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人類最初の友〈前〉

 紫苑しおんが依頼人と打ち合わせをすることになったのは珍しく自分の店ではなく、都内某所のカフェチェーン店だった。コーヒーの安さだけが取り柄のような店では勉強中の大学生や黙々と静かに本を読み耽るご老人、旦那の愚痴で盛り上がる暇そうな主婦達と多種多様な人間模様が見受けられる。

 なんてことのない平日の昼下がり。ランチタイムはとっくに終わっているが、賑やかな店内には気だるげなイージーリスニングが流れ、大きな採光窓から差し込む日差しが眠気を誘う。特に美味くも不味くもないブレンドコーヒーを啜りつつ、とりあえず依頼人に語りたいだけ語らせてやることにした。

 相当切羽詰まっているのか、そもそも話すのが下手くそなのか今ひとつ要領を得ないが──曰く。依頼者が働いていた老犬や捨て犬を預かる保護施設では、犬への虐待や暴力が常態化していたという。賃金が安い上に福利厚生もしょぼく、なのに労働内容は過酷でサービス残業やら上長からのハラスメントが日常的にあるとくれば、更に弱いものへストレスの矛先が向くのは自明の理であろう。

 結局、近隣住民からの通報でコトは明るみになり施設は閉鎖、まだ息のあった保護犬達は別なボランティア団体等へと移送された。大抵、動物愛護団体というのは無償のボランティアである。この施設では営利を目的に運営されていたが、実態はいわゆる闇ビジネスに近いものだった。ほとんどの職員は何も知らず雇われただけだったが、とはいえ動愛法に違反していたのは確かである。

 依頼者自身は愛情を持って犬を世話していたというが、たかが一人二人がきちんと面倒を見たところで他の職員が虐待などしていれば無意味である。やはりというか、受け入れ先の施設でも犬達が人間不信に陥って餌や水を拒否しそのまま餓死するケースもあるようだ、と涙ながらに語った。

 それはさておき、保護施設とは名ばかりの引き取り屋そのものはとっくに解体されたわけだが、話はそう簡単に終わらない。最高で百を軽く超える数の犬が飼育されていたそうだが、劣悪な環境に耐えきれず亡くなる犬もまた相当数あった。酷い死に方をした生き物が「祟る」ケースは決して少なくない。今回もそれである。つまり例の団体に関わった職員や関係者は見事に祟られたのだ。

 今回、依頼者本人が直接何かをした訳ではなかったが、そんなの相手にとっては「どうでもいい」のだ。彼らは相手を選んだりしない。自分たちを苦しめた「人間」という括りで判断し、祟る。細かい条件付けをしてはいない。だから積極的に虐待に加担しないまでも、止めることはできなかった依頼人も連座で被害に遭っているのだ。

 なお施設関係者以外が今のところ無傷なのは、怪異と化した死んだ犬達が他の人間を認識してない、または興味関心の埒外だからだろう。そのため近隣住民への損害は出ていないようだ。これが周囲にも影響が波及するケースなら即刻他の同業者を集めて対策チームを結成しなければならない。

 呪詛も怖いが祟りは更に恐ろしい。長引くからだ。それこそ零落した神崩れによる祟りなど、数千年単位の事案になることもある。生きているうちの解決など望みようもない場合に比べれば今回はまだ楽な方だ。さてその具体的な祟りの内容だが──、


「……狂犬病様の症状ですか。日本は狂犬病清浄国ですから、そのような影響が出ているならニュースになっていてもおかしくはなさそうですが」

「正確には狂犬病ではなく、それに近い『現象』であることのウラが取れているからです。具体的に言うと狂犬病をもたらすウイルスは検出されていません。罹患した全員が、です。私自身はまだ初期症状しか出ていませんが……発症が早かった人の中にはもう亡くなっている方もいます」


 初期症状、とは言うが依頼人は購入した飲み物を未だ手をつけず、テーブルに放置している。恐水症だ、咽頭に痙攣と激痛が走るため水を飲めないのだ。秋口とはいえまだ残暑の厳しい時期であるというのに長袖をまとい、冷房が直接当たる席を避けたのも、風にすら痛みを覚えているからだろう。狂犬病患者は光にも反応するため、待ち合わせた時も店内の照明が気に障るのか、少し辛そうにしていた。よく見るとノイズキャンセリングイヤホンを耳につけている。

 目下の懸念はタイムリミットがいつ頃かだ。通常、罹患から約二日から七日ほどで昏睡状態に陥り、やがて死に至る。だが依頼人は症状が出て今日で一週間以上はとうに経っていると答えた。あくまで統計とはいえ、症状の進行速度を加味するとインターバルが長すぎる。実際の狂犬病の情報や知識はアテにならないと彼は内心で判断する。もしかしたら発症後ではなく潜伏期間の方を参考にすべきかもしれないが。

 料金や支払い時期について話し合いを終え、このまま帰宅するという依頼人と別れて、ひとまず問題となった施設跡までのルートを確認する。できれば他の罹患者にも話を聞きたいが、先に現場を見ておきたい。退店し最寄り駅の方向へと紫苑が歩きだそうとした、その時だった。


「あれっ、紫苑さんじゃないですか! お久しぶりです。ふじです。こんなところでお見かけするとは思いませんでした。珍しいですね、紫苑さんが一人でいらっしゃるのって」

「……えーと、あー……菖蒲あやめの彼氏くんかあ。こちらこそ久しぶり。前にあいつと付き合ってる件で店に来て以来だったかな」

「もしかして俺のこと忘れてました? ひっどいなあ。まあいいです、それよりどこへ行くんですか? よかったらお手伝いしますよ」

「藤くん俺が依頼人と会ってるところ、実は覗いてたでしょ、全くもう。それより手伝ってくれるってんならちょうどいいや、今から現場を下見しに行くんだけどついてく? 多分おぞましいものを目にする羽目になると思うけど」


 紫苑の隣に並び、あれこれと聞いてもいない雑談を振ってくる彼は、いずれ義弟となるかもしれない人間だった。紫苑より頭一つ分ほど身長が高く、目鼻立ちのはっきりした整った美貌に、テーラードジャケットと細身のデニムというシンプルな装いがよく似合っている。今日は店番を任せている助手の竜胆りんどうと外見の良さではいい勝負だろうか。

 ニコニコといつも人当たりのいい笑顔を絶やさない好青年、藤に受けた依頼の詳細を説明すると案の定、嫌そうに眉根を寄せる。彼は大学近くに住まいを借りて一人暮らししているそうだが、実家では犬を飼っていた。大の動物好きで菖蒲ともよくデートで猫カフェや動物園に行くという彼からすると、あまり聞いていて気分のいい話ではないだろう。

 やはり下見に付き合わせるのはまずいか、と申し出を改めて断ろうとした紫苑だが、ガシリと両肩を捕まれ逃げられなくされた。力加減をコントロールできていないのか、握られた肩の骨がみしりと軋む。紙のように白い血の気の引いた顔には引き攣った笑みが浮かんでいて、それが本気で怒った時の藤の表情である、と遅れて彼は気づいた。


「……絶対に俺を現場に連れてってくれますよね。この期に及んで俺をハブるとか、そんなのありえないですよね、ねえ紫苑さん」

「うぐ、わかったわかった、わかったから手ぇ離してくんない? さすがに痛いってば」

「わ! すみません、つい……それで現場はどこにあるんですか?」

「一時間くらい電車乗り継いでいったとこにある山ん中だけど……ここからだと行くのに時間かかるよ、本当に大丈夫?」

「ええ。今日は特に何も予定はないので。ちょうど講義が終わって家に帰るとこだったんですよ」


 それじゃ早速行きましょうか、と強引にぐいぐい腕を引っ張られる形で仕方なく紫苑はオマケ一人を連れて向かうこととなった。名目上助手として雇っている竜胆ならともかく、部外者を突発的に連れ歩くことは滅多にない。困惑しつつも始めに誘ったのは彼の方である。やれやれ、と肩を竦めつつ紫苑は藤と共に駅の方へ足を向けた。

 いくつか電車を乗り継ぐこと数時間。県境付近の山間部に作られた、保護犬施設というには些か手狭に思えるこぢんまりしたコンクリート製の建物に着いた頃には、もう日没に近い時間帯だった。秋の日は釣瓶落としというが、彼岸を過ぎるとあっという間に日が落ちるまでが短くなる。

 まだ青さを残した木々と見事に紅葉する樹木の混じる深い木立の中、ドッグランらしき柵に囲まれた広場を併設した保護犬施設は静かに佇んでいる。とっくに摘発が済んだ後なので規制線が貼られている訳ではないが、仕事でなければとても入りたいとは思えないような、異様な雰囲気をまとっていた。

 外壁は経年により褪色しており、汚れで曇った窓ガラスからはうっすらと内部が透けて見え、錆びついたケージや空っぽの餌皿などが放置されているのが確認できた。糞尿の跡がこびりついた床にうっすらと埃が積もり、生ゴミの類も散乱しているのを見るに、現場検証や実況見分しにきたであろう警察も清掃などはしていかなかったのだろう。


「えーと……外で待ってる? キツいでしょ」

「は? 何言ってんですか、入るに決まってるでしょう。入口ってどこなんですかね」

「あ、そう……いや大丈夫ならそれでいいんだけどさ。エントランスは……あ、あれかな」


 長方形の建物のちょうど真ん中にエントランスを見つけられたのだが、やはり施錠されていた。分厚く重たい鉄扉は中にいる動物を逃がさないためだろう。紫苑が侵入方法を考えている横で、藤は手にしていた通学バッグから小物入れを取り出した。針金の代用にするつもりなのか、安全クリップをまっすぐ引き伸ばすと鍵穴に差し込み、あっさり解錠してみせる。

 イイ笑顔で開きましたよ、と言いつつ道具を元通りしまう彼に紫苑は引き攣り笑いで感謝を述べ、いよいよ突入する。が彼らは途端に後悔した。悪臭が酷い。鼻が曲がりそうだ。事件後それなりの月日が経っていてもこれなのだから、発覚前はもっと酷かっただろう。人より嗅覚に優れる犬達は更に辛かったに違いない。

 建物内部には端から端まで続く一本の長い廊下、その両端に保護犬を管理するための各部屋と職員が使うオフィス等が並ぶ。各部屋はドアで区切られ、これまた四足歩行の犬では自力で出入りできないようになっている。室内にはケージが天井付近まで積み重なり、隙間がほとんどない。そのケージもほとんどが移動用の小さいもので、あれでは中にいる間は身動きなど取れないだろう。

 悲惨という言葉ですら生ぬるく感じるほど、えげつない光景が広がっている。そんな部屋がいくつもあるのだ。一つだけではなく、いくつも、いくつも。それは多くの、たくさんの罪なき命が無意味に打ち捨てられたことを意味している。

 対して職員用オフィスは綺麗なものだった。整然と並ぶデスクは大半の書類が持ち去られたか何も置かれておらず、埃で薄汚れてはいるが壁紙も床も爪などで傷つけられた様子はない。つまりこの部屋は無事だったのだ。犬が入ってこられないよう対策されていた。ここにいた者はみんな理解していたはずだ、自分達は「恨まれている」と。


「……どうして、どうしてこんな、ひどいことができるんでしょうか」

「分からない。分からない方がいいんじゃないかな。依頼人が死の淵に立たされており、代価をもらっている以上、俺は助けなくちゃいけない。ここに囚われている子達だけじゃなく──彼ら彼女らも」

「紫苑さんは大人ですね……俺は今にも腸が煮えくり返りそうなのに」

「俺も別に良い気はしないよ、当たり前だけど。でもこんな仕事してると慣れてくるんだよね、人の悪意に鈍感になる。怒りや悲しみを覚えない訳じゃない、だけど冷静でいられなければ次に死ぬのは俺だ」

「過去にも……こういうこと、あったんですか。酷い、本当に酷い、今回みたいな事件に関わるような経験って」

「まあね。口外できないことが大半だけど、それなりに。一丁前に義憤めいたものを抱いて、そのせいで死にかけたことも何度か。だからさ、いちいち悲しくなったり怒ったりってのはしないことにした。俺は感情に振り回されて死にたくないし、君を危険に晒すつもりもない」


 まあ俺は死ねないんだけどね、と冗談っぽく付け足して紫苑は薄く笑う。どこか人間味に欠ける演技くさい笑顔は、藤が初めて目にするものだった。以前、彼が単独で紫苑の店を訪れ菖蒲と交際している件について説明した際は、始終大人っぽく穏やかな青年として目に映っていたからだ。


「それにしても、施設全体を見て回ってみたけど特に異常というか何か起きる気配はないねえ」

「でしょうね。ここに居る子たちは、生き物を慈しむものには手を出さない。つまり犬猫の『まともな』飼い主です」

「やっぱりそうか、あまりに敵意が無さすぎるから不思議だったんだよね。不躾に自分のテリトリーを侵したものに怪異は基本、容赦しない。でもこの子たちが俺らに牙を向ける様子はなかった」

「殺す気がない、というより殺す理由や必要性を俺たちに対して感じていない、ということでしょうか」


 人類最初の友と呼ばれるだけあり、犬は人間に非常に友好的で、かつ従順だ。そのように品種改良したからといえばその通りだが。たとえば災害発生後に飼い主が一緒に避難できなかったため、他の人間がのちほど首輪を外してやっても、どこへも逃げずにそのまま留まり続けたという話もある。

 これは番犬として飼われていたのも理由の一つにあるのだろうが、ともかく犬は人間を友として認め、見返りを求めない献身を向ける生き物だ。例外はあるにせよ、家畜化された動物の中でも人間への信頼度が高いことは明らかである。そして頭がいい。

 だからこそ介助犬や盲導犬という職種に就く犬がいるのだ。彼ら彼女らは話せずともコミュニケーションを取る。ちゃんと思いがあり、心があって、人へ感情を伝えてくる。

 それは、たとえ生きていなくても──もう化け物と成り果ててしまったとしても変わらない。同じだ。くぅん、と小さな鳴き声が聞こえた。いつの間にか藤の足元にじゃれついてくる気配があった。

 犬種は色々と混ざってしまって分からないが、なんとなく和犬に近い姿をしている。赤、茶色、白、黒などまだらに混ざる体毛はふわふわとした艶やかな毛並みで、大きな丸っこい瞳が無邪気に二人を見上げてくる。痩せすぎても太りすぎてもいない体躯は、きっとこの子の描く理想の自分なのかもしれない。

 ふさふさのしっぽもぴんと立った耳も、遊んでほしそうに揺れている。くーん、と再度、微かに鳴いている。撫でて、遊んで、構って、こちらを見て、一緒にいて。そんな飼い犬としてなら当たり前に持つだろう要求を込めて。


「……ごめんね。本当に、ごめん」


 もう、この犬と遊んでやれる者も構ってやれる者も──ましてや飼ってやれる者などいない。してあげられることなど何も。それでもたった一つだけ、どうしても成さなければならないことがある。それは。

 思わず抱き上げようとするが叶わず、虚空をすり抜ける自身の両腕を見つめながら、藤は宣告するかのように呟く。


「必ず君を還す。いくべきところへ」



◆◆◆



 実のところ紫苑と藤は浅からぬ関係ではない。十年以上のキャリアを持つ術師である紫苑だが、その初仕事は藤の祖父からの依頼だった。初孫がどうにも視える人のようだから一定期間でいいので護衛してもらいたい、また可能なら自衛の手段も身につけさせてやってほしい、という内容である。

 世の中には一定の割合で「視える」人間がいる。竜胆、桔梗、杜若、菖蒲などはその典型だ。だが幽霊やおばけの存在を認識できるといっても見え方は人それぞれで、なんとなく気配を感じる程度から姿がはっきり捉えられる者まで様々だ。その中でも藤は群を抜いてよく視える、いわゆる「見鬼」の持ち主だった。

 見鬼の何が問題かというと、視えすぎるせいで莫大な情報量を処理するため常時脳に負担がかかっていることもそうだが、一番は索敵能力が高すぎて狙われやすいことだ。隠形中の霊や怪異を容易く見つけ出し、些細な変化も見逃さない眼は役に立つが、視える人は相手からも視られているという事実を指す。化け物からしたら、自分達の邪魔になるような見鬼など、真っ先に殺さねばならない人間だ。

 見鬼なのが発覚してから多種多様な怪異や悪霊どもに命を狙われ、そのせいでろくに外出もできず学校へも満足に行けていなかった藤は、当時まだ若かった紫苑を警戒していた。顔を合わせる相手といえば家族か祖父の知り合い程度だった幼い藤にしてみれば、自分より年嵩で風体の怪しい青年など、なかなか信用に足る相手と思えなかったのだろう。

 それでも紫苑が傍についてやることで少しずつ外へ出かける機会も増え、学校へ通うこともできるようになったからか、少しずつではあるが藤は紫苑に心を許し始めた。きっかけになったのは、たまたま紫苑の実家と藤の自宅が近く、妹の菖蒲が紫苑経由で藤の家へと招かれたことだろう。二人が友達として親しくなるうち、見鬼を一時的に抑える術も見つかったので御役御免となり、紫苑はフェードアウトした。

 とはいえ幼少期の自分が紫苑と関わりがあったことなど藤は覚えていないだろう。というか、そのようにした。ちょっとした暗示をかけ、紫苑を忘れるよう仕向けたのだ。藤少年が「視える」という事実自体を忘却させ、本人にもそうであると思い込ませることで、記憶を取り戻さない限り見鬼の力を眠らせておける。ただし思い出したが最後、今度こそ二度と力を抑えられなくなるのだが。

 今はごく普通の青年として平和に生活している彼だが、いつまた見鬼の力が目覚めるか分からない。少しでもその確率を下げておきたかった。仮にまた見鬼に戻ってしまっても身を守れるよう、自衛の術は叩き込んでおいたが、どうせなら活用される機会などない方がいいはずだ。

 それにしても紫苑が引き合わせたとはいえ菖蒲とまさか交際するとは、と後に何も覚えていない藤が自分の店へ挨拶しに訪ねてきた時には驚いた。すっかり恐縮しきった態度で、この度は大事な妹さんを云々などと話し始めたものだから、内心で腹を抱えて笑い転げていたのは紫苑だけの秘密である。以来、彼はごく稀に「キマイラ」を訪れるようになった。普通に表の客としてだが。

 しかし今日の様子を見るに、紫苑の本業について知っている──否、それだけではなく紫苑が何者かであることも見抜いているようだった。おそらくは幼い頃の出来事についても思い出しているとみていい。もっとも彼の見鬼が既に復活していると知りながらも、対処を面倒くさがって放置していた紫苑にも原因はあるのだが。

 帰路に着く藤と別れて紫苑が店へ戻るとカウンターで課題をやっている竜胆がおかえりなさい、と出迎えた。客が来ないようなら勝手に閉めていいとは言い置いていたが、店主が戻ってくるまで待っていてくれたようだ。コーヒーでも淹れますよ、と笑って厨房に立つ彼は喫茶店の店員としても霊媒師の助手としても、だいぶ板についてきた。そういえば藤と竜胆は同じ大学に通っていたはずだ、と思い出す。


「そういえば打ち合わせどうでした? 外でなんて珍しいですね」

「まーね。呼び出しくらったとこは依頼人の自宅から近いし、移動が負担だったんじゃない。あの様子じゃ二日……保って三、四日ってとこだろうな」

「そんなに酷いんですか……じゃあすぐにでも解決しないと助からないかもしれないですね」

「念の為前払いにしてもらったからタダ働きにはならないけどね。どっちでもいいんじゃない、あんなの助からなくっても。それより藤って子、知ってる? 君と同じ学校に通ってるらしいんだけどさ」


 心底どうでもよさそうに言い放ち、紫苑は竜胆と藤が同じ大学の学生であることについて水を向ける。彼にとっての懸念事項は、もはや依頼そのものより藤本人にあった。打ち合わせをしたチェーン店は住宅街の中にある。学生がうろうろしているのは不自然だ。ましてや藤の生活圏でもない。あんなところになんの用事があるというのか。


「藤は確かにウチの学生ですけど、お互い関わりないですよ、学部も違うし。目立つ奴ですから、いつも取り巻きに囲まれてるのは見かけますけどね、前に菖蒲と話してるところを見られて牽制されたくらいかな、あいつとの関わりらしい関わりといえば」

「牽制って。あの子そんなことするんだ……意外」

「まあ正直、余裕ないなこいつとは俺も思いましたけど。そういや紫苑さんのお店に来たこともあるらしいですね。本人から聞きましたけど。菖蒲は紫苑さんのこと無事に話してないって言ってたから、自力で探し当てたのかな……」

「うわ。クソ、あのバカ前から記憶取り戻してたのかよ最悪。あの辺うろついてたのも説明つくわ、視えてたんだ。初めから俺にコナかけるつもりで待ち伏せてたな」


 ちっ、と舌打ちしてコーヒーを飲み干すと、紫苑はスマートフォンを取り出しコールする。電話に出た相手へ何やらクレームめいたものを訴えている様子を横目に見つつ、竜胆はカップを片付けた。彼は先ほど、紫苑に伏せたことがある。

 今日の下見には藤も付き添ったそうだが、実は彼が視える側の人間であることは学内でも有名だった。というのも藤と同じくらい目立つ人間がもう一人おり、そちらは何故かどんなホラースポットに行っても心霊現象が起きないことで知られている。

 二人が動画配信者として活動しており、時折肝試しを企画して心霊スポットで配信している事実は学生なら誰でも耳にしていた。おそらく紫苑に目をつけたのも動画のネタにするためなのだろう。原因は竜胆が紫苑の件で菖蒲と会っているところを藤に目撃されたことにある。

 会話を盗み聞きしたのか、恋人の兄が本物の術師であると知った藤は、あれから竜胆に対し紫苑を紹介するよう幾度となく求めていた。菖蒲を介さないのは、彼女が紫苑の存在を隠していることに加え、その場合は「妹の恋人」として振る舞うしかないからだ。

 自分の彼女が知らない男と話しているのを見て気分を害さない人間はそうそういないだろうから、牽制されたのも仕方ないと諦めはつく。だからといって彼を紫苑へ取り次ぐ気は起こらなかった。藤の配信者としての活動に彼が巻き込まれれば、助手である竜胆も必然的に巻き込まれるに決まっているからだ。

 しかし痺れをきらした藤は自ら紫苑にアプローチをかけてきている。妹の恋人がまさか有名な配信者だとは露ほども知らないであろう紫苑は、通話を終えるとテーブルへ突っ伏した。おそるおそる声をかけてみるが応えはない。ふてくされているらしい。


「……もうやだ、あの一家。俺に全部丸投げする気だ。自分とこのガキだろ、手前でどうにかしろよ……クソ、結局俺があいつの面倒を見るしかないのか」

「えーと、紫苑さん?」

「竜胆くん、あいつが配信者なの知ってて俺に隠そうとしたよね。その件で今、どうにかしろって彼の親からクレーム受けたところなんだけど。あのバカ、見鬼を利用して各地の心霊スポット突撃生配信なんつう戯けた真似しやがって……!」

「いやだって俺が巻き込まれるのは嫌だったんでつい……え? もしかして今日あいつが紫苑さんの下見に無理やりついてきたのって」

「そうだよ! あいつ配信に俺のこと利用する気だ、クソ! 菖蒲のバカ、男運だけは本当に最悪!」


 うっわ、とドン引きした竜胆はやはり紫苑へ藤を取り次がなくて正解だった、と内心で胸を撫で下ろす。過去の自分の判断を褒めたたえつつ、無理やり押しつけられた藤の連絡先へメッセージを送った。真偽を確かめるためだ。もし紫苑の言う通り、自分達を企画に利用するつもりなら縁を切る。でも他に何か理由があるのなら、それを聞いておきたかったのだ。

 果たして数分と立たずレスポンスが返ってくる。内容を見て、竜胆は薄く笑む。


「……なるほどね。それならまあ協力してやるのもやぶさかでないかな」

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