第1話 目覚め
「わた…のリ…レメン…マス…、いとし……。…うか、……はじゆうに……ださい。」
何かすごく大切なこと、忘れてはいけないこと忘れてしまったような喪失感がある。
「オギャー オギャー」
耳元で赤子の泣き声が聞こえる。
何だよ、煩いな。そう思って目を開いて周囲をキョロキョロ見回した。
あれ?
どこかで見知った赤髪の女性が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
って言うか近いんですけど。
あっ 目が合った。
「あらあら私のかわいいゲオルグ。どうしたの?怖い夢でも見たの?よしよし、あなたにはこのエカテリーナママがついてますよ♪」
なんだって、ゲオルグって誰だよ。
エカテリーナママって何だよ。
思わず声が出た。
「マッマ〜 マッマ〜」
「あらあら ご機嫌が直ったみたいね。それともう喋れるの。えらいわ。パパにも聞かせあげなくては」
「奥方様。ご領主様は今のお時間は政務中ですが……、」
横から黒のロングメイド服を着た女性がエカテリーナに声をかけた。
「大丈夫よ、マリア。少しくらいなら。最近、根を詰め過ぎだから、きっとゲオルグの声を聞いたら気も紛れると思うの」
思い立ったエカテリーナは俺を抱き抱えてどこかに歩き始めた。
ええぇ〜。何これ。
いつの間に耳元から聞こえてた赤子の泣き声は止んでいた。認めたくないことだが、どうやら赤子は俺自身だったみたいだ。
ってやっぱり、どういうことなんだ〜
エカテリーナに抱かれて歩くこと、およそ5分。俺たちはある部屋の前まで来ていた。
「ゲオルグ。ここがあなたのパパのアドルフ・ルフェイン・ゾルゲン伯爵のお仕事場よ」
ここに至る5分間で落ち着くことができたので状況をちょっとだけ把握することができた。これは謂わゆる転生モノってヤツだろう。赤子の時が栄養・衛生面から一番危険な時期なんだろうが、伯爵家ならその辺りはクリア出来そうだ。
となれば、後はお世継ぎ争いか。まだ全然家庭内事情が分からないけど、今世のお父上に精一杯ゴマスリしておくか。
エカテリーナがドアをノックして部屋に入る。
書類で山積みとなった豪勢な机の前に黒髪の男が黙々と書類を処理していた。ふとドアから入ってきたエカテリーナに気がついたみたいだ。
「おお エカテリーナ。どうしたのだ、嬉しいそうな顔をして」
「はい、貴方。先ほど初めてゲオルグが喋りましたの」
「なんと。もう喋れるのか⁉︎」
「はい。さあゲオルグ、さっきと同じようにお母さんに向かって喋ってみて」
今世の両親から期待に満ちた目を向けられて、ちょっとだけ何故キンチョーしながら俺は声を出した。
「マッマ〜 マッマ〜」
「おお〜 確かに喋ったぞ!」
「さっ ゲオルグ。こちらが貴方のパパのアドルフよ。パパって呼んであげて」
そう言ってエカテリーナは抱き抱えていた俺をアドルフに手渡した。
「お前のパパですよ〜、パパって呼んでごらん」
イケメンスマイルが眩しい。というか、お父上って黒髪なのに瞳は青いんだな。
なんて全然別の事に気を取られていたが、そろそろ返事をすることにした。余りに早くパパって喋れるのも感動が薄い。少しくらい焦らした方が効果的だ。
俺が何の反応を示さなかったので不安な顔をし始める両親。今だな、と思い満面の笑みを浮かべて喋った。
「パッパ〜 パッパ。」
「あらあら、そんなにゲオルグはお母さんよりパパの方が好きなのかしら? 嫉妬しちゃうわ」
「おいおい、そんな事はないだろ。なぁゲオルグ」
そんなことを言いながら満更でもないようなアドルフを見て、ゲオルグは密かにガッツポーズしながらダメ押しを掛けた。
「パッパ マッマ パッパ マッマ〜」
「うんうん。ゲオルグが生まれた340年は流行り病が我が領内にも広がり、ゲオルグも一時は危うかった。それが一年も経てば、喋れるようになるのか。感慨深いモノがあるな」
そう言うアドルフの瞳には涙があった。アドルフの涙に釣られてエカテリーナも涙ぐんでいた。
「えぇ 貴方。ゲオルグ、良い子にして早く立派な大人になるのよ。そして貴方の兄上達と一緒にパパのアドルフを助けてね」
「そうだ。誰かある。今日の執務はこれまでだ。ギュスターヴとアーサーを呼んでまいれ」
2人の側仕えが急ぎ足で部屋を出て体感時間で10分後、2人の少年が部屋に入ってきた。1人は黒髪茶眼で10才くらい、もう1人は銀髪青眼で7才くらいか。
「ギュスターヴ、父上のお呼びにより参りました」
「アーサー、同じく参りました」
2人とも貴族としての礼儀作法の教育は受けているみたいだ。
「父上、如何なご用件でしょう?」
「うむ。実はゲオルグが早くも言葉を喋ったのだ!」
目を赤くしながらも満面の笑みを浮かべているアドルフを見て、少し戸惑うギュスターヴ。
一方、嬉しいそうなアーサーは
「本当ですか、父上。なんて喋ったのですか?僕も聞いてみたいです!」
「うむうむ。ワシのことをパパ、エカテリーナの事をママと呼んだのだ!エカテリーナ、ゲオルグをこちらへ」
静観していたゲオルグだったが、2人の兄にも媚びを売っておくべく笑顔を浮かべた。
「ゲオルグ、この2人がお前の兄のギュスターヴとアーサーだぞ」
そう言ってアドルフがゲオルグへ紹介し、エカテリーナが抱いていたゲオルグをギュスターヴへ抱かせた。
「ギュスターヴにいさまとアーサーにいさまだよ」とアーサーがゲオルグのほっぺをプニプニする。
「にいに〜 にいに〜」
と声を上げながら、ゲオルグは手を振ってはしゃいで見せる。
はにかんだ笑みを浮かべるギュスターヴと無邪気そうに笑うアーサー。
「ゲオルグが誇りに思うよな立派な兄として、これからも武芸と勉強に励むのですよ!」とエカテリーナ。
「はい、母上。」
「僕も頑張ります、継母上」
アーサーの〈継母上〉の言を聞いて、やはりとゲオルグは思った。両親、2人の兄の容姿からもしかするとアーサーは異母兄ではないだろかと思っていたが、確信した。さてさて、ギュスターヴは真面目系ツンデレ兄貴、アーサーは無邪気系兄貴か。でも無邪気そうに見えるのになんか、アーサーには腹黒さが感じられるのは俺の性根が捻くれてるが故か。
将来的な跡目争いが起きるかもしれないが、今はとにかく眠い。眠たくて仕方ない。精神年齢はともかく肉体年齢は1才ちょい。起きてからずっと気になってたことが1つあるけど眠すぎる。
まぁ 今世の家族の好感度ポイントを稼いだし良しとするか。
「あらあら はしゃぎすぎたのね。ゆっくりお眠しなさい。」
エカテリーナの問いかけの半ばあたりでゲオルグは意識を手放した。