悪女と呼ばれた公爵令嬢
よろしくお願いします!
___どこで間違えたのだろう。
重い鐘が大きく響き渡り、モスキート音の如く耳を侵食していく。 春だというのに、かじかんだように冷えた手先が痛く、そして震えていた。
焦点の合わない目で、眼の前で繰り広げられている惨状を凝視する。
連なった人衆。 暴言を口々に発する愚衆。
...そして、己の愛しいひと。
「__被告人を、死刑判決とする」
背後から、歓声が湧く。
気持ちが悪い。ただただそう思った。 喉の奥につっかえた鈍器が、内側から己を嬲っている。
己の目が熱を持って、水気を持っていくのがわかる。 地獄のような景色が霞んで、よくわからない模様となっていく。
自分が泣いてよいわけが無いのに。 彼女の物語の結末は、こんなものであってはならないのに。
「これによって閉廷と致します」
眼の前の黒服の裁判官たちが、立ち上がって告げた。
感情のない顔。
一人寂しく前に咲いた愛しい彼女は、背筋を曲げす、只裁判長を見つめていた。 彼女の背後に置かれた自分は、彼女の表情も、何も見ることはできない。
彼女の背を、呆然としながら見つめた。
愛しい。愛しい。自分の心を傾けられるのは彼女だけで、彼女と世界を天秤にかけるならば真っ先に彼女を選ぶだろう。 美しいシルエットに何度も何度も焦がされた。美しいかんばせ。貴族令嬢の中でも唯一無二の華を持ち、そして圧倒的な権力を持った彼女。
威厳を持ち、秩序を重んじ、社会の荒波の最果てに足繁く通うような彼女。
ーー彼女の瞳に映るだけで幸福で、自分以外がその瞳に映ることさえ、気持ちが悪かった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
数年前。
伯爵の妾の子供として生まれ、多方面から悪意が向けられたまま育った己が出会った彼女。
黄金の長く美しい髪を風に靡かせ、自らを澱から掬ってくれた唯一の女神。 王家に次ぐ地位を持つ公爵令嬢として生を受け、自らの運命の彼女。
異端だった私に居場所を与え、時には厳しく、時には泣き、時には笑ってくれた。 妾の特徴をひどく受け継いだ自分の顔も、嫌いだった自分の灰色がかった金髪も、 血のように赤い瞳も、彼女が「私とそっくりね」と微笑んでくれたから好きになれた。
... なのに。
舌が痺れるように痛い。
嗚咽が湧き上がってきて、胃酸の匂いが鼻腔に満ちた。
ーーー結局、彼女が見ていたのは自分ではなくて。
自分は「弟」のようにしか見られていなくて。彼女の目に熱く映されるのは、彼女をこっぴどく嫌っている屑のような人間で。
ずっと、ずっと憎かった。
彼女が恋をし、婚約を結んでいた、この王国の王太子リーヴェルヘルム。
馬鹿な男だった。
彼女の高潔さを知ろうともせず、彼女を瞳に映すこともなく、彼女の愛を破り捨てて。
男爵家の女に心を傾けるなんて。
彼女は堪えた。その男爵家の女を側室にしてもいいからと。 自分を憎んでもいいと。
だが、馬鹿な男はそれすらも鼻で笑い、彼女を罵倒した。
…偽善者、権力を振りかざしてまで地位に縋る汚い女だと。
ーーー許せなかった。 それが偽善だと言うならば、己のこの心は何だったのか、と。
彼女に救われた人間はごまんといた。お前らは高潔な彼女のように、人を救ったことはあるのか、と。
そう、思った。
正義なんてこの世にはない。
数多の人を殺した殺人鬼がいたとする。それはそれは悪名を轟かせるだろう。 だが、その殺人鬼を一人だけ殺した人間がいたとする。人々は殺人鬼と同じく、糾弾するだろうか。
...いや、確実に英雄と崇められるだろう。
罪の重さは圧倒的に前者だ。それは変わりない。だが、人を一人殺したというのに、誰もその事を追求しない。
善悪なんてそんなものだ。
立体を一方から見た姿が正義であり、善となる。 そして、他の方角からの事象を知ろうともしない。
王太子は... いや、全員、理解していないのだ。
愛しい彼女は傲慢だった。 誰よりも美しくいたいと願い、時には人を貶め、嫌い、好む。
王太子が振り向くようにと、手を尽くした。
着飾り、散財し、令嬢を取り囲んで「完璧な婚約者」を演じようと努力した。
誰よりも勉学に勤しみ、王太子妃として気高くあれるようにと。
―――王太子には、それが悪に見えた。
"演じている”彼女を「悪女」だと主観的に感じたのだろう。元々率直で、様々な方向から様々な感情の矢印を向けられた彼には偽善で、滑稽だったのだ。
だから、王太子は愛しい彼女とは正反対の男爵家の女に入り込んだ。
愛しい彼女が持つ洗練された大人の色気とは違った、愛らしい小動物のような顔。
優秀で冷淡な彼女とは違い、抜けていて感情豊かな性格。
国のために王太子妃であろうとする彼女とは違う、自分だけを見てくれる馬鹿な女。
愛しい彼女__アルカナ公爵令嬢はそれを許せなかった。
数十年。公爵令嬢として生を受けてから、王太子妃になるためにやってきた「努力」は何だったのか、と。
…貴方に募らせてしまったこの気持ちを偽善だと切り捨てるのか、と。
自分は何もしてあげられなかった。
寄り添うことも、抱きしめることも。
子供の頃、自分にやってくれたみたいに、一緒に泣くことも。
自分は無能だった。
薔薇が朽ちていく瞬間を捉えているにも関わらず、逃げて逃げて、見ないふりをした。
彼女が幸せならば、世界すらも、自分すらもいらないと決めていたのに。
やがて、彼女は以前と打って変わって、虚ろな瞳をするようになった。
目には薄く淀みがかかり、唇は青白く染まった。
薔薇が枯れていく瞬間を、誰も見ようとはしない。
彼女は、自分ともあまり話さないようになっていった。 昔みたいに、他愛のない話をして、彼女の金髪を撫でたい。
神様、お願いします。
... 世界の代わりに、彼女を。
そう、何度も願った。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
男爵家の女が、高位貴族の学校に編入し、やまない雨の如く噂が充満し始めた頃。
淡くなった薔薇の彼女が、男爵家の女を糾弾した。
『汚らわしい』『秩序がなっていない』 『自分の立場を自覚しなさい』と。 取り巻きの令嬢を連れ、怒鳴るように何度も何度も繰り返していた。
周囲は止めない。
...正論だったから。 自分も止めなかった。
合っていると、そう思ったから。
自分はその時、初めて彼女から背中を向ける。
彼女の背へ手を伸ばし、抱きしめようとしたのはいつだったか、自分は覚えてすらいなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
それが毎日の様に続いた。
学園内でも『なんで男爵家の女が王太子の婚約者に』という風潮が広まり、彼女を原点として、比例するように女を"いじめる"行為が多発した。
ときには暴言、時には器物損壊、そしてーー暴力。
ーーーそれは、"すべてが彼女自身がやったこと”では決してなかった。
彼女は正しいと思われていた。
王太子妃となりたいのなら、秩序を学び、マナーを理解し、王太子妃としての『努力』をするべき。
彼女が述べていたのはこの正論だけで、容姿を貶したり、ましてや暴力沙汰に関わるなんて、あり得ない。
だが、その他の女に不満を持った令嬢は異なっていた。
彼女に私怨を持ち、理屈に則っていない只の自己中心的な考えで女を“虐げた。
――そして、その令嬢たちは、ある名をいじめの最中に語っていた。
それは愛しい己の運命の彼女、アルカナ公爵令嬢の名前。
そして、それは時間が経つに連れ、形を変え、最悪な形となって姿を現す。
『王太子婚約者殺人未遂事件』
その事件の名を、首謀者として捕らえられたーー彼女を見たのは、いつだっただろうか。
あの時のことを、自分はあまり覚えていない。
自分の中にある、記憶のガラス片はアルカナと笑い合い、庭を駆け回って空を見上げた思い出達のみ。
その時、初めてこの世界や神が屑だと感じた。
世界が灰白でできており、自らを窒息させようとする藻のようだと、彼女と出会って以来、初めて思った。
世界とは何か、考え続け舌を噛む。
いっそのこと舌を噛みちぎって死んでやろうか、なんて何度も考えた。
―――失ってから気づく、というのは本当で。
己の中途半端な権力を使って裁判を遅らせようとしたり、裁判の妨害をする間者を仕込んだり。やれるだけのことはやった。
その日からの記憶は、虚ろで端々しか記憶していない。
唯一はっきりと覚えているのは、王太子とあの女の笑顔。 殺してやりたい、世界ごと壊して、アルカナと二人きりの世界を作りたい。
...最後まで共に居たい。
あれから願うのはそれだけで。神すらも憎んだ今、それは宙へ舞う空言でしかなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
アルカナの公開死刑日。
王城の前に高く建てられた断頭台には、美しく微笑んだ、"あの頃"の彼女がいた。
貴族の観覧席はその断頭台の直ぐ側で、自分はアルカナの首が掛けられる丁度前の座席につく。
空は青く、夏に近づいた春の真ん中だからか、空気が心地よい。
アルカナを見つめた。
彼女は自分に気がつくと、一瞬その綺麗な目を丸くして、妖精のように甘く微笑んだ。
ーーー美しい。
彼女を目前として考えられるのはそれだけで。 王城の上、断頭台を一点に険しく見つめた王太子とその女が、今は滑稽で仕方なくて。
それよりも、彼女の瞳に映った自分が、酷く泣いていて。
暫く、処刑人が断頭台の準備に取り掛かると、彼女は断頭台の下、ヘイトを投げて興奮する民衆に、完璧なカーテシーを披露し、靴を脱いで断頭台の前に登っていく。
「愛しているわ」
断頭台へ行く途中、前を通りかかった彼女に、手を一瞬、誰にもわからないほど優しく握られ呟かれたその言葉。
ずっと、求めていたもの。
恋情じゃなくても、家族愛でも、友愛でも無い。
二人の間に芽生えた、確かなもの。
自分は初めて、彼女を理解した。
断頭台の前で平然と立っていることも。
微笑みを崩さない理由も。
自らにそう呟いた理由も。
やがて、彼女が断頭台に首をかけると、斜陽の強い光が、彼女に降り注いだ。
自分は乱暴に胸ポケットからある1錠の薬が入った瓶を取り出し、己の口にゆっくりと運ぶ。
民衆の大熱狂が静寂を覆い隠し、世界が反響した。
「!!!」
民衆の声で、処刑人がなんて言ったかはわからない。
でも、合図だと察して、自分は含んでいた錠剤を噛み砕く。
ーーー そして、断頭台の刃が振り下ろされた。
___どうか。アルカナを幸せに。
___もしも願いが叶うなら、出会った頃に戻って、アルカナを自らの手で幸せにできるように。
赤の薔薇が、美しく散った。
「完」




