昔から好きだったと言われましても…
エマ・ディクソンは二人の母を持つ。
別に父が愛人と本妻を同居させているわけではなく、侯爵家当主の母と、その妻がいるのだ。
これに違和感を感じるのはエマが別なる世界の記憶を持っているからに他ならない。
この世界での人類は、神とされる上位存在より繁殖を許されることで子を得る。
具体的にどうかというと、神殿に赴き、己の伴侶となる存在と二人で祈りを捧げることで卵を得る。
その卵を大事に保護し、半年すれば真っ二つに卵が割れて赤子が生まれる。
他の動物は雌雄で交わることで生まれ来るので、人類だけがこの方法で子孫を残すことになる。
故に人類は、神の子と言う名乗りを上げ、宗教と言う概念がない。
子を授け、この世を見守る唯一無二の神が存在する。
ただそれだけで十分だからだ。
そして血統というものも存在しない。
長子が必ず家を継ぐ。男女の区別はない。どちらであっても子を残せるからだ。
故に長子のエマも、母と同じように侯爵家を継ぐ。
そうして愛し合える伴侶を見つけ、神殿に行って子を授かるのだ。
最初は混乱した。
しかし記憶を思い出したのはまだ四歳ほどの年齢だったし、その後になって色々と教わったので十五歳の今ではもう特に何も感じない。
異性愛でも同性愛でも子が出来るスゲー世界だ、と、そう認識して馴染んでしまえば何も問題ない。
前世のような生殖行為は単純に快楽のためだけに存在していて、初潮がないまま十五歳になったので恐らく本当に行為に意味はないのだなと分かる。
弟のカミヤに精通があったかは知らない。聞こうとも思わない――さすがにデリカシーがないし。
ともあれ。
エマは前世からドライな人間だったこともあって、恋愛が出来るかどうかが不明だった。
告白された時に不快じゃないから付き合ったものの、淡泊過ぎるエマに嫌気がさして浮気したり別れを突き付けてきたりされた経験はあった。
しかしそうなった時にエマは決して悲しいとは思わなかったし、追いすがったりもしなかった。
だから、両親のように、子を二人持ってもいつまでもラブラブな状態、というのはよく分からなかった。
そんな恋愛方面に疎いエマには複数人の幼馴染がいる。
肌を見せるのは伴侶にのみ、唇を許すのも伴侶にのみという風習を持つ貴族社会に生きる令嬢令息たちであるので、顔を合わせるとなれば集団で、になる。
親たちの思惑は分かっている。
この中から好きな相手を選んで結婚して欲しいのだろう、と。
しかしエマからすれば、よだれ垂らしてる姿を知ってる相手に何をどう思えばいいのか、だ。
ヘタするとおむつ離れさえしてなかった年から知っている相手なのだ。
そのことを思うと元々ない情緒は益々枯れる。
顔こそ美しく成長したけど、コイツ四歳の頃目の前でおもらししたっけ、とか、顔面ブサイクにして泣きわめいてたことあったな、とか、ふと思い出してしまうのだ。
なのでエマは、十五歳の春から通うことになる学園で相手を探すつもりだった。
貴族は爵位二つ分くらい下までが結婚できる下限のようなものとされている。
だから子爵家くらいまでなら伴侶に臨んでも許されるし、男爵家でも頑張って説得すれば大丈夫だ。
絶対の取り決めではないので。
そうしてさっくりと学園に入学したエマは、伴侶を見つけていない優良物件としてアプローチを受けに受けた。
しかしそういったがっついた人々ほどエマは苦手とする。
彼女自身が落ち着いた性格をしていて、ドライなので、あまり情熱的に来られても対応できないのだ。
故に彼女は自然と図書館に逃げ込むことが増えた。
ここでキャイキャイ騒げば司書に睨まれ出入り禁止さえ食らうのだ。
そうなると一部の授業に差し支えるので、エマの伴侶の席を狙う者たちも流石にアピールに行けなかった。
僅かな休み時間は我慢して、昼食を急いで食べた後の昼休みと、迎えの馬車が来るまでの放課後の時間を図書館で過ごすことにしたエマは、奥の方の席にいつも座っている一人の男子生徒を見つけた。
男性としては小柄で華奢な彼はいつでも分厚い本を読んでいて、理知的な青い瞳は常に文字を追っている。
制服のネクタイの色からするに、一学年上だ。
エマはなんとなはなしに興味を持って、話しかけてみた。
「ごきげんよう。少しだけよろしいかしら」
「……ええ」
「いつもいらっしゃるけれど、どんな本をお読みなのかと気になって」
「古典です。純文学の。
ドルキストの本はあまり多く刷られなかったのに、ここにはほぼ全巻揃っていますから」
「まあ。ドルキストの本なら当家にもありましてよ。
数代前の当主が気に入って蒐集したそうで、図書室に確か全て揃っていたはず」
そこで男子生徒は顔を本から上げた。
青い瞳がエマを見ている。
「マリカの本は?」
「ありますけれど。「君を思う四季」の作者でしょう?」
「そうです。……あなたの家の図書室はここよりも充実しているんですね」
「よろしければお貸ししますけれど。
わたくしはもうとっくに読んでしまった本だし、お母様たちも本を損壊しない相手なら問題ないというかと」
それが、リドル・プリニーとの出会いだった。
リドルは伯爵家の三番目の子で、上の二人が「弟か妹が欲しい」とあまりにねだるので願われた子だそうで。
兄と姉にねちっこく構われまくった影響から非常に淡泊な性格に育ち、誰かにかまわれることは苦手だし話も聞いてもらえなかった経験から会話もあまり好きではない。
それで跡継ぎでもないので、王城へ文官として勤めるつもりで勉強をしていたとか。
そういった話も別段リドルが積極的にエマに聞かせたわけではない。
お互いの身の上をなんとはなしにぽつりぽつりと語りあった結果分かったというだけだし、それだって一度に全て語ったわけでもない。
断片的に知っている情報を組み立てた結果だ。
エマもリドルも、お互いが沈黙を嫌わない性質ということで好ましいと思っていた。
そこから、二人でいる時の、本を捲る音や僅かな茶を飲む音だけがする時間が特別尊いとなって、ふとした時にその感情に名前を付けたのだ。
で、二人は婚約に至った。
激しい恋ではないし、傍から見れば老夫婦のような関係性だろう。
しかし二人にとってそれは確かに愛で、恋で、お互いがお互いを求めているのだ。
その感情に誰がイチャモンをつけようと、二人は跳ねのけるだけの気持ちがあった。
故に。
「どうして僕を選んでくれなかったんだ!エマ!」
婚約の儀を終えた二人を待ちかねていたように、神殿の外にいた一人の令息が道を塞いできたので、エマとリドルは足を止めた。
続いて出てきた面々はエマの幼馴染で、エマは大きくため息を吐いた。
「趣味が合わないあなたをどうして選ぶというの?
そうやってすぐ大声を出すところもわたくしは苦手だわ」
「言ってくれないと分からない!
それに、そんな僕よりずっと後に出会った男と婚約だなんて」
「感性が合うんですもの。リドルはあなたと違って読む本のセンスがわたくしと似ているし。
読書中に手を本の前にかざして邪魔をしてくることもないし、ベラベラ喋りかけてくることもないし。
無理矢理本を取り上げて遊びにいかないかって誘ってくることもないし。
わたくしは家の中で読書をして、感想を言い合うのが好きなの。
あなたみたいに観劇や乗馬をするのは好きじゃない」
それに、と、エマは、己の金髪に指を絡めて言う。
「わたくし、あなたがどれだけ美しく育っていたとしても、目の前でおむつに盛大に漏らしていたことを覚えているの。
凄まじい悪臭がしたことも覚えているし、レディの前で粗相しておいてよだれを垂らしてヘラヘラ笑ってたのも覚えてる。
そういう人を愛して結婚するのは本当に無理」
本気で、心底から、何の感情も持ち合わせてはいないと分かるエマの声と言葉に、令息はがくりと膝をついた。
共に出てきた幼馴染一同も声もなく、立ち尽くすばかり。
「他の皆のことも覚えてるわ。積み木をよだれまみれにして食べようとしてたこととか」
そういう人たちを愛するだなんて絶対無理、と言外に伝えるエマに、リドルもそれはしょうがないとばかりに小さく頷いた。
書類手続きが終わって出てきた両家の人間はといえば、目の前の光景が謎で目をパチクリさせていた。
それに対するエマの説明は、
「若さゆえの過ちを犯した現場です。
今回は不問として、次からは家に抗議を入れるつもりですので帰りましょう」
ただ、それだけだった。
結局元々片思いをしていた令息は、さらに彼に片思いをしていた令息に熱心に口説かれ、慰められ、そちらにコロッと転んで結婚することになったので結果としては問題なかった。
残りの幼馴染たちもなんだかんだと無難に話を纏めていき、お互いの今後のことを加味した上でそこそこの付き合いを維持していこうね、という話に落ち着いた。
その後、エマとリドルは、エマの卒業を待って結婚し、数年後に子を授かった。
跡継ぎは男児だったので、エマはこう教えた。
「いいこと?好きな人が出来たら、好きな人の好きなことをしてあげるのよ。
わたくしとお父様みたいに無言で何もかも通じるのは当たり前じゃないの。
きちんと話し合って、それでもダメだった時は諦めるのも大事よ」
息子は分かったような分からない顔で「はぁい」と返事をするのみだが、まあ分かったならよろしいとあまりしつこく言うことはしなかった。
そんな妻の教えを見守るリドルは、最近では育児書を読み込んでいる。
ディクソン家は今日も今日とて平和である。
あんまりヘンテコ設定活きなかったな 反省してまーす