前編
クラウディン=ヒュンゲスの朝食は、今日も豪勢だった。
一杯の紅茶と白パン、それからスクランブルエッグとパセリを乗せたリエーブルの煮込みだ。バロック調のイスに俺は座り、ナイフとフォークを両手に、優雅にリエーブルを切り分けて口に運ぶ。
現代日本では朝食はパン一枚ばっかりだった。
それを考えると、「彼」が貴族なのを差し引いても、この差は虚しくなって思えてくる。
朝食をようやく食べ終えた俺はナプキンで口をぬぐい、給仕に空っぽの皿を下げるようにお願いする。そしてキッチンメイドの人には悪いけど若干胃もたれもしつつ、住んでいる豪邸を出た。
キャリッジの馬車で貴族達が通う魔法学院に向かうためだ。
馬車の中で、俺はいかにも高級そうな鞄を抱えながら祈った。本日も無事にクラウディン=ヒュンゲスとしての日常生活を送れるようにと。
というのも、実は俺はヒュンゲス公爵の息子、クラウディン=ヒュンゲス本人じゃない。
一応本人ではある。肉体は彼自身なわけだし。
残念ながら俺は、クラウディンに取り付いた幽霊みたいな存在だった。
この意識が目覚めたのは、つい2ヶ月も前だ。2ヶ月前に、俺の体の主であるクラウディンは何らかの拍子に階段から落ちた。不幸なことにその時頭をゴンとぶつけてしまったらしい。
次に目覚めたのは学園の保健室だった。その時にはもう俺の意識だった。起きたときの頭の痛さに悶絶してしまったことは、今でもよく覚えている。
元々俺はただの日本の高校生だった。
普通の高校生活をエンジョイしていたある日のことだ。
川で溺れる子供を見かけ助けるために川に飛び込んだ。なんとか子供を助けられたまではよかった。けど代わり川に流されてしまい、その後のことはよく覚えていない。
俺がつぎに眼が覚めたときは、つまり彼、クラウディン=ヒュンゲスになっていたからだ。
彼の体に乗り移った際、こちらの異世界のことは何一つ知らず、しかも俺にはクラウディンとして生活してきた記憶も一切なかった。
幸い語学と筆記はなんとか身に染みており、俺は周囲の人に『頭をぶつけた拍子に記憶喪失になってしまった』と伝え、なんとか彼の真似事をして学園生活を送っていた。幸いクラウディンは同い年くらいの学生だったことも理由の一つだ。
ただ、2つの問題事項を除けば、の話だけど……
◇
俺が通っている学園は、国が管理する一流の魔法学園だ。
貴族や成り上がりの金持ちの子供しか通えないような伝統校で、施設はもともと国の東に住む貴族の城を学園に改造したものだ。あたり数百メートルはこの学園の敷地で、敷地内には城の面影が残っており、サロンに浴室、書庫、絵画を展示するギャラリールームは備付けられたままだったりする。
俺が今現在歩いている、通学路の脇の庭園もそうだった。
一流の庭師たちが整えた美しい庭園で、昼食時はそこでランチをとるのが風習となっている。
通学路を歩く学園の生徒達は、前世が庶民だった俺とは違い、オーラが違うというか皆気品に満ち足りた表情をしている。
そのなかから一人のクラスメートの男子を見つけ、俺は歩み寄って挨拶した。
「や、君。おはよう!」
「クラウディン……さん。お。おはようございます。僕もう行きますんで」
「あ、ちょっと、そんな無視しなくても……まいったなぁ」
ただちょっとの挨拶と少しばかしの会話をしたかっただけなのに。
彼は俺の姿を一目見て、生返事をして早歩きでスゴスゴと学園に向かっていく。去っていく彼の後姿を、俺は黒髪をかいて見送ることしか出来なかった。
「クラウディン様おはようございますわ!」
「クラウディン様ー!」
「ああ。3人ともおはよう!」
俺が途方に暮れていると、続けざまに3人組の女生徒達が声をかけてきた。
彼女たちは毎朝挨拶してくる、クラスも違う生徒達だ。
過去にクラスメートだったとかの接点もなく、いうなればクラウディンファンクラブの方々だ。
「私挨拶しちゃったよー!!」とかの彼女達の声援が俺の言葉を遮って、彼女達には申し訳ないけど、さながらファンに群がられるアイドルみたいな気分になっていた。周りの人間達も騒ぎ立てる俺の方に視線を向けてくる。彼女達にチヤホヤされる俺を舐め回すような視線だ。
……さて、これがクラウディンの問題事項その一である。
クラウディンは有名人だった。
それはもちろんいい悪いを含めた評価だ。
彼は公爵の息子であることを鼻にかけて、色々とクラスメートたちに尊大な態度を取っていたらしい。
案の定周りの人間からの印象は様々だ。だいたい男子生徒からはああいった微妙な反応(関わりたがらない様な)が返ってくる。逆に女生徒からは黄色い声援ばかりだ。
人気の秘訣は、大貴族であることと、クラウディンの容姿が大変整っていることが関係している、と思われる。10人の人が通りかかれば10人は彼の美男ぶりに振り返るであろうイケメンで、男の俺でも鏡カッコイイなと思う男だ。
しかも厭味も多いが、クールでそこがまた女性に人気らしいのだが……クラウディン自身はこれまで女性になびいたそぶりもなく、自身の婚約者ともあまり仲がよくなかった。
「あの、今日の放課後、私達3人と一緒に遊びませんか?庭園でお茶会を開く予定なんですよ」
俺を囲んでいた女学生の一人がそういうと、矢継ぎ早に残る二人が加勢してきた。
「そうそう。クラウディン様もどうですか?」
「ねぇ、いいじゃないですか?」
前に進もうにも、彼女たちの一人が俺の腕を握ってきて、身動きが取れないでいた。正直困っていた。女の子に腕を掴まれるなんて、嬉しい悩みだ。だが、振り払うわけにもいかない。
俺が宿る前のクラウディンなら、彼女達を引っぺがして「邪魔だ!!」とか一喝していたのかもしれないが。どうも皆の話を統合すると、クラウディンはそういうことをしちゃう系の男子みたいだった。
「あ、えーと今日はむずかしいかな…」
俺は笑顔を作って彼女達に受け答えした。事実、放課後に予定が入っているのは嘘ではない。
俺には色々やらなければいけないことがあるのだ。
「えーいいじゃないですか。一緒に行きましょうよ」
「そうですよ。そうですよ」
それでもなお、彼女達はしつこく食い下がってきた。
なんて答えればこの場を脱出できるのか…と考えていたら、すぐに事態は解決した。
俺の目の前に、彼女が現れたからだ。
そう、俺の婚約者である彼女だ。
「先生方から婚約者のいる男性に言い寄るマナーを教えられた憶えはないけど、令嬢である貴方がたはこれまで何を勉強してきたのかしらね」
「……エリザ様」
エリザと呼ばれた彼女は、俺たちの目の前に立ちはだかる。
皆の視線が向かってなお、彼女はそれでも物怖じせずにいた。
扇子で口元を隠し、気品ある態度を卒なくとる。
ちなみに公爵令嬢であるエリザさんは、この学園を経営する理事長の娘でもあり、俺の子供のころからの婚約者でもある。
理事長の娘であることをいいことに、周りには尊大な態度を取っていり色々とわがままし放題。高位貴族であることを鼻にかける嫌われ者。らしいのだが、最近はなりを潜めているというのが皆の評価だ。
だが皆が言うほど彼女が嫌われ者だという実感が俺には湧いていない。
俺は、なりを潜めたあとの彼女のしか俺は知らないかったし、彼女はいつも厳しい態度を取るが、今みたいに俺のことを影から助けてくれることの方が多い。それに時折、クラウディンに向けて、何というか複雑な表情をしていて、一定以上俺に近寄ることはなかった。
「何をぼさっとしているの。貴方達も早く行きなさいな、授業に遅れるのではなくて?」
「あの、私達所用を思い出しましたので……クラウディン様、それでは!」
エリザさんの一睨は、先程の彼女達はすぐさま去らせる効果があったようだ。
俺を囲んでいた3人組みの令嬢は、すぐさま学園に向かっていった。
「――なによ、落ち目のくせして」
去り際にそんな声が聞こえた気がした。
「貴方も気をつけなさいクラウディン」
「あ、えーと。俺も?」
「そうよ。婚約者がいるのに、他の女性と親しげにするなんてずいぶん大層なご身分なことね」
あからさまに鋭い目つきのアメジスト色の瞳を向けてくる。瞳と同じ紫色の髪の毛をかき分けると、彼女の綺麗な長い縦ロール(よく漫画とかで出てきそうなやつだ)も一緒に揺れた。
もうちょっと表情が和らぐと可愛いのにと思いつつ、俺は彼女に頭を下げた。
「ごめんね、エリザさん」
「……別に、気にしてないわよ。気にしてないのは本当だから」
言い終わるや否や、彼女も俺を置いて学園に向かっていく。
去り際の彼女の一瞬、彼女は顔をゆがめ表情は苦悶に満ちたものに変わっていた、ように見えた……俺何かしたかな?もしかしたらまた俺の気のせいかも知れないけど。何せ彼女は俺と会話するとき、ふとした瞬間にあんな感じの表情に変化する。
彼女とクラウディンの間に何があったのかは俺は知らないし、知るべきじゃないのだろうけど。
やっぱり胸にモヤモヤするものを感じたのは確かだった。
カーン、カーン、カーン。
「……あ、そろそろ行かないと授業に遅れちゃうな」
俺が通学路で立ち止まっていると、時計塔の鐘の甲高い音がの予鈴が響いた。
どうも、さきほどの一連のやり取りでかなり時間を食っていたらしい。
俺が歩みを再開しようと校舎の方を向いたとき、またも声をかけられることになる。
「大丈夫だったかクラウ!!」
「クラウ君、おはよう。心配したよ」
「おはようございます……クラウディン先輩」
この声の方々には、心当たりがある。
振り返ると、案の定彼らだった。
一人の男が俺の目の前に走りよってきた。それを眺めてる一人の女性と両隣に二人の男子。
三人とも性格も、学年も、容姿も違うバリエーション豊かなイケメンたちだ。
「クラウさん、おはようございます」
そして唯一の女の子、コハナちゃんがそのつぶらな瞳を俺に向けて、華麗なカーテシーを繰り広げる。
「やぁ、コハナちゃん。それに皆もおはよう」
コハナという、いかにも日本人風の名前のこの女の子はグループの中心人物で、学園で最も話題性に飛んでいる女性だった。
彼女は、このエリートしか通えないはずの学園に入学した唯一の庶民だ。
貴族でも金持ちの商人の子供でもないが、天才的なある魔法の才能を持っており、特別に学園への入学を許可された。
平均的な女の子だと自称しているが、そんなことはない。頭もよく魔法学だけでなく筆記も成績も常に上位。目立つような顔立ちはしてないけど、可愛らしくていろんな人からひそかな人気を集めている。
だけど彼女が男達に言い寄られることはない。
彼女には様々なイケメンが集っているからだ。それがこの取り巻き三人組である。
たとえば、今コハナちゃんと一緒にいる熱血漢の騎士団長の息子。ちょっとお茶らけたところのある教皇の息子。そしてコハナちゃん以上に魔法の天才と称されるどこか陰のある後輩君。
皆彼女を慕っている。
…そしてクラウディンの問題事項その2は、コハナちゃんの取り巻きの一員だったことにある。
どうも俺がクラウディンに乗り移る前は、三人組同様、彼女に首ったけだったらしい。今まで女性に全く靡かなかったクラウディンが彼女だけには心を開き、よく彼女らと行動を共にしていた。
婚約者のエリザさんをないがしろにして。
「エリザさんに何かされませんでしたか?」
俺に歩み寄ったコハナちゃんは目に涙をためてそう語りかけてきた。
「まさか。むしろ彼女に助けられたよ。女の子に囲まれちゃってね、学校に行けなかったんだ」
「女に囲まれるなんていつもの事だろう、クラウ。記憶が戻ってないとはいえ、前みたいに適当に怒鳴りつけてやればいいものを」
コハナちゃんの隣に立つ騎士団長の息子フィンが前に出て、鼻をならした。
彼は荒っぽいが剣の腕は一流の男だ。俺がクラウに乗り移る前だったら、剣の腕は互角だったらしいけど、残念ながら俺が乗り移った後じゃあ、勝ち目は全然ないだろう。
「……そうかい」
「彼女には気をつけてくださいクラウさん。彼女は何をしてくるかわかりませんから」
「……まぁ、検討はしておくよ。コハナちゃん」
とりあえずコハナちゃんの言葉にとりあえず適当にお茶を濁す。
どうも、コハナちゃんご一行はエリザさんに悪い印象を持っているようだ。
犬猿の仲というか、まぁ、楽しく談笑する雰囲気ではないことはすぐに判断がつくけど。毎度毎度何かしらのいざこざを起こしていた。いつも数人でいるコハナちゃんに比べ、最近は取り巻きもつけずエリザさんは一人でいることが多く、分が悪い。
「そうだクラウ。今日は僕たちのお茶会に、観念して出てきてくれる気にはなったかい?」
コハナちゃんの隣に立ついつも飄々としている教皇の息子は愛想よく俺に訪ねてきた。
「悪い。今日も図書館で勉強しないといけないんだよ」
彼らのいうお茶会とは、先程の女の子が誘ってくれたものとは全く別のものだ。
参加するのは学園のトップのエリートたちばかりで、そのなかにはコハナちゃんたちも加わっている。
本来、学園に通うエリート貴族や王族しか参加できないお茶会らしいのだが、クラウディンがコハナちゃんが参加できるように、色々圧力をかけたみたいだった。
ただ、そんな特別な人間が参加するお茶会といっても、貴族同士の情報交換などをするのではなく、ただの井戸端会議みたいなものだ。
一度参加したが、どうにも息苦しくてしょうがなかった。いつも誰々がどんな話をしていたのかとか人の噂話ばかりするのだ。俺はなんというか、そういうのがちょっと苦手で、その一度目の参加からお茶会には理由をつけて参加しなかった。
「最近付き合い悪くなったな、クラウ」
「ああ、頭をぶつけてから変になったのかもな。そういうわけだから、お茶会はまた今度誘ってくれ」
俺はフィンの言葉に軽口を叩きつつ、曖昧な態度を取る。
それに図書室で勉強というのも、嘘ではない。
俺はここ毎日放課後になったら、図書室に行ってある調べ物をしている。
調べ物と言うのは、クラウディンに肉体を返す方法だ。
彼には本当に申し訳ないと思っているし、いつかは元の持ち主に体をもどしてやるのが筋だと俺は考えている。とはいえ体を返した後でも、俺自身もちろん死ぬつもりはない。幸い魔法もある世界に流れ着いたおかげか、戻る方法は色々あるみたいだった。
現在、なにかしら別の人造の肉体などを用意して、魂を移動させる方法を探している最中である。
カーン、カーン、カーン。
「やばい、時間だ。もう行かなければ」
そうこうしていると、二回目の鐘が辺りに鳴り響いた。気付けば、俺たちを除いた以外に周囲には誰もいない。
……当然だった、これは始業の合図だ。
「本当についてないな!」
「ああ、まずは早く教室に急ごうか」
「……ええ」
コハナちゃんたちは一様に慌てた様な表情をしている。
全く、こんなことになるなんて、思いもしなかったよ。
フィン達男性陣はすぐに走り出した。
「ほら、クラウさん。急ごうよ!遅れちゃう」
「ああ、そうだね」
そして、目の前のコハナちゃんの後ろをついていき、俺も急いで教室に向かうのであった。