った。今日、行くべきだったということだろう。後回しにしたってその時にもまた、理由をつけるのは目に見えている。
少しでも乗り越えていかないと、せめてそう思いながら歩き出した。
学校からその場所は比較的近く、帰りに乗るバスにいつもより長く揺られて居ればいいので、特別大変ということはない。場所もだいたい把握しているし、いざとなれば携帯もあるのだし迷うこともないだろう。
少しだけ重い足に、自分が緊張をしていることにはたと気付く。
どう心を取り繕おうとしても言うことは聞いてくれず肯定するように鼓動が強く波打った。
バス停に着けば特に待つこともなくやって来たバスに乗り込み、一番前の座席に腰を落ち着ける。乗客はあまり多くない。誰しもが携帯や本、外を眺めている。
機械的な音ともに開閉するドアのほか、バスの稼働音だけが辺りを支配する。
手持ち無沙汰な僕もまた例に倣ってぼんやりと風景を眺めた。
流れていく風景は何処か現実味に欠け、空虚に感じる。曇り空の映る灰色の町並みは、僕の感情を表しているようだった。もし、バスから降りて流れていった風景を探しに行ったら、そこには何もないハリボテのような街並みが広がっていそうで、窓にうっすらと映る僕は皮肉げに口を歪めていた。
そんなことを考えているとふと、借りることになった本を思い出したので取り出した。
「とつくにのサーカス、ね。知らない作者だ」
マット加工とでも言うのだろうか、変わった加工の施された表紙には少年が犬を連れ奥へ歩き出そうとしている風だ。奥を向く少年の表情は読めないが、寄りそうようにしている犬と共に冒険するようなものだろうか。
裏表紙を見るがハードカバーというのもあり、あらすじなどは書いておらず、文庫本ならなぁと独りごちしつつも、ぱらぱらとする。
どうせ、適当に引っつかんだ本だ。
万が一に面白そうだったらちゃんと読めばいいかと随分適当な気持ちでやっていると、変わった言い回しが独特で癖のある本だと分かった。もしかしたら図書室でのやりとりが思わぬ掘り出し物に繋がるかもしれない。最初の頁に戻り、本腰を入れて読もうというところで次が目的地ということに気付いた。
僕以外降りる人は居なかったらしく慌ててブザーを押し、本を仕舞うと直ぐに下車となる。
バス停から五分も歩けば遠目に倉庫らしき建物が見えて来た。立ち並ぶそれらは外観からではどれも同じに見える。ここのどこが叔母さんの借りたトランクルームなのだろう。
入り口まで来たもののずかずかと入るのは躊躇われた。理由はあるものの、初めて利用するのだ。勝手がいまいち分からずまごついていると、奥から紺の制服を来た男が近づいて来た。
「何か?」
胡散臭ように僕を見る男は、ここの管理員であるらしく、胸にはここの名前が刺繍されている。
学生証を取り出しながら叔母の名を口にすると、「ああ、君がそうなの」と簡単に案内してくれた。渡した学生証もろくすっぽ確認もせず返されたので些か管理体制に難があるのではと思えてしまうが、学生が来ることはまず殆どないから来たこと自体が証明といったところなのだろうか。
案内された場所は敷地の中でも随分奥まったところにあり、終わったら教えてねと管理員は何処かに行ってしまった。
僕は携帯を開き、叔母に着いた旨をメールした。すると一分もせずに返信があり仕事が終わり向かっている最中とのことだった。車で向かっているとのことで、一時間も掛からず来るだろう。
外で待っていても仕方がないと、トランクルームの中に入った。広さで言えば四畳くらいだろうか。荷物の大部分は処分したといっても、大分狭く、足の踏み場を考えれば二人も入れば手一杯だろう。
置かれた段ボールの山には僕や母の名前が貼ってあり、その持ち主の物はこの中と主張している。小学生の時分だったのもあり、僕の荷物は段ボール一箱ほどしかないようだ。
「母さんの持ち物、か」
僕は手前に積まれた母の荷物が入った段ボールを開けた。