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乙女ゲームのイケメンに憑依してしまった「彼」の悩み事  作者: 遠出八千代
乙女ゲームのイケメンに憑依してしまった「彼」の悩み事
3/11

後編




 外はすっかり日が暮れて、薄暗い夜の明るさが出てきていた。


 校舎には学生はおらず、俺とエリザさん二人だけになっているのかもしれない。

 廊下には、床を鳴らす俺たちの上履きが出す音だけが響いていた。

 二人だけの世界に尋ねてしまったような気分だ。


 エリザさんはある場所に向かうといって、その足を校内の奥深くに進めていく。俺は黙って彼女の後ろについていくことしかできなかった。



「……ここでいいわね」

「どうしたの?こんなところで立ち止まって」


 エリザさんは廊下を進み階段を登っていたら、不意に踊り場で立ち止まった。そこから一歩も進まないところを見ると、どうやらここが目的地らしい。

 どこに連れて行かれるのかと不安だったのだが、何も変哲もない校内の一区画であった。

 俺もそれがわかって安堵の息を漏らした。


「……ねぇ。この場所に覚えはない?」


 エリザさんがなぜそんなことを言い出したのかは分からなかったが、かなり思いつめての発言のようだ。俺を見つめる紫色の瞳が揺れている。一方の俺は、いつばれたのかという疑問ばかりが頭に浮かび、手は汗で嫌にべたついていた。


「いや、ないよ」

「……そう。さっきの話だけどね、貴方があの人じゃないことはすぐにわかったわ。たとえ記憶がなくても、子供のころからクラウディンが私を助けたことなんてなかったもの」


 だから確信できたと、彼女は言葉を付け足す。 


「そんなこと、ないと思うけど」

「ありがとう。でも、私は彼のことをずっと見てきた。だからわかることもあるのよ」

「……そうだったんだね。ごめんね、騙すつもりはなかったんだけど」


「分かってる。貴方を責めるつもりなんてないわ。なんでわかるのかって顔をしているわね……だってクラウディンがこうなったのは私のせいだからなのよ」


 彼女は階段の手摺に触れながら、遠い目をして、窓の外の景色を見た。



「二ヶ月前にね、ここで彼から婚約を破棄してくれって言われたわ」



 エリザさんの表情は見えなかった。ずっと遠くの景色のその先を見ているように思えた。

 

「この階段の踊り場で彼に言われたの。お前みたいな傲慢な女には嫌気が差したって。それで私たち今日みたいな口論になってしまったの。お互い熱くなっていたんでしょうね。彼ね、話の最中に階段から足を踏み外して床に落ちたのよ」

「そんなことが……」

 

「急いで、私は彼を保険室に運んだわ……でも、きっと朝になったら彼は私に突き落とされたと言って私たちの婚約は解消になる。絶好のいい機会だったでしょ?それだけじゃない。私はきっとこの学園から去ることになる。その日家に帰って、明日学校に行くのが憂鬱だった。貴方の顔を見るのが怖かった」


 彼女は俯いて、呟くように言葉を続けた。


「でも、翌日学校に行ってみたら……彼は貴方になっていたの。今まで、言い出すのが怖くて聞けなかった。最低よね、私」

 すると突然、横顔の彼女は自分の縦ロールをかきあげた。どうしてそんなことを今するのか理由は分からない。


「ねぇ、この髪型私に、似合わないでしょ?」

「そんなことないと思うけどね……」

「無理しなくてもいいわよ。自分が一番分かってるんだから」

「……参ったね、そんな風に言われちゃあ」

「子供のときにね、一度だけ彼が私の髪型を褒めてくれたことがあったの。これセットするのに毎朝1時間かかるのよ。バカよね私。でもそれだけが彼とのつながりだった…いつか振りむいてくれる。そう思ってた」


 エリザさんは自身を嘲笑するように、鼻で笑う。乾いた、冷めた微笑だった。

 正直見ていられなかった。


「貴方のことずっと好きだったのに!!一度も貴方は私に振り向いてくれなかった!なのに……なんで、どうして――」

「……もう無理しなくていいから」


 俺は彼女を抱きしめた。

 エリザさんは肩を震わせすすり泣き、その頬に涙が伝っていく。俺は彼女が泣き止むまで、ずっとそうしていた。


 なんて言葉をかければ正解なのか。俺にはわからなかった。


 こういう時、かっこいいヒーローなら彼女を慰める言葉の一つくらい思い浮かぶかもしれないだろう。


 けど、俺にはさっぱり妙案は降ってこなかった。


 だから。俺は自分の考えていることを正直に伝えることにした。

 俺は彼女から距離を置き、彼女の暖かい手を離した。


「……やっぱりさ、エリザさんはさっきの言葉、直接彼に伝えたほうがいいよ。じゃないと、やっぱりいけない気がする」


「……どうしたの急に」

「そのさ、やっぱり人の気持ちはちゃんと伝えないと分からないでしょ?多分だけど、2ヶ月前の階段前の踊り場で話した時、エリザさんたち二人はきっと喧嘩みたいな感じだったんじゃないかな?」


 無言で頷く彼女に、俺は言葉を続けた。


「だからさ、一度面と向かって、きちんとエリザさんの気持ちを伝えたほうがいいって」

「でも、それじゃあ。貴方はどうするの?」

「ま、なんとかするさ」

「でも、そんな……」

「大丈夫、それに約束するよ」


「俺は君の好きだった人じゃないけど、彼が戻るまで必ず君を守る。約束する」


 夜に差し掛かりそうな薄明かりのなかで、俺はエリザさんにそう伝えた。

 彼の代わりになるつもりなんてない。けれど、今はせめて自分の本心をどうしてもエリザさんに伝えたくなった。


 それは背伸びでもなんでもない、彼女の力になりたいという正直な気持ちだった。





 翌朝、俺は学園へと続く通学路を歩いていた。

 そして通学路を歩く学生のなかから目当ての人物たちを見つけた。


 でも、向こうの方からきっと声をかけてきただろうことは、日常的な習慣を鑑みれば、すぐに分かることだ。探す必要すらなかったかもしれない。


 だが、そうしなければならない理由があった。

 俺は『自分のバカな意地の張りよう』に苦笑しながら、彼女たちに声をかけた。


「や、君たち。おはよう!」 


「おはようございます、クラウンディン様!!」

 俺が声をかけたのは、昨日、俺に真っ先に挨拶してきた三人組の女学生だ。

 ふだん、俺の方から彼女達に挨拶することはない。けれど今日彼女達に声をかけたのにはある理由があった。


「あ、あの。今日は一緒にお茶会に来てくれるんですよね?だから声をかけてくださったんですよね」

「嬉しい。クラウディン様の方から声をかけてくれるなんて」


「……誘ってくれてありがとね。その前にさ、ちょっと君達に聞きたいことがあるんだ」

「なんですか?私達クラウディン様の頼みなら何でも答えますよ?」


 そのうちの一人が、人の目もはばからず、手を握ってきた。可愛らしくて、まるで俺の支えになってくれるというような発言だった。


「――エルザさんのこと、コハナちゃんたちに色々吹き込んだの君達だよね」


 俺は彼女達の目を見据え、そう尋ねた。


 昨日、コハナちゃんは、誰かから俺がエルザさんに付きまとわれていることを迷惑に思っている、そういう話を聞いたと言っていた。


 では、誰からそんな酷い嘘を聞いたのだろうか? 

 決まっている。

 そんな話を流す相手は、普段エリザさんを目の敵にして、なおかつクラウディンを好きな人物だ。


 そしてまず、コハナちゃんたちが嘘をついてエリザさんを陥れようした可能性も考えた。


 昨日あんないざこざを起こしたばかりだ、彼らを犯人だと思いたくもなるのもあった。


 だけど、そうじゃないと俺はにらんでいた。


 なぜなら彼らは、少なくとも嘘の噂を自分達で流すような卑怯なやつらではないからだ。そんなことをするくらいなら直接エリザさんに昨日みたいに言うだろう。


 だから、昨日のあれも彼らなりの親切だったのだろう……

 ちょっとどうかと思うし、まずは俺に確認すべきところだけど。


 それに逆説的な話だけど、そんな人を陥れようなあくどい人物に、堅物のクラウディンが惚れるはずがないのだ。

 

「や、やだなぁ。なんの話ですか?そんな証拠もないのに…」

「…確かに証拠がないのは事実だよ。まぁ、それもコハナちゃんたちに確認するまでだけどね」

「そ、それは…」


 ――ひっかけや、誘導尋問する必要すらない。

 彼女たちは一様に、目を泳がせ、口ごもったり、今にも倒れそうに顔を青くする子すらいた。


「エリザさんは俺の婚約者なんだ。それ以上に俺にとって大切な人だ。だからこういうことは今後はやめてくれ」

「で、でも!!」

「…俺も高位貴族なんだ。それの意味が分かるよね?……今度本当にエリザさんに何かしたら俺はきっと君達を許せない」


 俺の言葉に泣きだす子すらいた……だったら、エリザさんの噂を流すなんて最初からしないでほしかった。きっと最初は出来心だったのだろうことは、彼女達のこの反応を見たらなんとなく分かった。俺のほうが悪いことでもしているような気分になってきた。


「脅かすようなこといってごめんね。それじゃ」


 ……これだけ脅したんだ。


 後はなにも起きないだろうことを願うことにした。


 本当は、外野の俺にこんなことをいう資格はないのは、一番分かっている。だけど、言わなくちゃいけないと思った。それは彼女を守るといった俺の使命だ。


 だけど、今は自分を殴りつけたいような最低の気分だった。

 俺は彼女たちから逃げるように、その場を離れた。





「おはよ。なに?元気ないじゃない貴方」


 肩を落として教室の前にたどり着いた俺は、後ろから女性に声をかけられた。

 振り向くと、アメジスト色の綺麗な髪と目、端正な顔。高飛車な口調。

 よく知る人物だが、その髪型に見覚えは断じてない。


「…えっと、エリザさん。髪切った?」


 その女性はエリザさんだった。

 最初に彼女だと分からなかったのも無理はない。

 エリザさんの自慢の縦ロールは、いまや見る影もない肩ぐらいの長さのショートボブになっていた。


 前も綺麗だったけど、今は髪型が似合うこともあいまって凄い美人に見える。

 女の子って髪型でこんなに変わるのか。そういえば高校でも、夏休み明けに彼氏が出来て美人になっている女子がいたけど…これもそうなのか?


「よかったの?あんなに長くて綺麗だったのに?」

「…うん、もういいの。私も吹っ切れたから。貴方のおかげでね」


 俺の問いに、彼女はさわやかな顔で答えた。確かに吹っ切れたように見える。この二ヶ月始めてみたぐっとくる笑顔だった。

 ……あ、これはやばいかもしれない。彼女の笑顔にドキドキしている俺がいる。


「それに何かあったら貴方が私のこと守ってくれるから心配ないんでしょ?」

「まぁね、約束したからには」

「そ、じゃあ期待してるわよ。王子様」


 エリザさんは俺の隣を通って、自分の机に向かっていく。俺はその後ろ姿を見守っていた。

 彼女が席に着くと、様子を見ていたクラスメートも彼女の周りに群がる。皆質問攻めを始めたのだ。内容は失恋でもしたのかという類のものだ。なんて失礼な。クラウディンは昨日、彼女を失望させるようなことは何一つしていないぞ。


「ほら、クラウディン。貴方もそんなとこに突っ立ってないで、授業受けましょうよ。楽しい一日の始まりよ?」


 彼女は俺の気も知らずに誘ってくる。

 ……全く。君のおかげで、さっきまで凄い落ち込んでいたというのに、おかげで気分が台無しだ。

 俺はエリザさんの言葉に従うことにした。


「なぁなぁ、エリザ嬢凄い可愛くなってないか?」

「ああ、俺、告白しちゃおうかな」


 そんな同級生の声も聞こえてきたが、無視して彼女の隣の席に座った。ちなみに、俺とエリザさんは婚約者ということもあり教師、というかエリザさんのお父さんの理事長が融通を利かせてくれたのだ。


「これから、よろしくね」

 彼女は頬杖をついて、こちらを見ながらそう微笑んできた。



 ……そんなこんなで、クラウディンの体を間借りしている俺には、悩み事が二つほど出来てしまった。

 まぁ、悩みと言ってもささいなものだ。


 まず一つは、今更ながらこの体をクラウディンに返すのが惜しくなったという悩み。


 そしてもう一つは、エリザさんが彼に惚れている。というのが、なんというか、なんか嫌だなぁというよくわからない気持ちである。


 別に嫉妬とかじゃない。俺はそんな悶々とした気持ちを感じながら鞄の中から教科書を取り出した。


   



「……りょーかいですよ。お姫様」

 そして彼女の横顔に、そう答えた。









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