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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

悪女と呼ばれた公爵令嬢

作者: 反吐
掲載日:2026/02/25

よろしくお願いします!

___どこで間違えたのだろう。


重い鐘が大きく響き渡り、モスキート音の如く耳を侵食していく。 春だというのに、かじかんだように冷えた手先が痛く、そして震えていた。


焦点の合わない目で、眼の前で繰り広げられている惨状を凝視する。


連なった人衆。 暴言を口々に発する愚衆。


...そして、己の愛しいひと。


「__被告人を、死刑判決とする」


背後から、歓声が湧く。


気持ちが悪い。ただただそう思った。 喉の奥につっかえた鈍器が、内側から己を嬲っている。


己の目が熱を持って、水気を持っていくのがわかる。 地獄のような景色が霞んで、よくわからない模様となっていく。


自分が泣いてよいわけが無いのに。 彼女の物語の結末は、こんなものであってはならないのに。


「これによって閉廷と致します」


眼の前の黒服の裁判官たちが、立ち上がって告げた。

感情のない顔。


一人寂しく前に咲いた愛しい彼女は、背筋を曲げす、只裁判長を見つめていた。 彼女の背後に置かれた自分は、彼女の表情も、何も見ることはできない。


彼女の背を、呆然としながら見つめた。


愛しい。愛しい。自分の心を傾けられるのは彼女だけで、彼女と世界を天秤にかけるならば真っ先に彼女を選ぶだろう。 美しいシルエットに何度も何度も焦がされた。美しいかんばせ。貴族令嬢の中でも唯一無二の華を持ち、そして圧倒的な権力を持った彼女。


威厳を持ち、秩序を重んじ、社会の荒波の最果てに足繁く通うような彼女。


ーー彼女の瞳に映るだけで幸福で、自分以外がその瞳に映ることさえ、気持ちが悪かった。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



数年前。


伯爵の妾の子供として生まれ、多方面から悪意が向けられたまま育った己が出会った彼女。


黄金の長く美しい髪を風に靡かせ、自らを澱から掬ってくれた唯一の女神。 王家に次ぐ地位を持つ公爵令嬢として生を受け、自らの運命の彼女。


異端だった私に居場所を与え、時には厳しく、時には泣き、時には笑ってくれた。 妾の特徴をひどく受け継いだ自分の顔も、嫌いだった自分の灰色がかった金髪も、 血のように赤い瞳も、彼女が「私とそっくりね」と微笑んでくれたから好きになれた。


... なのに。


舌が痺れるように痛い。


嗚咽が湧き上がってきて、胃酸の匂いが鼻腔に満ちた。


ーーー結局、彼女が見ていたのは自分ではなくて。


自分は「弟」のようにしか見られていなくて。彼女の目に熱く映されるのは、彼女をこっぴどく嫌っている屑のような人間で。


ずっと、ずっと憎かった。


彼女が恋をし、婚約を結んでいた、この王国の王太子リーヴェルヘルム。


馬鹿な男だった。


彼女の高潔さを知ろうともせず、彼女を瞳に映すこともなく、彼女の愛を破り捨てて。


男爵家の女に心を傾けるなんて。


彼女は堪えた。その男爵家の女を側室にしてもいいからと。 自分を憎んでもいいと。


だが、馬鹿な男はそれすらも鼻で笑い、彼女を罵倒した。

…偽善者、権力を振りかざしてまで地位に縋る汚い女だと。


ーーー許せなかった。 それが偽善だと言うならば、己のこの心は何だったのか、と。

彼女に救われた人間はごまんといた。お前らは高潔な彼女のように、人を救ったことはあるのか、と。


そう、思った。


正義なんてこの世にはない。


数多の人を殺した殺人鬼がいたとする。それはそれは悪名を轟かせるだろう。 だが、その殺人鬼を一人だけ殺した人間がいたとする。人々は殺人鬼と同じく、糾弾するだろうか。

...いや、確実に英雄と崇められるだろう。


罪の重さは圧倒的に前者だ。それは変わりない。だが、人を一人殺したというのに、誰もその事を追求しない。


善悪なんてそんなものだ。


立体を一方から見た姿が正義であり、善となる。 そして、他の方角からの事象を知ろうともしない。




王太子は... いや、全員、理解していないのだ。



愛しい彼女は傲慢だった。 誰よりも美しくいたいと願い、時には人を貶め、嫌い、好む。


王太子が振り向くようにと、手を尽くした。


着飾り、散財し、令嬢を取り囲んで「完璧な婚約者」を演じようと努力した。


誰よりも勉学に勤しみ、王太子妃として気高くあれるようにと。



―――王太子には、それが悪に見えた。


"演じている”彼女を「悪女」だと主観的に感じたのだろう。元々率直で、様々な方向から様々な感情の矢印を向けられた彼には偽善で、滑稽だったのだ。


だから、王太子は愛しい彼女とは正反対の男爵家の女に入り込んだ。


愛しい彼女が持つ洗練された大人の色気とは違った、愛らしい小動物のような顔。

優秀で冷淡な彼女とは違い、抜けていて感情豊かな性格。

国のために王太子妃であろうとする彼女とは違う、自分だけを見てくれる馬鹿な女。



愛しい彼女__アルカナ公爵令嬢はそれを許せなかった。


数十年。公爵令嬢として生を受けてから、王太子妃になるためにやってきた「努力」は何だったのか、と。

…貴方に募らせてしまったこの気持ちを偽善だと切り捨てるのか、と。



自分は何もしてあげられなかった。

寄り添うことも、抱きしめることも。


子供の頃、自分にやってくれたみたいに、一緒に泣くことも。



自分は無能だった。


薔薇が朽ちていく瞬間を捉えているにも関わらず、逃げて逃げて、見ないふりをした。


彼女が幸せならば、世界すらも、自分すらもいらないと決めていたのに。


やがて、彼女は以前と打って変わって、虚ろな瞳をするようになった。


目には薄く淀みがかかり、唇は青白く染まった。


薔薇が枯れていく瞬間を、誰も見ようとはしない。


彼女は、自分ともあまり話さないようになっていった。 昔みたいに、他愛のない話をして、彼女の金髪を撫でたい。




神様、お願いします。


... 世界の代わりに、彼女を。


そう、何度も願った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



男爵家の女が、高位貴族の学校に編入し、やまない雨の如く噂が充満し始めた頃。


淡くなった薔薇の彼女が、男爵家の女を糾弾した。


『汚らわしい』『秩序がなっていない』 『自分の立場を自覚しなさい』と。 取り巻きの令嬢を連れ、怒鳴るように何度も何度も繰り返していた。


周囲は止めない。


...正論だったから。 自分も止めなかった。


合っていると、そう思ったから。



自分はその時、初めて彼女から背中を向ける。


彼女の背へ手を伸ばし、抱きしめようとしたのはいつだったか、自分は覚えてすらいなかった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


それが毎日の様に続いた。


学園内でも『なんで男爵家の女が王太子の婚約者に』という風潮が広まり、彼女を原点として、比例するように女を"いじめる"行為が多発した。


ときには暴言、時には器物損壊、そしてーー暴力。


ーーーそれは、"すべてが彼女自身がやったこと”では決してなかった。


彼女は正しいと思われていた。


王太子妃となりたいのなら、秩序を学び、マナーを理解し、王太子妃としての『努力』をするべき。

彼女が述べていたのはこの正論だけで、容姿を貶したり、ましてや暴力沙汰に関わるなんて、あり得ない。


だが、その他の女に不満を持った令嬢は異なっていた。


彼女に私怨を持ち、理屈に則っていない只の自己中心的な考えで女を“虐げた。




――そして、その令嬢たちは、ある名をいじめの最中に語っていた。


それは愛しい己の運命の彼女、アルカナ公爵令嬢の名前。


そして、それは時間が経つに連れ、形を変え、最悪な形となって姿を現す。


『王太子婚約者殺人未遂事件』


その事件の名を、首謀者として捕らえられたーー彼女を見たのは、いつだっただろうか。


あの時のことを、自分はあまり覚えていない。


自分の中にある、記憶のガラス片はアルカナと笑い合い、庭を駆け回って空を見上げた思い出達のみ。


その時、初めてこの世界や神が屑だと感じた。


世界が灰白でできており、自らを窒息させようとする藻のようだと、彼女と出会って以来、初めて思った。


世界とは何か、考え続け舌を噛む。

いっそのこと舌を噛みちぎって死んでやろうか、なんて何度も考えた。


―――失ってから気づく、というのは本当で。


己の中途半端な権力を使って裁判を遅らせようとしたり、裁判の妨害をする間者を仕込んだり。やれるだけのことはやった。


その日からの記憶は、虚ろで端々しか記憶していない。


唯一はっきりと覚えているのは、王太子とあの女の笑顔。 殺してやりたい、世界ごと壊して、アルカナと二人きりの世界を作りたい。


...最後まで共に居たい。


あれから願うのはそれだけで。神すらも憎んだ今、それは宙へ舞う空言でしかなかった。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


アルカナの公開死刑日。


王城の前に高く建てられた断頭台には、美しく微笑んだ、"あの頃"の彼女がいた。


貴族の観覧席はその断頭台の直ぐ側で、自分はアルカナの首が掛けられる丁度前の座席につく。


空は青く、夏に近づいた春の真ん中だからか、空気が心地よい。


アルカナを見つめた。


彼女は自分に気がつくと、一瞬その綺麗な目を丸くして、妖精のように甘く微笑んだ。


ーーー美しい。


彼女を目前として考えられるのはそれだけで。 王城の上、断頭台を一点に険しく見つめた王太子とその女が、今は滑稽で仕方なくて。


それよりも、彼女の瞳に映った自分が、酷く泣いていて。


暫く、処刑人が断頭台の準備に取り掛かると、彼女は断頭台の下、ヘイトを投げて興奮する民衆に、完璧なカーテシーを披露し、靴を脱いで断頭台の前に登っていく。


「愛しているわ」


断頭台へ行く途中、前を通りかかった彼女に、手を一瞬、誰にもわからないほど優しく握られ呟かれたその言葉。


ずっと、求めていたもの。


恋情じゃなくても、家族愛でも、友愛でも無い。


二人の間に芽生えた、確かなもの。


自分は初めて、彼女を理解した。


断頭台の前で平然と立っていることも。


微笑みを崩さない理由も。


自らにそう呟いた理由も。


やがて、彼女が断頭台に首をかけると、斜陽の強い光が、彼女に降り注いだ。


自分は乱暴に胸ポケットからある1錠の薬が入った瓶を取り出し、己の口にゆっくりと運ぶ。


民衆の大熱狂が静寂を覆い隠し、世界が反響した。


「!!!」


民衆の声で、処刑人がなんて言ったかはわからない。

でも、合図だと察して、自分は含んでいた錠剤を噛み砕く。


ーーー そして、断頭台の刃が振り下ろされた。



___どうか。アルカナを幸せに。


___もしも願いが叶うなら、出会った頃に戻って、アルカナを自らの手で幸せにできるように。



赤の薔薇が、美しく散った。



「完」



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