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どこにでもある話。

作者: 文月
掲載日:2026/06/21

こんな噂話を聞いた。 

とある町の駅ビルに異世界へと繋がる扉がある。

人の通りも多いその駅は、何人も異世界へ送っている。

立花優希は平凡な大学生だ。

とはいえ、学生という身分もあと数週間で失い、社会人となる。

人生の夏休みと呼ばれる大学生活への未練はないが、新生活への不安が積もる。


この不安は誰もが持つものだ。誰かと共有し、軽くすることもできるだろう。

しかし、立花にはそれを言える友人がいなかった。


周囲から見れば立花は孤立していない。多くはないがそれなりに友人達と日々を過ごしていた。

ただ、自分をその時の状況に合わせて“つくっていた”。

学生時代の立花は一言で言えば真面目な学生だった。かと言って硬いわけではなく、適度にふざける明朗な学生だ。

それが彼が作り出した“立花優希”というキャラクターだ。

彼の本質はもっと根暗で、人と過ごすことを得意としていない。


状況に合わせて振る舞いを変えることなど、誰もが行っていることだ。

しかし彼は自身が作り出したキャラクターに囚われ「“立花優希”はこんな弱音を吐かない。」と、誰にも不安を語らなかった。

そして、不安を一人で消化できるほど器用でもなかった。


ある日、立花は自分が普段使う駅に異世界へ繋がる扉があるという噂話を聞いた。

異世界へ行きたい訳ではないが、“立花優希”を知らない世界なら、愚痴の一つ溢したって良いんじゃないか、そんな思いで彼は扉を探すことにした。


探せば扉はあっさりと見つかった。

駅ビルのファストフード店の角の席。こんな人の多いところに仰々しい扉が存在した。

明らかに違和感を感じる扉に誰も目もくれない。


自分の目がおかしいのかと擦ってみるが、やはりそこに扉はあった。

適当にフードとドリンクを買い、扉のある席につく。

まもなく、扉から声が聞こえた。

「誰かいるー?暇でしょうがないの。話し相手になって欲しいんだけど。」


女性の声だ。歳は自分と変わらないくらいだろうか。

扉からはっきりと聞こえたその声に周囲の人間は気がついていないようだ。


誰も見向きもしない扉、声。

これだ。

あまりにもあっさりと見つかってしまった異世界への扉は、贅沢にも異世界の住民も用意してくれたらしい。

しかし自分が手に持つファストフードのトレーは明らかに現実を指している。

今もなお扉からはこちらに対する呼びかけが続いているが、ここで返事をしてしまえば異常者に見られるのは必至だ。


現代は便利になったもので、イヤホンを挿せば独り言は独り言でなくなる。

誰にも繋がっていないスマホ片手に扉の向こうの住民と会話する。


「はじめまして。僕も暇でしょうがないんだ。何か話そう。」


努めて冷静に落ち着いた声を意識した。

初対面で素性も知らない人に対して何を話せば良いか分からなかったが、最初の一言で切れてしまうのは避けたかった。


「お。やったーありがとう。今日は誰からも返事がないと思ってたから嬉しい!」


扉の向こうから、その言葉よりも喜びの感情が乗っていない返事があった。

緊張だろうか。

そこで自分も緊張していることに気がついた。

なんだこれ。まるでマッチングアプリだ。


「いつもこの扉に呼びかけているのか?」


「たまにね。ほとんどはそっちから声がしたら応える感じかな。」


「こっちからも接続できるのか。」


「接続?変な表現だね。ただ扉を挟んで話をしてるだけじゃない。」


「この扉は異世界に繋がる扉だって噂だ。違うのか?」


「さあ?暇つぶしに話に来てるだけで確かめたことなんてないわ。」


彼女にとってこの扉は特別なものではないのか。

SNSで繋がった人とDMするくらいの感覚だろうか。いや、DMですらないのかもしれない。いわばリプ欄か。


関係値のない人間と表面上の会話をして時間を潰す。ただ時間を消費するだけの行為をしに来ている。

自分は違うと言えるだろうか。“異世界”という言葉には興味が惹かれた。本質的には“自分を知らない世界”なら何でも良かった。


“立花優希”として話を作らなくて良ければいい。

それがどんな中身のない会話だろうと。


それから彼女と“会話”をした。彼女はカスミと名乗った。

同年代と思われた彼女は自分より年上だった。正確な年齢は「女性に聞くか」と教えてくれなかった。


年齢が知られてからは、散々子ども扱いをされた。

久々の感覚だった。

そのおかげか、格好つけることもなく楽に会話ができた。

ここに来た最初の目的は、自身の不安を誰かに聞いて欲しいというものだったはずだが、それよりもただ何も考えず楽に会話がしたかっただけだったと気づかされた。


気づけば、かなりの時間が経っていた。

フードはとうの昔になくなり、ドリンクは氷だけになっていた。


「そろそろご飯作らなきゃ。」


カスミがそう言うまで時間の経過を感じていなかった。正直、名残惜しかった。


「また来ても良いかな。」


「いいでしょ。タイミングが合ったらまた話そうよ。」


ここはそういう場所なのだ。

誰かと話したい者が、好きなタイミングで好きに来て好きに話す。

彼女の気軽さがこの事実を認識させた。


“タイミングが合えば”と彼女は言った。

ここはSNSのようにログが残らない。本当にタイミングが合わなければ二度と会うことはないのだろう。


寂しさを感じる。

だが、踏み込み過ぎれば“立花優希”が“カスミ”が輪郭を持ってしまう。

ここで別れるのが最善なのだと、自身を納得させ、彼女と別れの挨拶をした。


彼女がいなくなると、扉の向こうからは何も聞こえなくなった。

その場に留まる気にもならなくて、立花は店を出た。


さっきの体験を振り返る。

立花にとってとても都合の良い時間だった。

とても楽だったのだ。

“立花優希”でいる時間はそんな窮屈なものではなかったはずなのに、あの時間はただの“人”でいられた気がした。


普段の自分はどれだけの見栄を張っているんだろう。

自身が見栄だと自覚していない部分でも、きっと見栄を張っていた。

それに気づかせてくれたこの体験に、付き合ってくれた彼女にまた会いに行こうと心に決めた。


きっとこの見栄っ張りな自分は変えることはできない。

自覚のないところで窮屈に感じていた自分。

再び扉の前に行けば“個人”ではない“人”でいられるあの時間に依存してしまうだろう。


無意識だった過去と、意識してしまった今では既に別の人間になっている。

底なし沼にはまってしまうとしても、立花はまた“人”になりたかった。



それから立花は何度も扉に通った。

扉の向こうには色々な“人”がいた。カスミとも何度か出会った。

扉の前に来る度に立花は色々な“人”になった。

新社会人だと言う話をすれば、多くの人は立花を子ども扱いした。たまに人生の先輩扱いもされた。


だが一度も“立花優希”にはならなかった。

何度も遭遇する“人”にはそれなりにパーソナルな話もしたが、ただの“新社会人”という記号で貫き通した。


予想した通り、立花は扉に依存していた。

現実世界の友人関係はそこそこに続いていたが、扉の“人”との関係の方が圧倒的に楽だった。


きっとこの習慣を「不健全」という人もいる。


いつまで続くかわからないこの時間。ある日突然扉はなくなってしまうかもしれない。

ならば存在している限りこの不健全に縋りたい。


自分の意思で離れられれば、それが必要なくなった“タイミング”。

ある日突然扉がなくなったとしても、それも“タイミング”。


そう思いながら、常連となってしまったファストフードの角の席へ向かう。


決して開けない扉の前に。




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