その4
「違いますって、違いますって、違いますってぇ!! 俺、何にも言ってないし、何にもしてないですよ!!」
慌てる俺とそんな俺をにらみつける村長のあいだに、アリアののん気な声がはいってきた。
「そんちょーさんの奥さんからよんでもらった絵本に、おひめさまは好きなひとのおよめさんになるってあったの。だから、アリアはアルおにいちゃんのおよめさんなの」
「ほらほらほらほらほらほらぁ! 俺のせいじゃないでしょ! 奥さんたら何て本をアリアに聞かせるのかなぁ! いやぁ、女の子って小さくてもオマセサンですね!」
俺は必死にアピールする。
いや、何もやましいことはないんだから、堂々と笑ってりゃいいのか。
だが、あの森の動物みたいだったアリアが、こんなことをいっちょまえに言うようになったんだな。
俺はしんみりと思うと同時に、ここらが潮時なんじゃないかと思った。
異性を意識するようになった女の子と、独身男の俺がこのまま一緒に暮らしていくのは、アリアの為にならないだろう。
アリアは年頃の子どもたちに混じって暮らし、歳相応の相手を見つけて普通に暮らしていくべきなのだ。
俺はちょっと胸が荒れるのを感じながら、アリアに気付かれないように村長に相談した。
村長も同じ考えであったようで、
「お前から手放そうとするとは…」
とけっこう失礼な感想をいただいた。
いや、アンタが俺におしつけたんでしょうが!!
「今生の別れって訳じゃないんだ、黙って置いていったほうがいいんじゃないだろうか? アリアがここ での生活に落ち着いた頃、お前が会いにくればいいんじゃないか?」
「………」
確かにここで説明して泣かれれば、俺の決意が揺らぎそうだ。
アリアは俺のところでの生活しか知らないが、一度村長のところで暮らしだしたら綺麗な服やおいしい料理やお菓子があり、同い年の子どもたちに囲まれる。
そんな村での暮らしを覚えたら、森での暮らしなんてもうしたくなくなると思う。
アリアは俺が捨てていったと恨むだろう。
そのことを考えると今でも胸をかきむしって泣き叫びたい気持ちになる。
だが、俺が悪者になることでアリアが幸せになれるなら、俺は涙を飲んで受け入れよう。
「…わかりました。アリアをよろしくお願いします…」
思った以上に声がかすれた。
村長は黙って俺にうなずいた。
俺は奥さんに絵本を読んでもらっているアリアを、そっと見た。
無邪気な笑顔を必死で目に焼き付ける。
森で過ごしたアリアとの日々が、俺の胸によみがえる。
花畑で一緒に花冠をつくった。
はじめての料理を俺に隠れて作ってくれ、家を半焼させた。
ベッドに一緒に寝ているときに、玉を思い切り蹴り上げられた。…たぶん半分つぶれた。
俺のひげを撫でさすり、力加減を間違えてひっぱりコイン大の円形脱毛をつくった。
眠っていた俺の乳を吸われた。
…なんだろう、ものすごく濃い涙で目がにじむ。
涙が目にしみて、よけい涙が出てくる。
こんなことってあるんだな…。
俺は必死でこらえる。
ここで泣いてはいけない、アリアに見られるわけにはいかない。
「アルおにーちゃん、どうしたの?」
様子のおかしい俺に、アリアがすぐに気が付いた。
アリアはいつも俺のことを見ていてくれた。
くそっ、こんなんじゃ駄目だ!
アリアには、笑顔の俺を覚えていてほしい。
俺は一度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、笑顔をつくってアリアを見た。
「ちょっとトイレに行ってくるな、いい子にしてるんだぞ」
アリアはなにも言わずにうなずいた。
その金色の瞳は俺を全く疑うことのない綺麗な目をしており、俺は見ているのがつらくなって部屋を出た。
「アルおにーちゃん、ないてたね。…おしっこかうんこがもれたのかな?」
涙をこらえる俺の背中に、アリアの無邪気な声がかかる。
アリアよ、俺は漏らしていないぞ。
そしてそんな誤解のままの俺を記憶に残さないでくれ……。
俺は裏口から村長宅を出て、走って家に帰り、一人きりの家で大声を出して泣いた。
日が暮れたが夕飯を作る気になれず、作るのは俺の分だけだと思うとまた涙が出てとまらなかった。
テーブルの前にある子供用の椅子を見て泣いた。
台所の踏み台を見て泣いた。
泣きすぎてぼんやりとしてきた頃、
「アルおにーちゃん、まだないてるの? うんこやおしっこがもれても、そんなに泣かないの。アリア、アルが泣きやむのまってたけど、もうおうちに入りたい…」
俺はとうとう、アリアの幻が見えるまでになってしまったのか。
家の入り口に見えるアリアの顔を呆然と眺めた。
「アルおにーちゃん、アリアがおしりふいてあげようか?」
俺は純粋なアリアにそんな妄想を抱いていたのだろうか。
自分の浅ましさに身震いがした。
アリアの幻は無邪気な笑顔で俺に近づいてくる。
あぁ、やはり村長のところに置いてきて正解だった。
俺はすでに頭がどうにかしているようだ。
「えいっ」
俺は幻のアリアにいきなり突き倒された。
俺は声もなく床に顔をぶつけ、ケツを上に突き出した状態で倒れた。
「よいしょっと」
幻のアリアはそのまま俺の尻に手を伸ばし、ズボンとパンツをずり下ろして俺の尻を露出させた。
「ぎぃやぁぁぁぁあああああ!!」
そこで俺ははじめて、このアリアが幻ではないと気付いた。
しかし、もう、遅かった…。
「あれ? アルおにーちゃん、おしっこもうんこももらしてないね? どうして泣いてたのかな?」
アリアは、…俺のむきだしの尻を見つめながらパンツの中に手をあて、俺に聞いてきた。
「…アリア、お帰り…」
新しい涙が俺の頬をつたった。