続章
「ねえ、先生、聞いてる? おーい、もしもーし?」
「…………ん、すまん、なんだっけ?」
いかん。ほんの少し、目を閉じておくだけのつもりだったのに。
いつの間にか、意識が飛んでいた。
白い靄のように視界を覆う眠気を、頭を振って追い払う。
ぼやけた視界の焦点が徐々に合っていくにつれて、目の前の教え子が自分のことを呆れたように見つめているのが分かった。
勤務時間中に、居眠り、か。
俺はまだまだ、理想の先生にはたどり着けそうもない。
「せんせー、生徒に仕事させといて、自分は呑気に舟を漕いでるのは駄目なんじゃないですかあ?」
「悪かったよ。最近、あんま寝てなくてな」
「それ、社会人の言い訳としては苦しくないですか?」
…………おっしゃるとおりでございます。
バツの悪さは曖昧に笑っておくことで誤魔化して、俺は目の前の生徒に尋ねる。
「それで? 入学式の準備の方は、どうなってる?」
「あー……まあ、大丈夫なんじゃないですかね? ほら、うち、会長と副会長が有能だし」
「お前は、どうなんだよ」
「適材適所? みたいな?」
「それは真面目に働いてる奴だけが使っていい言葉だからな」
寝てた手前、あんまり強い言葉も使えないんだが。
何しに来たんだコイツ。
俺は目の前にいる、生徒会の書記がわざとらしく口笛を吹いてみせる様子に、溜息を吐いた。
周りを見回せば、職員室にいる先生方の数はまばらだった。
明日に控えた入学式の準備で、皆さんお忙しいのだろう。
俺だって、ついさっきまでは書類とにらめっこしていたのだ。ほんの少し、気を緩めただけで。
「まあ、いいや。わざわざ呼びに来たってことは、何か問題でもあったか?」
「そういうわけじゃ、ないんですけどお。その、私、さっき学校に着きましてぇ、なんかみんな一生懸命準備してるから、合流しづらくてぇ」
「……だから?」
「せんせぇ、一緒に来て、それとなーくフォローしてほしいかなって」
「ばかやろ。お前、俺のことなんだと思ってんだ」
普通は叱られると思って、先生の方には近づいてこないだろ。
こいつ、ほんとに俺のこと舐めてる節があるからな。
一度、きちんと説教すべきかもしれない。
「あのな、後悔先に立たずと言ってだな。失敗をしたと思った時にはもう遅いんだよ。そうならないように普段から……」
「あ、そういうのほんといいです。マジで無理なんで」
目の前の女生徒の顔が、媚びを売るようなものから真顔へと変わる。
おかしい。俺は今、良いことを言おうとしてたのに。
ほんと、赤江先生みたいにはいかないもんだ。
「じゃあ、もう素直に謝ってこいよ。俺も後から行ってやるから、ほら」
「ほんとに? わっかりましたあ! まってるからねえ!」
行くとは言ったが、フォローするとは言ってないはずなんだがな。
何を思ったか、満面の笑みになった生徒会書記は職員室から出て行ってしまった。
「今どきの女子高生の考えることは、よーわからんねえ」
天井を仰いで、独り言ち、気付く。
いや、昔も、女子高生の考えてることなんかわかってなかったか。
あれから、もう長い年月が過ぎた。
色々得たものはあったと思うし、失ったものもたくさんある。
自分の人生の中で最も、密度の高かった時間は間違いなく高校生活だっただろう。
ビリジャンパーなんて呼ばれて、夜の街を駆けずり回っていたあの頃が懐かしい。
なんて。
「おっさんには、なりたくないもんだよ。ほんと」
立ち上がって伸びをしたら、全身のあちこちで骨のなる音がした。
超人も歳を取れば劣化する。
そのことは身をもって知った事実でもある。
「さてさて、仕事に戻るとしますかね」
机の上のパソコンの画面では、スクリーンセーバーが起動してしまっていた。
それをマウスで振り払って、書類仕事に戻る。
さっさとこれを済ませて、生徒会連中のところに顔を出さないと何を言われるかわかったもんじゃない。
高校の先生だって、街を守るヒーローと同じくらい大変なお仕事なのだ。
他のメンバーと違って、スゴロクンだけは十五年近く時間を経ての参加という形になります。
シェイプオブダークやナイトクロール、そしてこの次のお話の主人公の精神年齢は高校生くらい。
それらを取りまとめていくうえで、ヒーローとしての能力以上に、一歩引いた大人の目線も必要なのかなと思って、この立ち位置に設定しました。
少しの間、安穏とした生活に身を置いていたスゴロクンではありますが、これからまた、彼が過去に経験した以上の戦いに巻き込まれていくことになります。
ビリジャンパーは帰ってくる、ということで。
次のお話もよろしくお願いします。