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そして夜は明ける〈前〉

『どうもー! 初めましての方は初めまして、お久しぶりの方はお久しぶりです! イケメン大学生二人組のユニットでお送りする"QQQ(きゅきゅきゅ)"です! このチャンネルではリスナーの皆さんから寄せられたホラーなお便りを紹介したり、時には本物のホラースポットへ突撃しちゃおうという企画を日々行っております。とまあ前置きはこの辺にして、そろそろハロウィンですね〜』

『ハロウィンといえばトリックオアトリート、お菓子をあげなきゃイタズラしちゃうぞ、という例のアレが有名だよね。俺はこの前彼女に手作りお菓子をねだられたのでパンプキンパイを作りました。めっちゃ目えキラキラさせてて超可愛かったー! お前にも見せてやりたいくらいだったよ。見せないけど』

『なんなの本当にもぉー! 惚気ですか、惚気だよね!? くっそ、俺にまだ恋人いないからっていっつもそういうこと言う……! 確かにマメの彼女さんは可愛いけど!』

『へへ、いいだろ。やらないぞ』

『人の恋人寝取る気はないよさすがに……NTRの趣味はないし。ていうか脱線しすぎ! えーとハロウィンの話でしたね、ハロウィンというとそろそろ各地でハロウィンイベントが開催されますね。マメは何か参加する予定ってあんの?』

『いいや。特には。あーでも彼女に魔女とか黒猫のコスプレしてほしいし、やっぱり行くかも』

『またか! また隙あらば彼女トークか! いい加減にしろ! ……ごほん、まあ俺も花の大学生ですからね? ハロウィンコスプレくらいはね? やってみたいとは思ってますけど……お! さっそくコメントが続々と寄せられてる! ほとんどマメ宛の罵倒なんだけどワハハウケる。どれどれ、えー"アザムさんは狼男とか似合うと思います"……だって! へへ、そうかな? マメから見てもそう思う?』

『え? よく分かんないけどゴミ袋とか被ったら似合うんじゃないかな』

『こいつ本当に失礼なことしか言わんな……まあいいや、楽しみですねーハロウィン!』

『そうっすねー、ところでアザムはハロウィンの意味ってちゃんと知ってる?』

『そりゃもちろん! 今日の配信に備えてちゃーんとお勉強しましたからね。元はケルトだかキリスト教だかの収穫祭やら鎮魂祭やらが混ざりに混ざった挙句、アメリカでガキが家々を回って菓子を略奪するイベントに様変わりしたんだっけ?』

『すっごい悪意を感じる言い方するじゃん。いやまあ由来は諸説あるらしいね。てかアザムって子供嫌いだったっけ……?』

『子供は普通に好きだぜ! 特に好きな子との子供なら! って訳でいつでも恋人候補は大募集中でーす! それはともかく、ほんじゃま今日一発目のお便りコーナーといきますか、やっぱりシーズンだからハロウィン絡みのネタが多いんだけど……今回はコレ! えーと東京都某所、匿名希望さんからのお便りです。……これは私が子供の頃に体験した出来事です……』



◆◆◆



 ハロウィンも近づいてきたある日。授業が長引いてしまい、竜胆りんどうが遅い昼食を摂ろうとした時にはもう学生食堂は閑散としていた。等間隔に配置されたテーブルのいくつかに、疎らに散っている学生が談笑しているだけのガランとした室内に、一際目立つ青年の姿があった。

 カラフルなメッシュの入った虹色頭に見上げるほど大きな背丈、それに見合うがっしりした体躯にパーカーとデニムというラフな格好をしており、耳にも首にも手首にも大量につけているシルバーアクセサリーが午後の日差しを受けて輝いていた。

 彼の名前は、日頃一人で過ごしている竜胆でさえ知っている。あざみという同学年の有名人で、ふじとは「QQQ」なる動画配信ユニットを組んでいる。一見すると派手な身なりのせいで不良やヤンキーと思われがちだが、懐っこい性格にネコ科を思わせる愛嬌のある顔立ちのせいか、いつも男女問わずたくさんの取り巻きを連れていた。

 普段なら彼をいちいち気にして足を止めることもないが思わず視線が向いてしまったのは、薊が何やら必死に話しかけている対象が相方の藤ではなく、その隣にいる彼の恋人──菖蒲あやめだったからだ。相変わらず何を考えているか分からない鉄面皮に、いつもの地雷系ファッションに身を包んだ彼女は、青年の話を聞いているのかいないのか手元のスマートフォンに目を落としたままだ。

 いくら友人とはいえ、溺愛中の恋人にちょっかいをかけているというのに藤は渋面をつくりながらも静止しようとはしていない。ぺらぺらと何やら一生懸命に話しかけている薊は、どうやら何事かを説得しているように見えたが、肝心の菖蒲はというとろくに反応もせず知らんぷりしたままである。


「よお、お前ら何してんの。もうメシ食った?」

「あ、竜胆。久しぶりー。あれから連絡ないし、心配してたんだよ? でも元気そうでよかった」

「お疲れ、竜胆。俺らは二限が休講だったから先に済ませたけどお前は?」

「今日はもう授業ないしこの後帰るだけだけだから、これからだけど……薊も一緒なんて珍しいな、いつもはバラバラだろ?」

「えーと……どちらさん? 二人は知り合いみたいだけど」


 藤と菖蒲はそれぞれ竜胆と面識があるものの、普段は学部もゼミも講義もサークル活動も何も被っていない薊と竜胆は今が初対面である。逆に人気者なので一方的に見知っている竜胆は、つい馴れ馴れしく話しかけしまったと慌てて自己紹介した。


「名乗り遅れてごめん、竜胆だ。そこの二人とは友人というか顔見知りかな。あんたのことは知ってる。藤の友達だろ?」

「どーも。こっちこそよろしく。君めっちゃイケメンじゃん! ねえねえ俺らの配信にゲスト出演しない? 藤のバカがさあ、動画でいつも彼女の話ばっかりするもんだから、この前なんか炎上しかけちゃって。そんでテコ入れ代わりに誰か呼びたいんだけど菖蒲はやだって言うし……困ってたんだよね」

「え!? 急にそんなこと言われても……」

「そうだよ。竜胆困ってんじゃん、いい加減にしなよ薊。正直あんたが炎上しようと知ったこっちゃないけどさあ、人の彼氏まで巻き込むのやめてくれる? しかもアタシの友達にも迷惑かける気でいるとか、マジでありえないから」


 いじっていたスマートフォンをテーブルの上へと放り投げ、眦を吊り上げる彼女は静かに怒っている。菖蒲はやや短気なきらいこそあるものの、ひとしきり暴れて叫んだあとはケロッと機嫌を直すタイプなので、今のように淡々と相手を叱りつけるのは珍しい。対する薊は図星をつかれたのか、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙っている。


「まあまあ。俺は気にしてないし、確かに薊が一生懸命なあまり空回っちゃったのは事実だから、そこはあとでおいおいなんとかするとして。竜胆、俺からと頼むよ。恥ずかしい話、視聴回数すうじが伸び悩んでるのは事実なんだよね」

「って言われてもなあ……まあ前の案件で藤には協力してもらったし、今回限りって約束してくれんなら出てもいいけど」

「ほんとに!? 助かる! ありがとな竜胆、今度お礼になんか奢るよ」

「え!? マジで! ありがとう竜胆……くん? なんて呼べばいいかな、ていうかハンドルネームも決めなくちゃじゃん! ちょっと待ってな、あとで考えとくから! あこれ俺の連絡先ね、この後また打ち合わせするから把握よろしくな! もう講義始まるから先行ってんねー!」

「ちょっと! ねえ竜胆、ほんとにいいの? あんた顔派手だし、変に話題になってもあとで困るのは竜胆だよ? 嫌なら嫌ってちゃんと言った方が……」


 不安げにこちらを見遣ってくる菖蒲は心から竜胆のことを心配しているのだろう。思えば食堂へ彼が姿を見せた時も、分かりやすくホッとした顔をしていた。高校時代は整っている見た目を周りに利用されてばかりで、こうして純粋に友達としての情を傾けてくれるのは菖蒲だけだった。


「大丈夫。お面とか被り物か何かで顔を隠すつもりだし……それでもいいだろ、藤」

「うーん俺らも一応顔出しでやってるから、あとで外してもらえるなら被り物でもいいけど」

「……それマジで言ってる? 地元の奴らに見つかりたくねえんだけどな」


 まともなインターネット環境が整っているとは言い難い故郷だが、誰か一人くらいは動画配信をチェックしていてもおかしくない。あの村に住んでいる者達は大半がスマートフォンどころか折り畳み携帯さえろくに使いこなせない高齢者ばかりだが、もしも「たまたま」誰かが見るようなことがあったら。

 彼はこれまでメディアへの露出を極力避けてきた。イケメンだの美形だのとルックスを持て囃されることは数あれど、芸能界やネットの世界含めてあらゆるメディアで姿を晒したことはない。理由は簡単で、村の連中に見つかりたくなかったからだ。彼ら彼女らは未だ「贄」としての竜胆を諦めていない。

 高校進学と同時に逃げるように村を出たあの日を竜胆は今でも忘れたことはなかった。「神おくりの子」に選定され、祝祭の儀式を生き残り、村を守る女神に見初められた彼は──女神を現世へ顕現させるための贄として狙われ続けている。竜胆が死ねば、空になった肉体は女神のものになる。

 飢饉に苦しんでいた太古の昔、女神は豊穣を約束する唯一の救いであり、彼女に身を捧げることは至上の幸福とされた。けれど今は令和だ、もう飢えにも渇きにも命を脅かされる時代ではない。口減らしをする必要もない現代で、悪しき風習を受け継ぐ意義などないはずだ。

 それでも「たまたま」美しい容姿をもって生まれたからというだけの理由で、竜胆は常に死を願われてきた。美しく生まれついたことは彼にとって、なんの利益ももたらさなければ、むしろ生きる上で足枷となり続けてきた。イケメンだ、美形だ、整っている、綺麗な顔、どれも褒め言葉であるはずなのに。

 どれも全て竜胆という人間への評価ではない。誰も彼も見た目だけで竜胆を知った気になって、やっかまれたり都合よく使われたり、あることないこと噂をされたり。もう懲り懲りだ、散々だ、いい加減にしてくれと鬱屈を拗らせて。「遊んでそう」「顔がいいからって調子に乗ってる」などと好き勝手に言われることを厭ううちに、自ら殻に閉じこもるようになったのはいつからだったろう。

 菖蒲だけだった。今までは。ごく普通に、ただの友達として気兼ねなく接してくれて、程よい距離感を保ってくれて。竜胆に過剰に肩入れするでもなく、かといい遠すぎるということもなく。そんな、ぬるま湯みたいな関係性にずっと甘えていたのだろう。


「やっぱり止める? なんだか分からないけど身バレしたくないんだったら、俺から薊に言って違う人をゲストにしてもらうよう説得するよ」

「そりゃできればそうしてもらいたいけど、困ってるんだろ。友達……って言っていいか分からないけど、できる限り協力してやりたいし。さっきも言ったけど前にも世話んなったしな」

「わかった。だったらこうしよう、竜胆の元の顔がわかんないくらいフルメイクするのはどう? 配信予定日はハロウィンに決めたんだけど、せっかくだからコスプレして配信しようってことになったんだ。菖蒲、当日メイク頼める?」

「……竜胆がそれでいいなら協力したげる」

「俺はそれで構わない、し……むしろ助かる。別に動画出んのは嫌じゃないしな……色々ありがとうな、菖蒲」

「別にいいって。その代わり、アタシがヤバい時はあんたに助けてもらうから。お互い様ってやつ」


 それじゃそろそろ行くから、と二人は連れだって次の講義のため食堂を離れていった。一人取り残された竜胆は食堂での昼食を諦め、「キマイラ」で賄いを勝手に作らせてもらおうと席を立つ。気づけば食堂内はすっかり人がいなくなっていて、残っていたのは竜胆だけだ。

 慌てて校舎を出て、最寄り駅までの道を急ぐ。自宅アパートは大学キャンパスから徒歩圏内にあるため、行き帰りは基本的に歩きだが、アルバイト先である喫茶店までは電車に乗らないといけない。雇い主である紫苑しおんに言ったことはなかったが、竜胆は電車やバスなどの公共交通機関が苦手だった。単純に耳目を集めるからだ。

 あれほど苛んだ酷暑はどこへやら、すっかり秋めいた東京の街は街路樹も紅葉し始め、吹き渡る風も涼しいを通り越して肌寒い。東北生まれの竜胆は未だにアウター無しの長袖一枚だが、周りを見遣れば今の時点で上着を着込んでいる者もちらほら見受けられる。そろそろ冬物を出すか、と衣替えの予定を組みつつ、ちょうど来た電車に乗り込む。

 ……やはり見られていた。あちこちから乗客の視線が自分に向いているのに気づき、いたたまれない気持ちになりながら目的の駅に着くのを待つ。あまりスマートフォンを娯楽目的に使う質ではなく、鞄にしまいっぱなしなのが仇となった。せめて文庫本でも持ち歩こうかな、などと考えていると、ある人物と目線がかち合う。

 その女は出入り口付近で荷物も持たず手ぶらのまま佇んでいた。息を呑むほど人間離れした美しさを持つ女である。緩く波打つ艶やかな黒髪に、シャツもスカートもジャケットも全て黒で統一した喪服のような出で立ち、甘く整った美貌を口元の艶ぼくろが彩っている。小柄で華奢ながら、なまめかしいラインを描く肢体はしなやかで、我知らず竜胆は見惚れてしまう。


「こんにちは。キミ、かっこいいねえ」

「ええと……はい、こんにちは。もしかして、どこかでお会いしましたっけ?」

「んー、わたしはキミを知っているけれども、キミはわたしに見覚えないと思うなあ。それより今の古臭いナンパ台詞みたいだね」

「えっ! いやあの俺そんなつもりじゃ……」

「ふふ、冗談だよ。キミおもしろいねえ。紫苑が気に入る理由がなんとなく分かる気がするなあ」

「……紫苑さんのこと、知ってるんすか?」

「あらら、警戒されちゃった。あの子なかなか優秀な番犬を飼ってるね。人間に興味ありませーん、なんて面しておいて、ちゃっかり自分は番を見つけてるんだから。全くずるいなあ」


 にこにこ、とどこか得体のしれなさの漂う笑顔を浮かべる女は、なめらかで傷ひとつない手のひらを差し出した。握手しよう、ということなのだろうか。こわごわ握り返してみると柔らかな感触が伝わってきた。嫌な感じに心臓が跳ね、そそくさと手を放すが、彼女は無理やり手を振りほどかれても感情の読めない笑顔を保っているばかりだ。


「あんた一体、何者だ? 一般人じゃないよな。紫苑さんの同業者か?」

「意外と勘がいいねえ。まあそんなところかな。わたし、すみれ。よろしくね竜胆くん」

「なんで俺の名前を……」

「ああ、それともこう読んだ方がいいかな。『無貌の美姫の愛し子』──って」

「……! おいあんた、どこでそれを」

「さっき名乗ったよね。わたしは菫。あんたじゃなくて菫ってちゃんと呼んで。口の利き方には気をつけた方がいいよ、紫苑のわんちゃん」


 それじゃあバイバイ、とひらひら手を振って菫と名乗った女は姿を消した。ちょうど神保町駅に列車が到着したアナウンスが鳴り、狐につままれたような顔で竜胆は降車する。たくさんの人間でごった返すホームを見渡してみても、あの黒ずくめの女は捉えられなかった。



◆◆◆



「……あれ、おかしいな。いつもは開いてるのに」


 ここ数ヶ月ですっかり通い慣れた道を歩き、古びた雑居ビルの地下へと降りてもアルバイト先である「純喫茶・キマイラ」はクローズドの看板が下がったままだった。昨日の締め作業を担当したのは竜胆本人なので、今日は一度も店が開けられていないとすぐにピンときた。

 助手兼店員として働き始めてもうじき三ヶ月目に入ろうとしているが、こんなことは初めてだった。紫苑がどこで寝起きしているのかは知らないが、大抵彼はオープン作業を始める前には店にいる。店番を竜胆に任せて外出することはあっても、これまで丸一日不在にするというのは一度もなかった。

 そういえば紫苑の助手としての仕事以外で、かつシフトの入っていない日に店を訪ねるのは初めてかもしれない、と思い至る。元々プライベートと仕事を分けるタイプの竜胆は、今までオフの日に職場へ来るという発想自体が思いつかなかった。賄い目当てとはいえ紫苑の店を一種の隠れ家として認識するようになるほど、彼の中でキマイラは自宅も学校とも違う、もう一つの居場所となりつつあった。


「あれあれぇ、竜胆くんじゃーん! 久しぶり。こうして会うのは二度目かな?」

「あ……桔梗ききょうさん。こちらこそ久しぶりです。お元気そうで安心しました」

「うん、もうすっかり本調子だよ。あのあと呪いが解けてすぐ火傷もみるみるうちに治ってさ、まあほんとに火傷した訳じゃないから当たり前かもだけど。ちょうど締切がいくつかバッティングしてて、しばらくホテルで缶詰めしてたんだよね。だから、なかなかここに顔出せなくて……心配かけたみたいで、なんだか申し訳ないねえ」

「そんな、俺の方こそあの時は何も役に立てなくて……でも本当に作家さんなんですよね、すごいです。俺は小学生の時、読書感想文書くのにも四苦八苦してたくらい文章書くの苦手で」

「あはは、そんなキラキラした目で見られちゃうと困っちゃうな、大した者じゃないよ。多少名前が売れてるとはいえ稼げる仕事ではないからね、毎日原稿に追われて必死だよ。それより紫苑くんに用事があったんだけど……君、彼がどこにいるか知ってる?」

「いや……それが俺も賄いでも作って食おうと思って、さっきここに着いたばかりなんですよ」


 そっか、と素っ気なく返す桔梗は何やら深く考え込んでいるようだった。相変わらず長い前髪で目元を覆い隠しており、部屋着のようなゆったりした服装に身を包んでいる。片手にPCケース、もう片方の手にスマートフォンを持つ姿は作家というより外出中のエンジニアに見えなくもない。


「紫苑さんに何か用事ですか? 良ければ俺が代わりに取り次ぎますけど」

「ああいや、毎年ハロウィンの時期って都内の術師は総出で警備に駆り出されるんだけど、今日はその打ち合わせに呼ばれたんだよ。打ち合わせっていうか友達特権みたいなもので、今年はどこそこに結界を貼るから避難するならここに来い、みたいな連絡を回してもらえる感じ?」

「……ハロウィンって災害なんですか?」

「一般人にとっては楽しいお祭りだろうねえ。でも僕らみたいに視える人間からしたら要注意デーかな。ほら、よく地獄の釜の蓋が開くって言うでしょう。盂蘭盆、年末年始、そしてハロウィンは地獄が薮入りになるんだよ。特にハロウィンの夜は冥界の扉が開く。現世を怪異や亡者がうろつき、人間を襲う。オバケの仮装をするのは化け物に連れ去られないためなんだよ」


 どこか楽しげに口元をニヤつかせて高説を垂れる桔梗は、その間にもスマートフォンで紫苑へメッセージを飛ばしているようだ。指先が忙しなく動き、頻繁にチャット欄へ何事かを打ち込んでいるようだが、返信どころか既読すらつかないようで小さな舌打ちが漏れている。


「……連絡、つきませんか」

「ダメだねえ。あいつ一体どこの秘境にいるんだか。ったく、出かけるなら出かけるでなんか一言くらい言えっての」

「俺の方も何度か電話かけてみたんですけど、紫苑さん電波の届かないところにいるっぽくて……でも日本で圏外表示になるような場所って」

「離島かそれとも山奥か。離島はないな、あいつは流れる水を嫌うし。となると山奥だけど、霊山の類はあいつの気が乱れるから近寄らないだろうし……うーん、竜胆くんは紫苑くんが行きそうなところってどこか思いつく?」

「分かる訳ないじゃないですか、俺まだあの人と知り合ってから三ヶ月も経ってないんですよ、仕事以外で顔合わせることもないし……あれ、俺って紫苑さんのこと、なんも知らない……」


 竜胆は紫苑が好む食べ物も、どんな映画が好きなのかも、よく聴く音楽のジャンルも、術師としての彼じゃない素顔の紫苑を何一つ知らないことに気づく。お互いに見知っているのは仕事中の一面だ。楽しげに怪異を煽る様子、依頼者に悪態をつくところ、たまに見せる優しい瞳……それらは脳裏に鮮明に残っている。けれども仕事の絡まない、普段の姿というのは一度も目にしたことがない。


「別に紫苑さんのことならなんでも知ってるって訳じゃないけど、さすがに俺、あの人のことなんも知らなさすぎだろ……」

「ふふ。存外、彼に想われてるねえ、君は」

「……え? そうですか? てか今の話のどこを聞いてそんな風に思ったんです?」

「彼ねえ、意外と分かりやすいっていうか直情的なところがあるっていうか……その代表例が、お気に入りを自分から離したがる癖なんだよ」

「普通、気に入ってるなら手元に置いて大事にするもんなんじゃないですか?」

「普通はね。生憎と彼は普通じゃない。それは君もよく知ってるだろ? 紫苑くんは元々、人外の化け物だ。だから大事なものをどうやって大事にしたらいいのか知らないのさ。でも自分が恐ろしい怪物であることは理解している、ゆえに己から遠ざけたがる──妹も、君もね」


 術師として日々活躍する彼が、おそらく「ひと」ではないかもしれない、と竜胆も薄々察しつつあった。もげた首が一瞬でくっつくとか、手から炎やビームを打ち出すだとか、分かりやすい人外らしい要素を見せた訳ではない。だが端々の言動や態度から、どことなく人間っぽくなさを覚えていたのは事実だ。

 だからといって紫苑を殊更に「おそろしい」「あぶない」と感じた経験はない。確かに危うい一面はところどころ見受けられるが(特にあっさり依頼者を見放そうとするところとか)、紫苑が自分や菖蒲や他の人間に牙を剥く可能性は思いつくことすらなかった。おそらくはそれを「信頼」と人は呼ぶのかもしれない。桔梗はくすくすと楽しげに笑って言葉を重ねる。


「彼って面白いよねえ。あんなに人間くさい化け物なんてそうそう居ないでしょ、紫苑くんが君や菖蒲ちゃんや僕らを傷つけるなんて地球が砕け散ってもありえないのに、それを知らぬは本人ばかりなりってね。大切だからこそ遠ざける、なんて昭和の男かっつーの。まあ彼が実際に何年生まれなのかなんて知らないんだけど」

「……そういえば、菖蒲と紫苑さんは兄妹なのに、なんで紫苑さんだけが化け物なんですか? 漫画なんかじゃ、どっちかが妖怪と人間の混血児みたいな設定って見かけますけど」

「なんだ聞いてないのか。紫苑くん本人っていうか、本物の菖蒲ちゃんのお兄さんはとっくに死んでるよ。正確には身体を預けてるって言えばいいのかなあ、なんかそういう契約らしいから。詳しくは聞いてないけどね」

「……え? それ、どういうことですか」

「おっと。やーっと紫苑くんから返事きたー。んもぅ、おっそいんだから! 悪いけど僕先に帰るね、竜胆くんも帰り気をつけてねーそれじゃ!」

「え、ちょ、待っ……もう見えなくなった! 足早いなあの人!」


 重たいショルダーバッグを抱えて桔梗は颯爽と走っていく。近くを流していたタクシーを捕まえてどこかへ行ってしまい、追いかけ損ねた竜胆は呆気に取られた様子で立ち尽くすしかなかった。いくつかスマートフォンに通知が来ているのに気づき、ぼんやりとしたまま彼はそれらを確認する。

 どうやら秘境(仮)から戻ってきたらしい紫苑からメッセージが送られてきていた。今は地方へ出張中であること、今日中に戻れないので店は開けなくていいこと、その他こまごまとした連絡事項が箇条書きで綴られている。タイムスタンプ自体はたった今だが、もしかしたら電波環境の問題で今更になって届いたのかもしれない。


「そんなことより教えてくれよ……紫苑さん、あんたは一体、何者なんだ……? 俺が知ってる紫苑さんはなんなんだよ……!」


 慟哭にも似た青年の小さな叫びを聞き届ける者はどこにもいない。今は。

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