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パンツの形は男女別

 その日俺の目が覚めたとき、唇がそこにあった。真っ赤なさくらんぼのような張りのあるその唇は、俺の目と目の間をゆらゆらと揺れ動き、いまや触れるか触れないか、ああっ、触れそう、と思ったら離れ、離れたと思ったらまた迫ってきた。

 彼女はふわふわと宙に浮いていたのである。いままで気がつかなかったが、どうやら浮くことができるらしかった。今この目で見ているのだから間違いない。俺はこの目で見たものしか信じない――たちではない、いやむしろ簡単に信じてしまう飼いならされたチワワのような存在だが、とにかく見たからには信じるしかないのだ。信じてしまうといえば、先週も加藤から絶好のパンチラスポットがあると聞き、その場ではまったく気にしていないふりをして軽い突込みを入れつつも、後日、日が暮れるまで排気口を影から見張っていたこともあった。だが実際には、そこを通ったのはジョギング中のおっさん一人だけだったのであった。そんな俺って。

「貴様、不埒なことを考えていたな、顔から順につま先まで溶けて死ぬがいい」

 いつの間にか目覚めていたようだった、不埒といえば不埒だが、結果が出ていないのに責められるとは割に合わない話だ。だが、気にしない、気にならないんだ。

 それどころか、なぜだろう心地いい。俺は生粋のMではないつもりで生きてきた。殴らるのは嫌だし、怒られるのは苦しいし、馬鹿にされるのは悔しいし、ごく普通だったはずだ。しかしその俺をしてそう言わしめるということは、きっとこれは彼女の特権なのだろう。

 しかし今日は何かおかしい、俺の中で違和感が沸々と湧き上がり、あらゆるものを詳細にチェックせずにはいられない衝動に駆られたのだ。だがわからない、いつもの部屋、いつもの景色、彼女もいつも通りだ、いったい何が。

「ところで貴様、自分の顔を鏡で見たらどうなんだ。まったく馬鹿げている」

 まさか。俺は小走りに洗面所に向かい、鏡に自分の姿を映し出した。

「あれ」

 そこに俺はいなかった。美少女がいたんだ。見たことのない美少女が、困惑した表情で顔を確認していた。目はパッチリと大きく、鼻筋はすっと通り、唇は上品に薄い、まさに深窓の令嬢という表現がしっくりくるような、なかなかお目にかかれないタイプの美少女がそこにいたのだ。これほどの美少女であれば、どこの事務所も放っておかないだろうと思うほどの美しさ。

 まさかっ、ということは。

 俺はもちろん確認した、こういうとき確認すべきことはすべて確認した、当然だろう。

 だが顔以外はいつもの俺そのものだったのである、なんという落胆、ちゃんとやってほしい、仕事はきちんとしてほしい、まったく。いやそれよりなぜこんなことに? いやそれよりどうしよう学校は。

 だが問題なのは顔だけなんだ、覆面か、マスクマンとなればいいのか? しかし学校でそんなことが許されるはずがない、いやマスクはマスクでも普通の花粉症マスクなら、許されるっ、これだ。

 しかし俺は花粉症でないのでマスクは家に無かった、風邪用のもない、何もない、俺のバカ。日頃から準備をしておけ、と言いたい。俺に。

「貴様いつまでいる気だ? もういつも出ている時間を二十分は過ぎている、早く出て行ったらどうなんだ、グズが」

「え、ええと、もしかして……」

「わらわがやったとでも?」

 だよな、さすがに。とにかくもう行くしかない、コンビ二に寄ってからだ、念のため普段行かない店に。俺は全力疾走で少し離れたコンビ二へと向かい、巧みに顔を隠しながらどうにかこうにかマスクを購入し、学校に向かった。かなり怪しまれはしたが、通報はされなかった。問題ない。

 やばいぎり、ぎり、ぎり、ぎり、セーフ!

「おう、おはよう、おはよう」

「なんだよ、風邪か? スマホーン」

 加藤が話しかけてきた。よし、少なくとも俺だってことはわかるってことだな。声も俺だし背格好も俺だし髪型も俺だ、そして俺の席に座っている、顔だけなんだ、大丈夫。

「いやちょっと花粉症っていうか……」

 ついつい顔を背けてしまう、怪しまれるだろうか、しかし反射的にどうしても。

「あれ、なんかおまえいつもと違くね?」

 ばっばれっばれるっ。


「ほら席に着きなさい」

 よかった、授業が始まった。授業になってしまえば問題ない。ひたすら教科書とノートを見ていればごまかせる。

 今はとにかく、この顔を誰にも見られないようにすることだ、もし豪徳寺さんに見られでもしたら大変なことになる。別に悪いことというわけではないが、衝撃の事実発覚だ。奇妙な問題に巻き込まれていると思われて、避けられかねない。席が離れていてよかった、この角度ならほとんどわからないだろう。おっと、あまり見ているとばれてしまう、気をつけないと。


 そんなこんなでどうにか昼休みまで乗り切った。

「おまえさあ、顔、女じゃね?」

 言われてしまった、さすが加藤。さすがださすがだよ、ああさすがだとも。

「い、いや、そんなことは」

「でもその目、その鼻、何よりその輪郭、俺にはわかる、女とおまえに精通した俺の目はごまかせない」

 恐ろしい慧眼だ、俺はもともと男らしいという外見ではないが、かといって女に間違えられるほどでもない、さすがに変わりすぎていたわけか。

「ま、まあ、ここじゃなんなんで」

 とりあえず校庭に出ることにした、なるべく人気のない場所を選び、腰掛ける。

「おらあ」

 いきなり加藤がマスクを外した、容赦ない、拒否する暇も与えない、それが加藤。そしてじっと俺の顔を見つめている、まるで告白をしようか迷っている、そんな表情で。

「付き合ってください!」

 そうだった、実際にそうだったのだ。俺の人を見る目もまんざらではないな。

「いや俺だから、男だから、わかるだろ」

「冗談冗談、で、他はどうなってんだよ、触っていいか? おい、いいのか? おいぃ、いいのかぁ、おいぃ」

「だめだ、なぜなら男のままだからだ、男のままでも触るのかもしれないが、断固拒否だ」

「なにぃっ」

 加藤の落胆がありありと伝わってきた、俺と同じかそれ以上だ。

「まあしかし不思議なこともあるもんだな、何か心当たりでも」

「いや、ないが」

 しかし考えてみれば、こんなことになってもいつも通り接してくれるとは、加藤、おまえってやつは。不意に涙が溢れそうになった。持つべきものは友達だな。しばらく俺は無言で感慨を噛み締めた。

「とりあえず銭湯だろうな、こういうときは」

 やはり……そうか。

「ばれるだろ、脱いだらすごいことになる、いくらタオルで隠しても隠し切れないよ」

「おいおい、そんなにでかいのか?」

「いや、でかさの問題じゃなくて。いろいろと角度とか動きとかあるだろ」

「まあ確かにな、いざ実行するとなるとなかなかハードル高いか」

「というか何もしない、家でじっとしてるよ、なんとなくだけど元に戻ると思うんだ、時間がたてば」

「惜しいな、何かできそうなのに、まあでもあまり気にすんなよ、なんとかなるさ」

「何もしないって、大丈夫、それより飯にしようぜ」

 とにかく俺は無難に学校を乗り切り、家に帰りたかった。なぜなら俺には希望があった、心当たりがないとは言ったが、きっと家の彼女が鍵を握っている。本人がやったのでなくても解決策を持っている、そんな気がしてきたんだ。


 放課後、俺は早足で家へと向かった。誰とも目を合わせず、ひたすら前だけを見てとにかく家に帰ることを目指したのだ。そして玄関を開けるなり言った。

「どうしよう、ねえどうしたらいいの、この顔どうしたらなおるんだよぅ~」

 涙目だった、実は不安だったんだ、だって俺こんなんじゃ、一生この顔じゃ、まあある意味使いようだけど、でもやっぱり長い目で見るときついじゃないか、いやきついだろう、そうだろう、そんな気持ちが学校で貯まりに貯まっていっていたからだ。

「美少女のお帰りか、前よりずっといいだろう、その方が」

「だって顔だけだよ、全部ならまだしも、いや全部も困るけどこれだけでも困るよ~」

 俺は哀願した、ぐしゃぐしゃな顔で少女にすがりついたんだ、高校生のプライドも何もなく。

「美少女が台無しだな、ゴミが、とにかく離れろ、気色悪い。首から下だけハエになって死ぬがいい」

「ああ、うん……」

「まあ大体の目星はついている、このわらわにかかればその程度」

 やっぱり、やっぱり、俺信じてた、信じてたんだ。俺の喜びはその場でバレエのスピンを二十回転以上するほどだった。そして実際にした。


 俺達はとある豪邸の前に来ていた。他人から見れば俺一人だが、確かに『俺達』で来ていた。

「ここにやつがおる、まことに忌々しい」

 彼女が言うには、ここにいる男の子が今回の変身、というか変顔の原因らしい。

「でも、どうやって入るの? 知らない家だよ」

「早くインターホンを押さんか、ノロマが」

「えっ、いや、でも……」

「早く押さんか!」

 迷っても仕方がない。俺は意を決し、清水の舞台から飛び降りる気持ちでインターホンを押した。

 ああ、監視カメラで見られてる、俺、不審者かも。マスクで顔を隠してるし。

 

「どちらさまでしょうか?」

 インターホンから女性の声が聞こえてきた。

「あ、あの、ボッ、ボクは」

 ななな、何て言えば、ななな、何て言えば。

「華澄のお友達かしら、ちょっと待ってね」

 しばらくすると、玄関から若い女性が出てきた。

 

 豪徳寺さん!

 

「あの、須磨くん、だよね、何か用?」

 わかってくれた。確かに学校の時と同じ姿だけど、でもわかってくれるなんて、俺のこと見ててくれたなんて、なんていい子なんだ。俺は感涙でしばらく言葉に詰まってしまった、しかし不審がられるわけにはいかない、早く話さないと。

「あの、さ、何か変わったことない? たっ、例えばさ、他の人に見えない男の子が見えるとか、はは、そ、そんなことあるわけないか、変な事言ってごめ……」

「えっ、なんで……そのこと……」

 豪徳寺さんは驚いた様子で、かぶせるように言ってきた。あれ、これは。

「だから言ってあったであろう、早く聞き出さぬか」

「実は俺も見えてて、今ここに来てるんだ、見えないと思うんだけど」

 すると横の美少女(他人に見えない方)の表情がさらに険しくなり、奇妙なファイティングポーズをとった。

「やはりここにおったか、カオーソ」

「ええと、お、オールド、ちゃん? が、そこにいるの?」

 豪徳寺さんが言った、オールド、って、この美少女の名前だろうか、お互い聞こえていないのでまどろっこしくて仕方がない。

「こやつの顔などどうでもよいわ、それより貴様を亡き者にしたくなった、今すぐにな」

 いや、どうでもよくないでしょう、そのために来たはずなんだけど。と思う間もなく、二人は激しい戦闘に入った。

 彼女の方しか見えないので、相手がどんな攻撃をしているのかはわからない。でも彼女は主に拳で語っていた、時折り魔法のような光もほとばしった、だが相手に当たっているのかはわからない、もどかしい。などと思って呑気に見ていたら、吹っ飛ばされた彼女が俺に突っ込んできた。うがぁ。

「カオーソ! やめなさい!」

 突然、豪徳寺さんが大声を出した。学校ではいままで聞いたことのないような声だ。いつもささやくような優しい声でゆっくりと話しているのに、こんな声を出すなんて。

「なんだ、貴様その女に絶対服従か、落ちたな、カオーソ」

 どうやら相手が戦闘をやめたみたいだ、彼女は玄関の塀の上に仁王立ちで下のほうを嘲笑している。まさに勝ち誇った戦の女王といった態度で。

「ごっ、ごめんなさい、なんかうちの子が」

「いや、豪徳寺さんが謝ることじゃ、こっちの方こそごめんなさい」

「え、ええと、あの、その顔」

 しまった、ぶつかった拍子にマスクが外れていた。あああ、見られてしまった、見られてしまったあ。

「カオーソ、あなたの仕業なのね」

 豪徳寺さんは右下を睨み付けている、怒った顔も素敵だけど、結構迫力もある、こんな一面もあったんだな。

「おい、帰るぞ役立たず。まったくつまらん」

「え、でも」

「もう元に戻っているだろう、こんなところに用はない」

 顔を触ってみると、確かに戻っているみたいだった。

「あ、ありがとう、豪徳寺さん。俺、帰るから、ほんとにありがとう」

「うん、また学校でね」

 ということで、豪徳寺邸を後にした。


 それにしても、豪徳寺さんとあんなに喋ってしまうなんて。いままでは、おはよう、と言われて、あ、ああ、うん、と言うくらいだったのに。いろいろあったけど、結果オーライだな。

「何をにやけている、気色悪い。今度はわらわ好みの顔に変えてやってもよいのだぞ」

「いや、うん、へへ……、あ、そうそう、今日はありがとう、おかげで元に戻れたよ」

「ふん、感謝など。わらわはカオーソのクソ生意気な顔を見に行こうと思っただけだ」

「ふうん、そういえばさ、君、オールドっていう名前だったんだね」

「ふざけるな、そんなババアみたいな名ではない、『オー(Rの発音)ド』だ、これだから日本人ってやつは」

「だからオーロロロ(Rっぽい発音)ドでしょ、わかるよ」

「まったくわかっていない、そのまま舌がもつれて死ぬがい。そしてあやつもやはり殺すべきであった、このような屈辱」

「じゃあ、ロロって呼ぶよ、これからは」

「勝手にするがいい」


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