エピソード1-1 狂気よ来れ、汝こそが希望たれ
初めて投稿するので色々、誤謬、不備があると思いますが、宜しくお願いします。
ルイン王国歴368年 初火の月
ルイン王国とアンタレス帝国の国境から南に5馬里(1馬里は馬で1日に進め距離)の位置にあるレマン砦はルイン王国にとってアンタレス帝国からの侵掠を防ぐ重要な防衛拠点だった。山間の隘路という地形を活かした天然の要塞であり、『灰獅子戦争』と呼ばれる数十年前のアンタレス帝国からの侵掠戦争の激戦地の1つだった。
もっとも『灰獅子戦争』以降は小競り合いがある程度で大規模な戦争はなく、ここ二十数年はアンタレス帝国の友好方針により両国間の緊張は低下し、レマン砦への配属は左遷先と見做されている。
今、レマン砦の物見櫓にいる数人の男たちが彼らの眼下に広がる光景に渋い顔をしている。その中にあって1人喜色に包まれている者がいた。
「やぁやぁ アルマン副長。これは絶景かな 絶景かな。それとも壮観、威風堂々と言うべきかな?」
「ゾルゲン大隊長”代理”。我々の置かれている状況から言えば、絶体絶命のピンチもしくは貧乏くじを引かされたってとこでしょうか」
喜色を浮かべる上官からの問いかけに呆れかえるとともに開き直った声で返事をしたアルマン。続けて、
「なんたって年々縮小され続けてきたとは言え、一月前には2千人はいたこの砦に今は僅か300人少し。対してクソったれの帝国ヤロウはどう見たって数千人。下手すりゃ1万人を超えますぜ。戦力差はどう見積っても20倍以上、いくら難攻不落の要塞って言われるレマン砦でも無理がありやしやせんか?」
「ハハハッ アルマン副長。戦力差なんて小難しいことをよく知ってるな。褒めて遣わそう。しかし、”戦力差”という視点で言うなら重要な見落としがあるな」
「と言いますと?」
「こちらにはリトルエレメントマスター〈小元素魔導士〉こと僕がいるが、向こうはないない。となれば、1対0で僕らの勝利で決まりじゃないか。だからさ、アルマン副長、今レマン砦における人生の選択肢は勝ち馬に乗って英雄となるか、乗らずに惨めな逃亡者になるか、それだけなのさ。」
勿論、帝国側にも元素魔導士は在籍しているし、現在レマン砦に迫っている帝国軍は兵士の服装から精鋭部隊と名高い近衛師団であることから間違いなく、元素魔導士の数でも王国側が不利な事は明白だった。その状況を理解して尚、飄々と答えるゾルゲンをアルマンは信じられないモノを見るようにゾルゲンの隻眼を正面から覗き込んだ。その蒼い瞳は一見、狂気をはらんでいるように思えるのだが、瞳の奥底に潜む幽かな哀愁が一瞬だけ煌めいた気がした。
その瞬間、アルマンはまるで秋の蒼穹の様に澄んだゾルゲンの瞳から彼の心意を理解した気がした。
「どうしたアルマン副長。僕は男にジロジロ見つめられられて感じ入る性癖はないぞ。」
「失礼しました。ゾルゲン大隊長代理の男ぶりに思わず見惚れておりました。」
「ますます気色悪いことを言うじゃないか。それでアルマン副長、君は乗るかね、乗らんかね?」
「ハッ 自分は勝ち馬に乗らせて頂きます。勝ち馬に乗るついでに自分の全財産もリトルエレメントマスターに賭けますので100倍にして返してもらいたいであります!」
そう言うとアルマンは懐ろをゴソゴソすると薄汚れた袋をゾルゲンへと投げてよこした。ゾルゲンはその袋の軽さからほんの少し訝しんだ後、「おい、全財産というには軽すぎるんじゃないか?」
「先週の休みに馴染みの女といい事して寂しくなっちまったもんで、それが全財産であります。」
「フフッ 間違いなく後悔するぞ、もっと賭金を出しとくべきだったと。さて、そろそろ兵たちが退屈し始める頃だな。降りるぞ」
そう言い放つとゾルゲンはルイン王国の成人男性の5人分の高さのある物見櫓から飛び降りると何事もなかったかの様にふわりと着地すると兵士達が集まっている練兵場へと足早に向かった。その後をドタバタと足音を立てながら物見櫓から降りて追いかけるアルマンが続いた。
「待ってくださいよ。いくらなんでも風魔法が使えるからって飛び降りるなんて」
兵士達が集められている練兵場では見るからに士気が低く騒然としていた。
「なぁ 俺たち生きて帰れると思うか?」
「仮に守備隊の主力がいてもまず無理だら」
「そうだろな。いっその事、逃げちまうか?それとも降参しちまわねえかな」
「それも有りだが、ひとまずは残ってるお偉いさんが何を言うのか聞いてからにしようぜ。”リトルエレメントマスター”として名高いゾルゲン中隊長殿が今のこの砦の最高指揮官様なんだ。他のお偉いさんよりはマシな事を言ってくれるさ。」
兵士の言う”リトルエレメントマスター”の部分に尊敬よりも嘲りが多分に含まれていた。
「まぁ そうかもな。って今は大隊長代理に一時的に昇格してなかったか。」
「おい! 来たぞ。静かにしろよ。」
アルマンを伴ってゾルゲンが練兵場の前方の指揮台を登った。アルマンが目に見えて士気がない兵士達に喝を入れる様に腹の底からの大声を出した。
「傾注! これよりゲオルグ・ルフェイン・ゾルゲン大隊長代理から今後の方針演説がある。心して聞く様に。」
「さてさてさて。レマン砦守備隊の主力においてけぼりにされた幸運なる兵士諸君!諸君は自身に訪れた幸運に気づかずにこう思っていることだろう。『1万を超える帝国軍が半日もすればやってくるのに対し、こっちは僅か300にも満たない。貧乏くじを引いちまった。逃げ出したい』ってな。だが、断じて言おう! それは大きな間違いであると」
帝国軍が大軍だと思っていたが、想像外の戦力差を聞き、呆然とした兵士達は先ほどのアルマン同様に皆一様に怪訝そうな表情を浮かべ始めた。しかし、そんなことを一向に気にせず、ゾルゲンは演説を続ける。
「何故ならこちらには”リトルエレメントマスター”たる僕がいて、向こうにはいない。それが全てだ。他にどの様な雑兵がいるかなんて、些細な事だ。となれば、諸君の選択肢は敵前逃亡か降参なんてつまらないモノじゃなく、僕という勝ち馬に乗るかどうかなのだ。」
あまりの自信満々ぶりに兵士達の中から少しばかりの笑いが起きる。
「さて賢明なる兵士諸君。アルマン副長を見たまえ。いつもは無愛想な面がニヤついてるだろう。どうしてだと思う?」
そう言うや、アルマンを指差すゾルゲン。釣られて兵士達もアルマンを見る。
突然の名指しに困惑の色を浮かべるアルマン。
「ニヤついてる理由は明白だ。副長という立場を利用していち早く勝ち馬に乗ったからだ。戦役後の英華栄達を想像して、さしものアルマンもニヤつきを抑えきれないのさ」
無茶ぶりもいいところであるが、上官の思惑が戦意高揚にあると分かっているアルマンはゾルゲンの話に乗った。
「大きな屋敷に若い美人の女房、使用人が控えるなか午後の香茶を愉しんでいるところでした」
「自分で兵士諸君に傾注するように言っておきながら自分は楽しい想像に耽るとは、全く困った副長だ」
悲愴感のないゾルゲンとアルマンのやり取りを前にして兵士達は自分達の危機的状況を忘れて呆気に取られてしまった。
「さて賢明なる兵士諸君。もし勝ち馬に乗らなかった場合を想像してみようか。
家族がいるものは、家族から『レマン砦で御同僚だったアルマンさんは大きな屋敷に住んで何人ものは使用人がいらっしゃるのに、どうしてウチはボロ屋なの?奥方様は綺麗に着飾っているのに私は埃まみれのボロきれなの?」と罵られることだろう。独り身の奴にしたって近所の奴からこう言われるだろう『アルマンって奴は無愛想で無骨な中年親父なのに大きな屋敷に若い女を何人も囲ってやがる。それなのにお前ときたら度胸も腕っぷしもアルマンなんかに負けちゃいないのにこの体たらく。ため息が出るよ。』とな」
身振り手振りで語るゾルゲンを前にして兵士達は帝国軍の脅威よりアルマンに対する憤りを感じ始めた。その気配を感じ取ってゾルゲンは問いかける。
「さてミルズ第1小隊長。君はどう思う?」
「ハッ アルマン副長殿はズルいであります。自分も勝ち馬に乗りたくあります‼︎」
ミルズの返答を皮切りにそこら中から
「自分も勝ち馬に乗ります」
「隊長連中ばかりズルいです。俺たち平民出の兵士も勝ち馬に乗らせてくださいよ」
と賛同の声が大きくなる。
ゾルゲンは満足そうに周囲を見渡した。
「勿論じゃないか。公平明大な僕はアルマン副長みたいに勝ち馬を独り占めしようなんて思っちゃいない。勝ち馬の定員は300人ばかりと余裕はある。勝ち馬に乗りたいか〜」
「オォ〜」
「金が欲しいか〜」
「オォ〜」
「女が欲しいか〜」
「オォ〜」
「名誉が欲しいか〜」
「オォ〜」
「よろしい。諸君が望むものはこの戦役で全て掴み取れるだろう。さて諸君!
勝つための方策を諸君へ授けよう。何、大して難しいことじゃない。」
一呼吸置くとゾルゲンは高々と底冷えするような声で宣告する。
「殺せ。片っ端から殺せ。唯ひたすら殺しまくれ。諸君が身につけている剣で弓で殺しまくれ。剣が折れ矢が尽きたなら殴ってでも殺せ、喉元に噛み付いてでも殺せ、石を投げつけても殺せ!」
「そうだ殺せ!殺せ!」
「帝国のクソッタレを殺せ!」
「「「「殺せ!」」」
見るも無惨だった士気が今や狂気に満ち満ちた熱気に包まれている。
「大変よろしい。諸君!勝ち馬に乗らんとする諸君に必要なモノは圧倒的は殺意だ。国家への忠誠心など一欠片も不要だ。ただ一心不乱に殺しまくればいい」
「ウォー! やってやるぞ〜!」
「ここに居なかった奴らを見返してやるぜ」
「俺、帰ったらあの子に告白するよ」
後にレマン砦の悲劇とも呼ばれる一戦は熱狂を持っては幕が切られた。