05 恋が冷めるまであと三日①
「おはよ」
「ひゃっ!!」
いつも通りギリギリの時間に起床し、爆速で朝風呂に入り、滝汗覚悟で駅まで自転車をかっ飛ばそうとペダルに足をかけた瞬間。横から塀に寄りかかっていた美青年ならぬ赤月さ……赤月くんこと、三日間限定彼氏に話しかけられた。
「な、なんでいるの……」
どこで住所を知った。驚きと恐怖で声が裏返るが、赤月くんは気にした様子もなく「春乃って起きるの遅いんだね。意外」と近づいてきた。昨日のハグと逃亡の件があるため身構えると、赤月くんは私の自転車のハドルを握った。まさか
「俺が漕ぐから、春乃は後ろに乗りなよ。遅刻するキャラじゃないよな?」
願ったり叶ったりな提案に、思わず瞳が輝く。遅刻するキャラです! と暴露したがる善良な心を躊躇なく殺し、悪魔の笑みを作る。
「本当っ? ありがとう、赤月くん!!」
わーいと叫びたい気持ちで早速自転車の荷台に乗り、両手で空いている荷台の部分を掴む。私はあざとくも可愛くもないので、ここで何食わぬ顔で彼の腰に腕を巻き付けたりはしないのだ。三日で別れるんだから尚更。
「じゃあ、運転よろしくお願いします。あっ座席高いよね。私一回降りて調整するよ」
「……春乃は座ってていいよ。俺がこのまま調整するから」
「わかった!」
私の速度だとこの時間は完全に遅刻だけど、赤月くんなら余裕に違いない。遅刻したって別にいいけど、しないに越したことはないから嬉しい。
「じゃあ漕ぐけど、落ちないでね春乃」
「うん、よろしくお願いします!」
こんなところ人に見られたら勿論アウトだけど、遅刻ギリギリの時間だから駅まで誰にも会わないはず。それにしても速い速い。全然急いで漕いでるように見えないし揺れないのに、みるみる景色が変わっていく。
「すご……毎日こうならいいのに」
聞こえないように風の音より小さく呟き、ふと閃いた。
「ねえ赤月くん」
「……どうした、春乃」
折角だしここで彼女ポイントを下げておこう。三日しかないから前倒しでいきたい。
「喉、乾いちゃった。コンビニ寄りたいけどお金持ってないし、遅刻しちゃうよね? どうしよう……」
我ながら性悪すぎる! 運転してもらっておいて寄り道プラス金貸せとは何事だ。私ならどうしようじゃないわと自転車から突き飛ばしている。あっ赤月くんに突き倒されたらどうし
「大丈夫? 俺が買ってくるから何飲みたいか言って」
「ーーへ?」
思わぬ返答に口が半開きになる。
「えっその、間に合うの? 赤月くんは」
私は慣れてるからいいけど、赤月くんは遅刻なんてしないだろう知らないけど。思わず本音を漏らすと、ちらりと目が眩みそうな美しい横顔がこちらを振り返った。
「駅に車待たせてるから、余裕。車の中にも飲み物あるけど、春乃が飲みたいの選んでいいよ」
「くるま??」
そう言って前に向き直った赤月くんは、「もう着く」と言い、本当にコンビニに止めてくれた。誰か嘘だと言ってくれ。
「着いた。春乃? 大丈夫?」
「あ、赤月くん……」
自分の浅はかさと、赤月くんの用意周到さに体が震える。……完敗だ。
「ごごごごめんなさい! 喉乾いたって嘘なの! お金も少しだけど持ってるし、赤月くんこそ飲みたいものがあればお礼に私買ってくるから……ほんとにごめんね」
二人乗りは疲れる。私の寝坊のせいで朝から頑張ってくれている赤月くんを困らせようなんて、早く別れるためとはいえやり過ぎた。ああでも「じゃあウイスキー」とか言われたらどうしよう。震える。
「春乃……」
「な、何にする?」
ウイスキーか、それとも怒声かと内心泣きながら構えていると、赤月くんはふっと笑った。
「俺に嘘ついてくれたんだ。かわいい。もっとついていいよ」
「え」
そう言うと、赤月くんは呆然としている私を抱き上げて自転車の荷台に乗せ、私の腕を強く自分の腰に巻き付けると、洒落た感じの鼻歌を歌いながら自転車を漕ぎ出したのだった。
「ハッ!」
気がついた時には、駅が前方に見えてきていた。やられた! と頭を抱えたくなる。まさか暁月くんが嘘が好きなんて特殊な癖を持っているとは、運が悪すぎる。絶対嫌われると思ったのに!
「着いたよ、お待たせ。中はクーラー効いてるから」
手を引かれて案内された黒塗りの車は、外車だった。メーカーはどこかわからないけど、絶対高級車だと思う。普通に怖い。
「湊さん、おかえりなさい」
「ああ。運転よろしく」
黒髪でピアスをつけている運転手さんはサングラスで顔がよく分からない。雇い人とかなのだろうか。赤月くんの私生活が謎すぎる。
「すみません、桜庭といいます。よろしくお願いします」
恐縮しながら車内に入り、運転手さんに声をかける。人生で外車に乗る機会があるとは思わなかった。しかも運転手付き。
「彼女さん! おはようございます!」
運転手さんは私を見るとやけに明るい声を上げた。
「……はようございます」
彼女とか、大きい声で言わないでほしい。蚊の鳴くような声で挨拶を返しながら、この人三日で別れるって知ってるのかなと疑問に思う。ていうか赤月くん、もう家の人? に私のこと話してるんだ。私は誰にも言ってないし、この先言う気もない。
「あ、赤月くん」
「ん?」
赤月くんは向かいの席で備え付けのクーラーボックスから、見たことない緑色の瓶のようなものを二本取り出した。「飲み物」と手渡されたけど、これお酒じゃないよね?
「ありがと……あ、あのね。私たちのことは友達とかには秘密にしてほしいんだけど……」
「……」
「秘密」と口にしたあたりから赤月くんの後ろに黒いオーラが漂い始めた気がして、尻すぼみになってしまった。そんなに無理な提案だろうか。遊びの上三日で別れるんだから、黙っていた方が変に騒がれなくて赤月くんもいいと思うけど。
「……春乃が、そうしたいなら」
沈黙の末、赤月くんは了承してくれたけど、機嫌が悪いのか足を組み、緑色の瓶を煽りながら窓の外に顔を向けている。高校生の空気感じゃない。怖すぎる。
あれか。彼女はひけらかさないと気が済まない性格なのだろうか。男子の、というか満たされている人たちの考えはよく分からない。
「朝からありがとう、赤月くん」
赤月くんの言った通り、車は余裕の時間に学校近くに到着した。運転手さんの後に赤月くんにも改めてお礼を言ったけど、顔は引き攣っていたかもしれない。
「っじゃあ、もう行くね!」
多分赤月くんは、簡単には折れてくれない。だって付き合い始めた初日に教えてもない家に迎えにくるなんて、絶対普通じゃない。
そんな確信めいた予感のせいか、キンキンに冷えていた車内温度のせいか分からないけど、私は震えながら猛ダッシュで校門をくぐったのだった。




