シュロの歌
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薪が積み上げられた。六段の薪が積まれた。
クヌギの丸太の六つ割りが六段に積まれた。
火が投げ込まれた。家の竃より招かれた火が。
家の竃より招かれた火が投げ入れられた。
炎が渦巻いた。炎が渦巻いて天を焦がした。
炎は燃え上がり屋根よりも高く渦巻いて吠えた。
老婆の遺体は薪組の内に安置され、時を待っていた。
やがて魂は体から出てきて、三つに分かれた。
愚かな魂はその場にとどまり、体が灰になるのを眺めていた。
軽き魂は風に吹かれて、何処かへ飛んで行った。
どちらでもない魂は歌に引きつけられて、シュロの周りに漂った。
そのシュロはよく知っている男だった。
シュロの周りには子供達、孫達、婿たち、嫁たち、妹達、弟、よぼよぼの友人たちが座っていた。
賢き魂よ
シュロは歌った。
人生には三度幼い時があり
三度学ばねばならない
死後にも一度学ばねばならず
シュロから教わるべきである
シュロが道を教える
よく聞いて覚えよ
さすればどんなに遠くても、心配はいらない
橋の名も、土地の名も、道筋も
全て覚えておかなくてはいけない
露が点々と滴るように
少しずつ学ばねばならない
そうしなければ
あなたの霊の帰祖は困難になり
鬼となり、人を祟る
空を飛ぶ鷹には
馬の足跡が見えている
シュロにも見えているぞ
祖先が馬を駆り
馬を休ませた旅
その跡をたどって帰らねばならない
シュロが手綱を取る動作をすると、そこには馬がいた。
その馬は老婆が子供の時に可愛がっていた馬だった。
シュロは歌いながら、老婆の霊に鉄の鎧を着せ、鉄兜をかぶせた。
銃を担がせ、鞭をもたせた。
そして武装した老婆の霊は勇ましく愛馬にまたがった。
行こうよ、行こう、魂よ
よき死を迎えたあなたよ
シュロがあなたに道を教え
祖先のいる地へ共に参る
グドタクバルの子孫においては
死んでもその名は世に残る
祖先が呼んでいるから
直ちに出かけよ
祖先が移住した道に沿って
祖先のいる地へ帰ろう
グ族はド族に会い
タ族はク族に会い
バ族はル族に会い
女は男に会い
六の氏族がひとところに会す
楽土へ帰り
遠い一族と、遠い祖先と
そこで合間見えなければならない
老婆の霊はいよいよ出発する気になった。
老婆の霊は家の門を出た。
その旅には、シュロだけでなく、シュロの周りに座っていた者たちも、魂となって付いてきた。
老婆の霊は、祖先がそうしたように、鉄兜のつばを引き下げ、銃を構え、馬に鞭をいれて、関所を走り抜けた。
旅の途中で、老婆の霊たちは、熊に遭い、猪に遭い、蛇に遭い、これを退けた。
ミコ大橋を渡ったところに泉があり、そこで一同は休憩した。
鬼や妖魔が老婆の霊に話しかけたが、シュロがそれを退けた。
あるところでは、路傍の草を摘んで薬とした。
祖先と全く同じ場所で、竹を切ったり、石に印をつけたり、木の皮を剥いで、道しるべとした。
祖先の渡った川に出れば船に乗った。
祖先の登った絶壁があれば飛び降りた。
いつのまにか武器は銃でなく、弓となっていた。
祖先の休憩したところでは、馬から降りて木の枝に弓をかけるように言われた。
祖先が水を飲んだところでは、喉が渇いていなくても三口水を飲まねばならなかった。
そうでもしなければ祖界にはつけないとシュロは繰り返し歌った。
シュロは道すがら、祖界について歌った。
祖界はよきところ
家の前には稲が実り
きらびやかである
家の裏には蕎麦が実り
きらびやかである
そこには水もあり
魚がはねている
そこには山もあり
獣が群れている
山には崖があり
崖には蜂がいる
祖界はよきところ
堤の上では稲ができ
坂では蕎麦ができ
水の上では釣りができ
野では放牧ができ
山の上では猟ができ
崖では蜂蜜が採れる
長い旅だった。
シュロは、見てきたように、一山一水、一草一木、一地一物を詳しく歌い上げた。
その旅の歌には七十八の地名が織り込まれた。
旅はついに果てた。
祖先がかつて王として国を治めていたその宮殿の跡地に、祖界へ繋がる門があった。
その向こうで祖先たちは、畑を耕して蕎麦を作り、手足を泥に濡らして稲を作り、鶏を飼い、羊を飼い、牛を飼っていた。
それはまさにシュロが歌った楽土そのものだった。
稲の世話をしていた男が笠を少しあげて老婆の霊を見た。
「おやあ、△△でねえか。
えらい、遅かったな」
それは死んだ夫だった。
「母さん!」
ざるを投げ出して駆け寄ってきたのは早逝した長男だった。
老婆は思わず馬の脚を進めて門の中に入っていった。
その時。
「ばあば!」
老婆の霊を呼ぶものがいた。
老婆は振り返り一番末の孫娘を見た。
孫娘は驚いた顔をして老婆の霊に両手を伸ばしていた。
いけない 私が死んだら この子が悲しむよ
老婆の霊はすでに死んでいることも忘れて、たまらず馬の首を返して門を出ようとした。
しかし馬は応えなかった。
老婆の霊は、馬の頑なさにはっとして、驚きのままに、生者たちを見た。
どの顔とも別れがたく思われた。
そしてどの顔も一様に穏やかであった。
末の孫娘だけが愛しくも哀れであった。
その腹にシュロの両腕が巻き付き、抱きかかえられていた。
シュロは歌い始めた。
万物は全てが死ぬ
太陽も死ぬ
月も死ぬ
巌も死ぬ
河も死ぬ
日没は死である
新月は死である
砂塵は死である
枯れ河は死である
万物は全てが死ぬ
シュロはいま立っている
炎の祭壇の前に立っている
生者たちは座っている
シュロの周りに座っている
炎は燃えている
燦々たる太陽のように
確かにこの世に燃えている
炎は照らしている
粛々たる月のように
確かに我々を照らしている
帰れ
帰れよ
魂よ帰れ
生者の魂も
シュロの魂も呼び
この世に帰ろう
山では九つの家族が我らの魂を待っている
帰れよ、生者の魂!
帰れよ、シュロの魂!
招魂!招魂!
シュロの魂よ帰れ!
シュロの魂が帰らずにいれば
祭祀の場ではシュロがいず
妖怪がさらに力を増すだろう!
シュロの魂よ帰れ!
招魂!招魂!
王の魂よ帰れ!
王の魂が帰らずにいれば
この世は王を欠き
人類は安楽でいられぬ
王の魂よ帰れ!
招魂!招魂!
大臣の魂よ帰れ!
大臣の魂も帰らずにいれば
政務も完遂できぬ
大臣の魂よ帰れ!
招魂!招魂!
職人の魂よ帰れ!
職人の魂も帰らずにいれば
この世に技が絶えてなくなる
帰れ、魂よ帰れよ!
職人の魂よ帰れ!
招魂!招魂!
帰れ!
魂よ帰れ!
妹の魂も帰れ!弟の魂も帰れ!
古き友の魂も帰れ!別れがたくとも帰れ!
子の魂も、孫の魂も帰れ!
皆の魂よ帰れ!
死者の魂は去り、永遠に帰らない
でもこの世にはあなたの親もあり妻子もいる
家族と過ごす楽しさは尽きることがない
帰ってこい
魂よ
帰ってこいよ
太陽は魂がなければ輝かず
月は魂がなければ輝かず
人は魂がなければ生きるのが難しい
生者の魂が別れをすませると、シュロは皆を引き連れて帰っていった。
露が点々と滴るように、少しずつ来た道をもどり、祖先の足跡をたどり、小さな山村へと帰っていった。
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樊 秀 麗「中国彝族の死生観と民族ア イデンティティの形成」『民族学研究』65/2 2000.9
樊 秀 麗「中国彝族指路経における送霊・招魂/ 祖先移住経路言説に関する研究 ―民族アイデンティティ形成との関連について―」広島大学大学院国際協力研究科『国際協力研究誌』第8巻第1号,2001年,pp. 67–90
松岡 格「古彝文経典『生育経』と不妊治療」2017~(未確認)
論文で説明されている彝族の死生観と少し違うことを書いた箇所がある。例えば、死者の体を出て三つに分かれた魂のうち風に流されて行く魂はビモの導きによって位牌に宿り家を守る族霊に昇格する。また、指路の歌による葬送の儀式のタイミングや様式も実際のものとは違っている。
送霊の歌や招魂の歌は九割がた論文ママであり(中には論文の地の文、つまり論文を執筆した研究者の文章をそのまま使ったところもある)が、語調を変えたり意味を考えたりしているうちに内容の改変に踏み込んでしまったところがあった。固有名詞を変える方が誠実に思われた。
彝族の葬送儀礼は、現実的である。目的がはっきりしている。そして明るい。霊が祖界に入った途端に、けたたましく生者の魂を呼び戻すところが印象深い。死者と生者の別れがたさをそのように表現する精神は気高い。こうした葬送儀礼を醸成し守り伝えたシャーマン身分「ビモ」を擁する、古代彝族の文明の繁栄ぶりと六氏族の身分の尊さが偲ばれるのである。